エピソード2──帰還──
第5話:マリンベース7
結局、マリンベース7に二週間も足止めを食うことになってしまったエクレアとルビアは暇つぶしに街に出てみることにした。
実のところ、エクレアは市街に出たことがほとんどなかった。暇な時間はもっぱらシミュレータールームで過ごしている。そもそも興味もないし、市街に出かける用事もない。
だが今回は違った。エクレアは滅多に街には繰り出さない。非番のたびに街に出ているルビアとは正反対だ。
だが、なぜかは判らないがちょっと市街を見てみたくなった。そこでルビアに相談したところ、ルビアが市街地を案内してくれるという。
マリンベース7から沿岸の商業地帯にはシャトルが飛んでいる。バレンタインたちが入院しているマリンベース6に飛ぶことも出来たが、行ってもつまらないのでマリンベース7から沿岸部の商業地帯に出てみようというのがルビアの提案だった。
「んで、エクレアは何を買うの?」
エクレアはルビアの上官だが、オフではただの友達だ。
「ん。特に何も考えてない」
エクレアは基本的に服装には頓着しない。そんな感覚は家族が全員亡くなった時に失った。今は着れるものを着て、ダメになったら捨てる。これの繰り返しだ。
エクレアの胸は薄い。だが一応薄いなりに
「ダメじゃん!」
ルビアはエクレアの正面に立つと人差し指を立てた。
「エクレア、素材はいいのに調理がダメなのよね〜」
「……ちょ、調理?」
「そうよ」
そう言いながらエクレアの短い髪を両手で掻き回す。
「だいたいなーに? この丸刈り」
「え、だって面倒ないし……」
「せっかく綺麗な金髪なのにもったいない」
ルビアは自分の紫色の髪に指を絡めた。
「わたしの髪なんてブルネットで太くて硬くて大変なんだから! エクレアが本当に羨ましい!」
「そ、そうかな?」
「そうよ!」
ルビアは『フンス!』と鼻息を荒く漏らした。
「せっかくエクレアが街に出る気になったんだもの。とりあえずアホウドリ(OFA-71アルバトロスの由来となった鳥の名前)柄のTシャツを探してみない? ひょっとしたら機体イラストのTシャツもあるかも知れないわよ」
「まさか。そんなマニアックな……」
「チッチッチ……」
ルビアが指を振りながら舌を鳴らす。
「今時の子供たちを舐めちゃダメよ、エクレア。彼ら、絶対わたしたちのこと知ってるもん。ひょっとしたらイントルーダーのTシャツだってあるかも知れないわ!」
本当だった。
とりあえずと入ったガールズ・ショップだったのだが、ちゃんとアホウドリのTシャツが飾られている。アホウドリのシルエットからインターセプターが飛び出してくる意匠、しかもご丁寧にOFA-71アルバトロスのロゴ入りだ。
「本当だ……」
「ねえ、これ良くない?」
ルビアは一枚のTシャツを胸にあててみせた。
コミカライズされたアホウドリのTシャツ。こちらにもちゃんとOFA-71アルバトロスとロゴが入っている。
「買おう、かな」
「ねー。一緒に買お? おそろにしちゃう?」
「ん」
エクレアは頷いた。
「じゃあさじゃあさ、試着室で着替えて何かスイーツ食べに行かない?」
「うん」
二人は買ったTシャツを持って早速着替えると意気揚々とフードコートに向かった。
ショッピングモールのフードコートは売り場の華だ。派手な彩色のお店が並んでいる。室内だというのにネオンサインがまたたき、陽気なポップミュージックが流れている。
エクレアは半ば卒倒しそうになりながらも周囲を見回した。
子供、母親、それに祖父母。それぞれが食事やスイーツを楽しんでいる。
(これが、わたしの守っている世界……)
惑星エリスは地球の希望だ。
この人たちが人類を存続させている。何がなんでも護らなければいけない人たち。
ふいにエクレアは鼻がツンとして、思わず目を擦った。
わたしが守れなかった家族。
本当だったらわたしもあの人たちのように生活を楽しんでいたかも知れない。
でも今はアルバトロス・ドライバー、わたしはこの人たちを守るために飛ぶ。
つと、ルビアがエクレアの手を握る。
「どうしちゃったの? 涙ぐんだりして」
「ん。大丈夫。ちょっと家族のことを思い出しちゃった」
「そう、だよね。ごめんね。変なところに連れて来ちゃって」
神妙な顔をしたルビアが頭を下げる。
「んーん。いいの」
エクレアは首を振った。
「これが、わたしたちが護っている世界なんだよね」
「そうだよ、エクレア!」
ルビアは大きく首を縦に振った。
「アルバトロスなんて機械だもん。いくら溶かしちゃってもいいんだよ! エクレアは自分のやりたいように戦えばいいの。わたし、ちゃんとついて行くから」
「ありがと、ルビア」
エクレアはもう一度目を拭った。
ふと、エクレアは自分たちが若者の一群に囲まれていることに気づいた。
ティーンネージャーから幼稚園児まで。
少し遠巻きにエクレアとルビアを熱心に見つめている。
ふいに小学生くらいの女の子がサインブックとマジックを片手にエクレアたちに近づいてきた。
どうしていいのかわからない。
だが、ルビアは慣れた様子でしゃがみ込むと、
「なーに?」
と優しくその子に話しかけた。
「お姉ちゃんたち、パイロット、なの?」
「そうよ。でも内緒」
ルビアがウィンクして見せる。
「じゃあさ、じゃあ、そのアルバトロスって飛行機に乗ってるの?」
少女がルビアの胸元のOFA-71を指差して訊ねる。
頬が紅潮している。
エリスの住民たちにとって、監察宇宙軍は畏怖の対象であると同時に憧れでもあった。
「それも内緒」
「サインちょうだい?」
「いいわよ」
ルビアは少女から差し出されたサイン帳とマジックを受け取ると、新しいページにさらさらとサインした。
「エクレア?」
と、ルビアが顔を上げ、後ろで棒立ちになっているエクレアに声をかける。
「あのお姉ちゃんはね、わたしの飛行機の天才パイロットなの。わたしはナビゲーターだけど、あの人は本物の筋金入りよ。サインしてもらいなさい?」
「うん、わかった」
その少女はサイン帳とマジックをルビアから受け取ると、エクレアに差し出した。
「サイン、下さい」
「…………」
エクレアはどうしていいのかわからなかった。
ただ、その場に棒立ちになっているだけ。
上目遣いにエクレアを見上げる小さな女の子。
「エクレア?」
立ち上がったルビアがエクレアを促す。
「う、うん」
受け取ったサイン帳のページに目を落とす。
ルビアはページの下の方にサインしていた。上の方はエクレアのために残してある。
エクレアは歯でマジックのキャップを外すとそのページに辿々しくサインした。
「……これで、いいかな?」
「うん!」
少女は嬉しそうにサイン帳とマジックをエクレアから受け取るとにっこりと笑った。
「どうもありがとうございます」
「どう、いたしまして」
深く頭を下げる少女に対し、自分も頭を下げる。
「じゃあね、可愛いおちびさん」
ルビアは少女に手を振るとエクレアの肩を軽く押した。
+ + +
こんなことは初めてだった。
家族が亡くなって以来、エクレアの時計は止まっている。
人付き合いを避け、ただひたすらにシミュレーターでイントルーダー撃墜のための戦術を訓練する。
民間人と話をするのはいつ以来だろう?
家族に連れられて弾むように去っていく少女の背中を眺めながら、エクレアは別のことを考えていた。
「ねえ、エクレア?」
ルビアに肩を叩かれ、不意にエクレアは我に返った。
「もう一枚、Tシャツ買いに行かない?」
ルビアはなぜか嬉しそうだ。
「うん、いいけど……。ルビアに選んで欲しい」
エクレアは今まで全く人付き合いがなかったことに今更ながら気がついた。
だから、こういう場所でどんな服装をしたら良いのか判らない。
「どんなのが欲しいの?」
目の前でルビアが小首を傾げる。
どんなの? どんな服装をしたらいいんだろう?
少し考えてから、エクレアはルビアに答えて言った。
「もう少し、女の子っぽいのが欲しい」
「判った!」
ルビアが軽く胸を叩く。親指が立っている。
「おもきしかわいいの選んであげる。行こ、エクレア」
二人は手を繋ぐとモールの一階ロビーに集まっているワゴンへと向かっていった。
+ + +
惑星エリスは人類初の植民星だ。緑は濃く、海は青い。海洋面積は約八十パーセント、植生が地球と近似していたため世界各国から次々と農産物の苗が届けられている。すでに牛やヒヨコも到着し、牛乳やタマゴの生産に忙しい。
もう一つ特徴的なのはエリス自治体が自然保護にこだわった事だった。地球環境を異星に持ち込んで環境保護もないものだが、ともあれその取り組みは一定の成果を出している。
地球では資源が枯渇し核に頼らなければならない状態だが、エリスは違った。
地下資源も豊富だし、なによりここには海がある。エリスの生態系は地球と酷似しており、マグロやタラのような魚がすでに食卓に登り始めていた。いずれも国連監察宇宙軍のお墨付き、毒性がないことは保証されている。
エリスに到着した環境団体の面々はこうした状況に感嘆すると同時に積極的な地球環境保護に乗り出した。
曰く:
- 石油製品は極力使わない。
- プラスチック製品は生分解性プラスチックに限定し、分解不能な製品は生産しない
- 電力は極力使わない
- 建造物はすべて生分解性素材を資源とする
結果、エリスはどこかディズニーランドのような不思議な空間となった。
ハイテクなところは徹底的にハイテク、しかし生活は十九世紀のようなスローライフ。
人々はランプを使い、そして木造建築物──エリスではすでに地球の杉や松に酷似した植物が同定されていた──に住まう。
軌道空母がエリスの低軌道を周回し、OFA-71アルバトロスが大空を切り裂いて行く。ソニックブームが鳴り響く一方、地上では牛や豚がのどかに昼寝をしている。
どこか歪な、しかし求められた空間。
エリスはまた地球の食物を供給する一大拠点としても機能し始めていた。牛肉や豚肉、それに小麦や米が徐々にエリスから地球に供給され、地球からは加工技術が提供された。農業区域と工業区域は明確に別けられ、工業汚染を徹底的に排除する。これはいずれも地球環境を汚してしまった事からの反省だった。
エリスの環境を絶対に守る。
それが環境団体のミッションだ。
これは国連監察宇宙軍の活動とは必ずしも相容れない。エクレアたちの活動は極秘任務にカテゴライズされ、洋上基地の存在も、あるいは軌道空母の存在も公式には否定されている。アルバトロスの存在も当然否定された。
それでもOFA-71アルバトロスのTシャツは売られているし、現に小学生ですら国連監察宇宙軍の活動を知っている。
本音と建前。この玉虫色の世界がエリスという植民惑星だ。
そんな中、エクレアはルビアとのショッピングを楽しんでいた。次々にTシャツを胸にあて、ファッションについて議論する。
保守的なエクレアに対してルビアは進歩的だ。
「ねーねー、トップスはビキニでもいいかもよ。ヘソ出しって昔流行ったけどエリスの気候には合ってるもん」
確かに、エリスの気候は地球の熱帯に近い。赤道付近の湿度は百パーセント、大気は蒸気で飽和状態だ。そして毎日のようなスコール。エリスの自然はダイナミックだ。
「そう、だね。地上は暑いね」
「でしょー? ねね、試してみない? 白いビキニとこのショートパンツなんてお薦めだよ?」
「ん」
と、二人は腕につけたインターコムの呼び出しに気づいた。
バレンタイン隊長が呼んでいる。
「はい、隊長」
エクレアはインターコムに話しかけた。
『イントルーダーがまた来たぞ。スクランブル。お前ら出られるか?』
「いえ、無理です」
エクレアが冷静に答えて言う。
「アルバトロスが地上から発進できないことは隊長もご存じじゃないですか? 地上からの超音速発進は不可能です。それにわたしの機体はもう溶けちゃいました」
『俺たちのアルバトロスの修復があと二時間で完了する。マリンベース7にはロケットモーターがあるから超音速発進が可能だそうだ。不幸にして今そこの上空にはアグライアもフナサカも、エリザベスIIもいないんだとさ。俺たちがどうやら唯一の防衛線らしい。エクレア、ルビア、基地に戻れ。核弾頭は調達済みだ』
「了解、チーフ」
命令には従わなければならない。
二人はショッピングモールのヘリポートに向かうとターボ・ヘリの機中の人となった。
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