エピソード3──戦況悪化──
第9話:タナカとラジオ体操
出撃前、タナカは絶対にラジオ体操を欠かさない。
強制軌道に入る前の軌道空母の発艦デッキは無重力なため体操は若干難しかったが、タナカはデッキのフックを上手に使って身体をバンジーコードで固定していた。
ラジオ体操の音楽をヘルメットに流しながらナビゲーターのスズキと共に身体を動かす。
ラジオ体操第一は簡単だ。ラジオ体操第二は少し難しい。ラジオ体操第三はさらに難しく、これは覚えるのに苦労した。
だが、こうやって関節を緩めておくと降下ミッションが楽になる。
それがタナカの考えだった。
バレンタイン隊長やエクレア達の方が異常なのだ。ラジオ体操第二に合わせて身体を動かしながらタナカは考える。
彼らはまるで息をするかのように降下する。
だが、普通の人間である我々は十分に準備しなければ降下ミッションはこなせない。
近視は随分前にレイシック手術で補正した。メガネがいらない生活は素晴らしい。
と、艦内放送がラジオ体操に割り込んでくる。
『アテンション。イントルーダーが中間圏に侵入した。これより本艦は強制軌道に移行する。インターセプター、出撃準備。カウントは四五。四四、四三……』
これはアラン副長の声だ。
『スズキくん、行きますよ』
タナカは腰のバンジーコードを外すと二本のコードを丁寧に束ねてコクピットの小物入れに押し込んだ。
『タナカさん、今日はどういう方針で?』
『核ミサイル攻撃は絶対に避けたいです。できる限りアベンジャー砲で落としましょう』
『とはいえ、ツレはあのエクレア隊ですよ?』
紫色の悪魔。
エクレアは出撃すれば必ず戦術核ミサイルを二発発射し、ガトリング砲の弾倉も空にする。挙句の果てにカミカゼ・アタックを仕掛けるのだから到底正気とは思えない。
『ですね。ですから私たちが先にイントルーダーを落とします。エクレア隊の好きにさせてはいけません』
『了解です』
+ + +
「ルビア、
エクレアは耐熱パネルをキャストオフするとすぐに索敵行動を開始した。
いつものようにペダルを操作し、機体を左右に振ってイントルーダーを探す。
『エクレア、今回は簡単そうですよ。レーダーマーカー健在、イントルーダーは百キロ先に降着しています。会敵予測はあと三〇秒、カウントしますか?』
「ノン。見えたわ」
バイザーに投影されたターゲットディスプレイの中、はるか彼方に輪郭強調されたイントルーダーのカブトガニのような機体が小さく見える。
と、隣に降下したタナカ機が増速した。
『ひゃー、タナカさん張り切ってますねー』
ルビアが後席でバンザイの姿勢を見せる。
「先鋒は二人に任せましょう。わたしたちは後ろからついていくわよ」
『ウィウィ』
バックミラーの中のルビアが両親指を立てる。
エクレアが先鋒を譲るのは珍しい。バレンタイン隊と組んで降りる時は必ずエクレアが先鋒を取る。
だが今回の降下に限ってはなぜか先鋒を取りたくなかった。
なぜなのか理由は判らない。
なぜか、様子見をした方が良いとエクレアの戦闘本能が囁いている。
『でも珍しいね。エクレアが先鋒を譲るなんて』
「そういう日もあるのよ。この一ヶ月で三回目のドロップだし。今回は楽させてもらうわ」
パイロット席でエクレアが肩をすくめる。
見たところ、イントルーダーはタイプBだった。一直線に都市部に突撃し、核爆発を起こして爆散する。最近のイントルーダーと比較すると御し易いタイプだ。
目の前でタナカ機がさらに加速。青い爆炎を長く引きながらまっしぐらにイントルーダーめがけて突進していく。
タナカ隊にはパーソナルペイントがない。タナカの乗機は常にグレー二色の迷彩が施されていた。ベースは濃いグレー、外縁部は薄いグレー。
タナカ機が軽くロールし蒼天の中へと溶け込んでいく。
エクレアがスロットルを
『ふわー、タナカさん頑張ってますねえ。タナカ機、会敵十秒前』
ルビアが後席からAIの予測する会敵時刻をエクレアに伝える。
「……振り切られちゃ、困るわね」
エクレアはレーダーパネルを凝視したままスロットルをABレンジに押し込んだ。
青く長い爆炎を引き、エクレア機が増速する。
だが、必要以上に距離は詰めない。ギリギリ目視できる距離を保つようにエクレアはスロットルを絶妙に操作した。
時折ペダルを操作し、三次元偏向ノズルの向きを変えて機体をタナカ機の右後方に占位させる。真後ろは危ない。万が一の時に巻き込まれる。
しばらく静観。
エクレアはかつて効果観測小隊で腕を磨いた頃のことを思い出していた。
効果観測小隊の任務は苛烈だ。戦闘には参加せず、高空から味方を見殺しにする。
ブリーフィングで言葉を交わした仲間が次々と墜落していく様を逐一記録し、衛星経由で
レーダーパネルの中でタナカ機が静止する。
イントルーダーに正対し、射撃態勢へ。
『タナカさんが射撃を始めました』
「核撃は?」
『……まだです。タナカ機射撃継続中。やっぱりタナカさん上手ですね。まだ七〇%以上残弾を残しています』
「さすがね。いぶし銀の二つ名は伊達じゃないわ」
タナカの戦闘はバレンタインのような派手さがない。
だが、派手ではないぶん彼の射撃には堅実性があった。
「そろそろ落ちそうね」
一方、タナカ機は冷静に射撃を続けていた。
「このままアベンジャーで攻撃を続けましょう」
タナカはイントルーダーの前に占位すると、断続的に射撃を続けた。
少しづつ、イントルーダーの装甲が剥がれていく。
即座に回復が始まるが、それ以上の速度でアベンジャー砲の砲撃を継続する。
『いい感じですね。これなら核攻撃しなくても落とせそうです』
ふと、イントルーダーの挙動が変わった。
両腕を開き、腹部のハッチを開く。
「???」
突然、その開いたハッチから一メートル程度の小型イントルーダーが無数に吐き出された。
「! まずい。あれを吸い込んでしまったらエンジンが止まる!」
イントルーダーから発射された無数の小型ミサイルがタナカ機の周りに充満する。
放出された小型ミサイルに追尾が間に合わない。典型的なスウォーム攻撃。小型ミサイルが次々とエンジンのインテークから吸い込まれていく。
吸い込まれたミサイルはエンジン内部で爆発すると、アルバトロスのエンジンを破壊していった。
「いかん! スズキくん、エジェクト、エジェクト、エジェクトッ!」
すぐにスズキが頭上の黄色と黒のストライプが施されたレバーを引く。ロックが解除されると共にナビゲーターポッドがベイルアウトされ、スズキのナビゲーターポッドは遥か後方へと吹き飛ばされていった。
「……よし」
と、ほとんど同時にタナカ機のエンジンがスクラム・ダウンした。
+ + +
『ねえ、あれは何?』
ルビアがエクレアに話しかける。
「さあ。新型の攻撃手段かもね」
遠くから見る限り、タナカ機が突然茶色い霧に包まれたように見える。その中から飛び出してくるポッドが一つ。おそらくはナビゲーターポッドだろう。
と、見る間にタナカ機のエンジンが
『あ、タナカ機がスクラムした』
「行くわよ、ルビア」
エクレアはスロットルレバーを
「あの開いたハッチを核撃しましょう」
ターゲットモードを核攻撃モードに切り替え、五百メートルの至近距離からイントルーダーに正対する。
が、敵もこちらの意図に気付いたのか、ハッチを閉じると両腕でそのハッチを堅く押さえた。
これでは
エクレアは内側からイントルーダーを焼き払うつもりだったのだ。あのハッチをどうにかしないといけない。
「ダメね。
すかさずエクレアはルビアにそう告げた。
『この距離で?』
「いえ、下がるわ。レディ・キックバックNo.1」
『キックバックNo.1、スタンディングバイ』
ルビアがパネルを操作すると同時に兵装ハッチが開き、左側の
エクレアは徐々に機体の位置を下げていった。それでもバイザーに投影されたターゲットボックスの中心からイントルーダーを離さない。
距離一キロ。
「ハッチの中心を
『No.1レディ・トゥ・ラウンチ』
「……発射」
スクラム・ダウンしてしまったタナカ機のことは気にしなくても良い。
エクレアは赤く表示されているイントルーダーのハッチの中心に戦術核ミサイルを撃ち込んだ。
ほぼ同時に増速。ABレンジに押し込んだスロットルが機体を前に押し出していく。
ミサイルが着弾すると同時に、エクレアは劣化ウラン弾の噴射を始めた。
目の前が白くなる。だが、ターゲットボックスの中の表示は変わらない。赤い線でイントルーダーの輪郭が表示されている。
まずは右腕。ついで左腕。
白い光の中、両腕が切り落とされる。
『あはは、でもこんなことしてたらiPSポッドへ直行便ですね♡』
「他に手があって?」
『確かに』
エクレアは戦術核ミサイルの白熱する光の中、後方からイントルーダーのハッチを探した。
見つけた。
ハッチのヒンジはイントルーダーの後部にある。
エクレアはそこに向かって劣化ウラン弾の噴射を始めた。
高熱の中、打ち込まれた劣化ウラン弾がすぐにハッチを吹き飛ばす。
エクレアは機体を沈めて飛んでいくハッチをかわすと、機体を少し上に向けた。
「ルビア、準備はOK?」
『OKでーす』
ルビアがパネルを操作し、二番目の核ミサイルの兵装ハッチを解放した。
「キックバック発射」
即座にエクレアがトリガーを操作し、白熱しているイントルーダーの開いた腹部に向かって二番目のミサイルを叩き込む。
狙い違わず戦術核ミサイルはイントルーダーの開いた腹部に吸い込まれ、そのままイントルーダーは蒸発した。
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