第7話:HLLV

 二週間後、バレンタインたちの退院を待ってエクレアはマリンベース6から発射されるHLLVheavy lift launch vehicleの乗客となっていた。

 HLLVはマリンベースから軌道空母へ帰還する唯一の手段だ。今回はバレンタインの013号機が生き残っていたためHLLVはアルバトロスを一機背負っている。最大四機搭載可能、HLLVのペイロードは莫大だ。

 エクレアとルビアはまだ怒っているらしいバレンタインの向かいの席に座っていた。

 上から肩と胸を支える安全バーで身体を固定され、HLLV発射のカウントダウンを聞くのはあまり気持ちの良いものではない。

「隊長、フライトレポートはあれでいいですか」

「ああ。お前にしては上出来だ」

 バレンタインがむっつりと答えて言う。

「始末書、もう少し待ってください」

「ああ、いいぞ。罰金は0.1ETHな」

「ウィ、チーフ」

 バレンタインはしばらくエクレアを見つめていたが、やがて再び口を開いた。

「あのなエクレア、アルバトロスの値段知ってるか?」

「ノン、チーフ」

「はいはーい、わたし知ってます。アルバトロスの機体は概ね五百五十ミリオンUSダラー(約825億円)でーす」

「正解だ、ルビア」

 バレンタインはルビアにOKマークを見せると、エクレアに言った。

「お前、いかな監察宇宙軍といえどもさすがに毎回五百五十ミリオンダラーは使えん。お前が機体を溶かすたび、俺が代わりに始末書の山を作っていたのを知っていたか? エクレア、いっぱしのアルバトロス・ドライバーならもう機体は溶かすな。カミカゼ・アタックも今後禁止だ。わかったな」

「ウィ、チーフ」

 エクレアがバレンタインの前で小さくなる。

「だいたい、お前は過剰攻撃なんだよ。必要以上に弾を使うな。戦術核ミサイルキックバックだってタダじゃない。一発十万USダラーするんだ。これが全部アルテミスの戦費になっていることを少しは反省しろ……お前が天才的なパイロットなのは俺も認めるがな、いくらなんでもありゃやりすぎだ」

「……ウィ、チーフ」

 確かに、わたしはアルバトロスを大切にしていないかも知れない。それに戦費も。

 でも、あの巨大カブトガニを見ると頭に血が昇る。血が昇ると何がなんでもあのカブトガニを落とさなければならないという気持ちになる。


 わたしは、一人だ。


 あのカブトガニさえ落とせれば他のことはどうでもいい。

「……まあ、いい。ところでいいショッピングはできたのか?」

 神妙にしているエクレアの姿に満足したのか、バレンタインは表情を緩めるとエクレアとルビアに訊ねた。

「はい、それはもう!」

 ルビアが小さくなっているエクレアのかわりにバレンタインに答える。

「Tシャツも買ったしー、お野菜もたくさん買って冷凍したしー、今回の休暇は大収穫でしたー」

 HLLVの機内に備えつけられた戦術パネルの中、エリスの青い球体の上で赤い矢印が移動していく。

 赤い矢印がアルテミス。アルテミスはまだ地平線の彼方にいる。

 ランデブー時間までまだ二十分以上。あまりにも長い待機時間だ。

「で、どうするんだ、次のアルバトロス? お前のアルバトロスはもう発注してある。Lラグランジュ5の工業衛星から今日機体がロールアウトしたって連絡があった。あとはペイントだけなんだが、また紫にするのか?」

 バレンタインはエクレアに訊ねた。

「はい、尾翼の稲妻マークもお願いします」

「判った。撃墜マークはつけるか?」

「お願いします」

 エクレアが頭を下げる。

 アルバトロスの側面に描かれる撃墜マークはカブトガニイントルーダーを側面から見た意匠になっていた。大きなカブトガニが十機のイントルーダー、小さなカブトガニが一機のイントルーダーを示している。

 バレンタイン達の乗機にはすでに大きなカブトガニが三つ描かれていた。

 だが、その撃墜記録を猛追しているのがエクレア隊だ。

 エクレアの紫色の機体にもすでに二つ、大きなカブトガニが描かれている。

「エクレア、おまえ少し一人でがんばりすぎだぞ。俺たちが二年でやっと三十二機、それなのにお前は一年足らずでもう二〇機か。あのなエクレア、死ぬからそういう飛び方はもうやめろ。なんでアルバトロスが常に複数でドロップするのかをもう一度考えてみるんだな。たまには俺たちに任せろ」

「ウィ、チーフ」


 なぜ、アルバトロスは常に複数でドロップするのか?

 エクレアはそんなことは考えたこともなかった。

 わたしは一人でイントルーダーを落としてみせる。

 わたしは一人で大丈夫だ。

(ねえエクレア)

 と、エクレアはルビアが脇腹を肘で突いていることに気がついた。

(隊長は判っているんだね)

(何が?)

 不思議に思ってルビアに訊ねる。

(エクレアはね、孤独すぎるんだよ。たまには人に頼るのもいいことだよ)

(そ、そうかな?)

(そうだよー。エクレアは一人で頑張りすぎ。わたしと一緒に飛ぶのと同じく、隊長にも頼ってみなよ。きっと楽になるから)

(……考えてみる)

(それにしても……)

 ルビアはキシシ……と笑った。

(???)

(エクレア、天才だって。バレンタイン隊長がそんな風に人のことを褒めるの初めて聞いちゃった)

(……そう、なんだ)

 今、バレンタインは目の前で眠っている。隊長が眠るのは神業だなとエクレアは思う。

 バレンタインもスミスも腕を組み、もう深く眠っている。秒で寝るのがパイロットの義務とはいえ、さすがにあれは真似できない。

「隊長に頼る、か」

 エクレアは一人呟いた。


+ + +


 バレンタイン隊の四人とアルバトロス一機、それにペイロードいっぱいの生鮮食料品を積んだHLLVは極軌道上でアルテミスとランデブーした。

 すぐにドッキングベイが接続され、ベルトに乗せられてエリスから積んできた食料品がアルテミスに運ばれていく。

 バレンタイン隊も乗員用のドッキングベイからアルテミスに移乗した。

「ウェルカム・バック、チーフ」

 出迎えたのはいつも通り、クリステル艦長その人だった。

 クリステル艦長は四十過ぎの美しい女性だった。長い銀髪をシニヨンにまとめ、キャプテン帽を脇に抱えてバレンタイン達に右手を差し出す。

「どーも、艦長キャプテン

 バレンタインはクリステル艦長の右手を軽く握って握手すると今度は敬礼の姿勢を取った。

「クリステル艦長に敬礼ッ」

 すぐにスミス、ルビア、それにエクレアがクリステル艦長に敬礼を送る。

 ザッという衣擦れの音。

 四人はクリステル艦長に先導されてアルテミスの艦内へと流れていった。

「で、どうだったの? 地上は」

「いや、俺らは地上に降りてません。ずっとiPSタンクに閉じ込められていたんでね」

「ああ、そういえばそうね」

 クリステル艦長は頷いた。

「エクレア、ルビア、あなた達はどうだったの? ちゃんと休暇を楽しめた?」

「はい、楽しめましたー」

 口を開こうとしないエクレアのかわりにルビアがにこやかに答える。

「食料品もちゃんと補給しておきましたよ。エリスのお野菜です」

「野菜、だけ?」

 クリステル艦長が少し困った表情をして見せる。

「私はエリスのビーフ・ステーキを食べたいのだけれど」

「大丈夫です」

 ルビアは胸を叩いて見せた。

「牛肉は一トン積んできました。アルテミスの艦内で調理すると電子レンジ調理になっちゃうんで百キロはエリスのレストランで焼いてもらってラミネートしてあります。美味しいステーキをアルテミスでも食べられますよー」

「そう、それは良かった」

 クリステル艦長が笑みを浮かべる。

「私も食べたいんだけど、それ以上に軌道空母運用部隊の若い子達が肉を欲しがってね。ほら、アルテミスが常備しているのはグルテン・ハンバーグじゃない? だからちゃんとしたステーキをラミネートしてくれたのは助かるわ」

「艦長、そういうことは先に言ってもらわないと」

 バレンタインがクリステル艦長を茶化す。

「オーダーがなかったから、補給はルビアにお任せにしちゃいましたよ」

「それでいいのよ」

 クリステル艦長はバレンタインに答えて言った。

「艦からオーダー取ったらHLLVに積みきれなくなってしまうわ。ルビアは若いし、艦の子達とも仲良しだから任せてみたの」

「大丈夫でーす。みんなが欲しがっているものは判ってますから」

「では、とりあえず無事の帰還をお祝いしましょうか。艦内食堂ギャレーに二十分後に集合しましょう。エクレア、ルビア、あなたたちの巣はちゃんと掃除してあるから荷物をおいてらっしゃい」

「アイ、マム!」

 ルビアとエクレアはクリステル艦長にもう一度敬礼すると、居住区画へと浮遊していった。

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