第6話:兵器と敬意

 機体を溶かしてしまう時、エクレアは絶対にアルバトロスへの敬礼を欠かさない。

 確かにルビアの言う通りアルバトロスは単なる機械、あるいは兵器だ。

 だがそれでもエクレアはアルバトロスに敬意を払う。アルバトロスは自分達を戦場に連れてきてくれる大空の翼、そして人類の最後の防衛線だったから。

 だが今回、敬礼は必要がなかった。

 イントルーダーが弱っていたこともあったのだろう。エクレアは劣化ウラン弾の噴射のみでイントルーダーをほふることに成功していた。

 もちろん最後はお決まりの大爆発。だが、エクレア機はそれも楽々と回避すると無事マリンベース7へと帰投した。

「今日は楽でしたね」

「そうね。でも、iPSタンクには入らないとダメかも」

「診察を受けてからにしましょ? 今回は被曝量も微弱だと思いますよ」

「そうね。とりあえずは病院に運び込まれないと」

 二人はアルバトロスのコクピットから自力で降りると、待機していたストレッチャーに乗せられた。

 すぐに電動ストレッチャーが基地内に移動し始める。

「また退屈しちゃいますねー」

 隣のストレッチャーに横たわったルビアはエクレアに声をかけた。

「どうせ数日でしょ? わたしはのんびりファッションを研究する」

「手伝いますよ、エクレア。一緒に観よう?」

「ん」

 二人は徐々に平常モードに戻りながら、おとなしく病院へと運ばれていった。


+ + +


 結局、二人のタンク滞在は三日間と決定された。それでも二週間留め置きのバレンタイン隊長たちに比べるとはるかに短い。

「隊長?」

 退屈凌ぎにエクレアはバレンタインに声をかけた。

 バレンタインはマリンベース6に入院している。

『んあ?』

 寝ていたとおぼしきバレンタインが眠そうな声を返す。

 このiPSタンクでは睡眠導入剤の投与が許されていた。タンク内の患者が望めばあるいは二週間昏睡状態で過ごすことも可能だ。

 もっとも、常に臨戦体制バトル・ステーションにある降下航空部隊にその選択肢はなかったが。

「わたしたち、あと三日間は留め置きです。隊長は?」

『俺たちはまだ一〇日以上残ってる。ようやく皮膚の焦げが治ってきたところだ。だが、これからが痛いんだよなあ』

「そうですか。わたしたちはお肌も無事なのであと三日で出られるようです」

『それは結構』

 バレンタインの声は少しくぐもっている。iPSタンクの中では液体が音を伝達するため、少し声が変になる。コンピューターが波長変換を行うため違和感は最小になっていたが、それでもどこか別人のような声。

「ところでわたしたちはどうすれば?」

『お前、フライトレポートは書いたのか?』

 剣呑な声でバレンタインが答える。

「いえ、まだです」

『始末書は?』

「それも、まだ……」

 この五日間というもの、iPSタンクを出てからは日光浴しかしていない。本当なら高G耐性のためのトレーニングもしなければならないのだが、二人はそれもサボっていた。

『では、レポートを書け。七日間やる。遅刻オーバーデューは罰金だぞ』

「……ウィ、チーフ」

 しぶしぶエクレアはバレンタインの命令を承諾した。

『大丈夫、エクレア。わたしも手伝うから』

 と、ルビアが会話に割り込んでくる。

『エクレア、作文下手だもんね。正直に書きすぎると始末書じゃなくなっちゃう。大丈夫、わたしが添削してあげる』

「ありがと、ルビア」

 iPSタンクの中でエクレアは頭を下げた。

 iPSタンクは液体に満たされた一つの小部屋だった。それぞれの患者は別のタンクに隔離されるものの、意識があるときは普通に行動できるし、ちゃんと横になって眠ることもできる。呼吸抵抗が大きいため眠るためには強力な睡眠導入剤が必須だったが、それもちゃんとタンク内で投与を受けることができた。

 過去、シリンダー型のiPSタンクに隔離されたパイロットが次々と閉所恐怖症の発作を起こした結果、タンクのサイズは大きくなっていた。

 大きさは監獄と大して変わらなかったが、それでも二週間、あるいは三週間もシリンダーの中に閉じ込められるよりはよほどマシだ。

 国連監察宇宙軍はちゃんとパイロットを人間として扱ってくれている。エクレアはiPSタンクに閉じ込められている時ほど宇宙軍の精神鑑定医療軍団のありがたみを感じることはなかった。

(でも不思議だな。なんで軌道空母では平気なのに地上で閉所恐怖症のパニックを起こすんだろう……)

 ときおり、エクレアは不思議に思うことがあった。なぜ逃げ場のない宇宙空間では平気なのに、赤く大きなパニックボタンを叩くだけで出られる、しかも地上のiPSタンクでは頭がおかしくなってしまうのか?

(動けないと、そんなに怖いのかな……)

 シリンダータイプのiPSタンクに入ったことがないエクレアにはその気分が判らない。

 ここは一つ、聞いてみるか。

「ところでチーフ、今怖いですか?」

 エクレアは集中治療を受けるためにシリンダーに閉じ込められているバレンタインに訊ねてみた。

『あー、怖いね』

 とくぐもった声。

『動けないのはしんどいぞ。今度お前も突っ込んでやる。おかげさまで俺は睡眠薬中毒だ』

 そうか、動けないのは怖いのか。

「遠慮しときます。……エクレア、アウト」

 エクレアはしれっと答えると通信を切った。


+ + +


 エクレアたちは予定通り三日でiPSタンクから引き上げられると、早速ショッピングを再開した。

 ターボ・ヘリで先に訪れた沿岸部へ。沿岸警備隊に偽装された国連監察宇宙軍の駐屯地からシャトルバスでモールへと向かう。

 バスもターボ・ヘリもエンジンは水素燃料、排気ガスは大気に流さない。

 二人は三日前にモールで買ったお揃いのTシャツに身を包んでいた。ルビアは白いミニスカート、エクレアもそれにならって白いショートパンツ。

 一見、二人は姉妹のようだ。もっとも、実際には年下のルビアの方が姉に見える。小柄なエクレアよりルビアは頭半分ほど背が高い。

 つと、音もなく進む無人運転のシャトルバスの中でルビアはめくっていたタブレットの画面をエクレアに見せた。

「ねーねー、エクレア、これなんてどう?」

 ルビアがエクレアに見せたのは、ほとんど裸同然の最新ファッションだった。

「……これ、服?」

「一応ねー」

 ルビアが首を縦に振る。

「まあ、わたしたちには無縁か。いつも軌道空母の中だもんね。こんなの着てたらクリステル艦長に殺されちゃう」

「ん」

 二人は肩を寄せ合うと再びファッション雑誌をめくっていった。


 二人は前回中断したショッピングから再開することにした。

 モールのパティオに降り、小さなワゴンを見て回る。

 これらのワゴンはいずれもエリスの住民たちが開いているいわば青空市マルシェだ。Tシャツなどの服飾品を売っているワゴンもあれば、あるいは農産物を並べているワゴンもある。

「味見していいですかー」

 ルビアは気さくに店主に話しかけると、返事を待たずにエリス産のミニトマトを摘み上げた。

「ああ、もちろんだよ」

 髭面の農夫が笑みを浮かべる。

「エリスは日照がいいからね、トマトの栽培には最適なんだ。甘いだろう?」

「うん、本当に。エクレアも味見させてもらいなよ」

「ん」

 エクレアがミニトマトの山の上から小さなトマトを摘む。

「……本当。甘い」

「だろー」

 農夫が嬉しそうに相好を崩す。

「じゃあおじさん、このトマト少しください」

 ルビアは腕につけたインターコムを農夫に見せた。

「QRコードだね。あいよっ。一袋でいいかい?」

「うんっ。あと別口で五百キロくらい欲しいかな? ちょっと大口の案件があるの」

「おお、それは大商いだな。うちの農場ではそんなに賄えないから仲間に話しておくよ」

 農夫は大きなスプーンでミニトマトをすくうとそれを紙袋に入れてくれた。

「いこ、エクレア」

 ルビアがエクレアの右手をとる。

 二人は紙袋いっぱいのミニトマトを食べながらさらにそぞろ歩いた。

「そういえば、エクレアはもう一枚Tシャツが欲しかったんだよね?」

「ん。なんかかわいいのが欲しい」

 先にモールで出会った少女。あの子に怖がられないような服が欲しい。

「ピンク色?」

「んーん。紫」

「エクレアは本当に紫色好きよねー」

 ルビアが肩を竦めてみせる。

 エクレア隊のアルバトロスは常に紫色にペイントされていた。そして尾翼にはオレンジ色の大きな稲妻マーク。稲妻エクレアは『紫色の悪魔』という異名と共にエクレア機のトレードマークだった。

「じゃあさじゃあさ、あのお店行ってみようよ」

 ルビアがTシャツのオンデマンド印刷をしてくれるワゴンを指差す。

『デザイン承ります』

 大きな横断幕バナーがワゴンの上を飾っている。

「あそこでTシャツ作ってもらわない? あそこだったらエクレアの稲妻マークも作ってくれるよ、きっと」

「ん」

 エクレアはうなずいた。


…………


 そのデザイン系ワゴンはエクレアから詳しく意匠を聞くと、エクレアの思った通りのTシャツを作ってくれた。生地は紫、そして胸元にはオレンジ色の稲妻マーク。

「どうもありがとー」

 ルビアは二枚のTシャツを受け取るとそのワゴンのデザイナーに手を振った。

「まいどありー。今度までにアホウドリアルバトロスの意匠、作っておきますよ。その背景に稲妻マークを重ねればもう無敵、的な?」

「ですねー、また遊びに来まーす」

 無愛想だったエクレアもそのデザイナーに小さく手を振る。

 実のところ、エクレアはそのTシャツをとても気に入っていた。あのデザイナーは腕がいい。

「どうする? 着替える?」

 ルビアがエクレアの顔を覗き込む。

「んーん。これはアルテミスに持って帰る。アルテミスで着る」

「だったらもう一枚ずつ作って貰えばよかったねー」

「ん。でもいい。また来るから」

「そうだね、エクレア」

 二人は仲良く手を繋ぐと、さらなる探索へと戻っていった。

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