第2話:惑星エリス成層圏上層

 バレンタインはアルバトロスが成層圏に入ったことを確認すると、機体を一八〇度回転させた。

 それまでエンジンを保護し、そしてパイロットも保護していた耐熱シールドが上を向く。

「キャストオフ」

「キャストオフ」

 スミスが後ろから復唱する。

 スミスがスイッチを押すと、爆砕ボルトが起動し機体を覆っていた黒いシールドが剥がれた。

「さーてと、エクレア様はどうしてるかね?」

 透明なバブルキャノピー越しに周囲を見回す。

 居た。

 一キロほど遠方で、小さな紫色の機影が同じく耐熱シールドパネルをキャストオフしているのが見える。

「よー、エクレアちゃん、調子はどうよ」

『良好です、チーフ』

 インターコム越しにエクレアの無愛想な声が聞こえる。

「俺ら後から行くからさ、先鋒任せてもいいかね?」

『了解です』

 濃紺の空の下、遠くの紫色の機体が青いジェットブラストを長く伸ばしながら増速するのが見える。

「は、ここからさらに増速するのかよ」

 呆れてバレンタインは呟いた。

 ドロップ時の速度はマッハ二九、現在でも音速の五倍以上の速度で飛行中だ。

 アルバトロスは最大で音速の十五倍程度まで加速可能だが、敵影を確認する前に加速を始めるエクレアは相変わらず好戦的としかいいようがない。

「スミス、状況説明ステータスリポート

「はい、現在本機は……」

 スミスのステータスリポートを聞きながらバレンタインは忙しく索敵を始めた。


「ルビア、状況説明ステータスリポート

 一方のエクレア機でも索敵行動が始まっていた。

『紫色の悪魔』

 これがエクレア隊の異名だ。

 ルビアが高度な兵装コントロールと索敵を担務し、機長のエクレアががむしゃらにイントルーダーを追いかける。

 だが、『悪魔』の異名はこのコンビネーションによるものではなかった。

 エクレアは絶対にイントルーダーを逃さない。

 そして、イントルーダー撃墜のためには手段を選ばないところからいつしかエクレア隊は『紫色の悪魔』と呼ばれるようになった。

 ルビアが広範囲センサーと偵察衛星U N R Oを駆使し、エクレアが機体を左右に振りながら全周囲を目視で索敵する。

「レーダー」

「ネガティブ。感ありません。ヘッジホッグ隊の撃ち込んだレーダーマーカーは機能していません」

「ヘッジホッグ隊が最後に送ってきた軌道要素からイントルーダーの降下地点を予測」

「ウィ」

 エクレアはフランス系の三〇代前半の女性だった。普通にしていれば美女なのかもしれない。

 だが金髪を短く刈り、目つきの暗いエクレアはどちらかと言うと感じの悪い女性だった。

 一方のルビアはたおやかなタイプの若い女性だ。同じくフランス系だがルビアの髪の毛は黒、これを一度漂白して紫色に染めるという面倒なことをしている。

 エクレアが事務的で非人間的な対応に終始するのに対し、ルビアは常に情感に富み、時には悲鳴をあげる。

「ひゃー、見つけましたよ、イントルーダー! 三百キロ先で降着、現在マッハ2の低速で侵攻中です!」

「OK、追います。ルビア、要素ちょうだい。それから同じ情報を早期警戒機管制機群にも送って」

「ウィウィ、エクレア」


+ + +


「来ましたよ」

 ルビアが送ってくれたイントルーダーの位置情報を読みながらスミスはバレンタインに声をかけた。

「やっぱりルビアさんは速いですねー、もう見つけたみたいです」

「だろ?」

 なおもナビゲーションパネルを操作しながらバレンタインがスミスに言う。

「連中を先に行かせて正解だった……どこだ?」

「三百キロ先の洋上です。座標は隊長のパネルにも送りました……NNE35に北進中、マッハ2です」

「会敵予測時刻」

 バレンタインは自分でイントルーダーの降着地点を特定することを諦めると、スミスにデータ転送を依頼した。

「僕らですか? それともエクレア隊?」

「エクレア隊だ」

「であればおそらく九〇秒以内に会敵します。エクレア機、さらに増速中。現在速度はマッハ8です」

「チッ、敵わねえなあ。しかしケツは持ってやらんとな、っと」

 仕方なくバレンタインもスロットルをアフターバーナーレンジM A X ・A Bにまで押し込むと機体の加速を始めた。


 基本的にアルバトロスの翼に揚力はない。揚力は弧を描いた翼の下に衝撃波を抱え込むことで発生させる。

 そのため、アルバトロスは常に音速以上で飛行する必要があった。

 常に衝撃波に包まれているウェイブ・ライダーであるアルバトロスが前方に向けてガトリング砲を噴射することは実質不可能だ。従って、アルバトロスが砲撃するときには機体を向かせる必要がある。

 これが何を意味するかというと、アルバトロスは常にイントルーダーよりも先に占位し前方から攻撃しないといけないということだった。

 実のところ、これは言うよりも難しい。

 そもそも有機飛行体のイントルーダーはほとんどレーダーに影を残さない。能動電子走査アレイA E S Aであっても、だ。

 そのため、イントルーダーへの攻撃は常に目視で行う必要がある。レーダーや戦術データリンクT A D I Lの支援を受けて地平線の彼方から攻撃することに慣れていたパイロット達にとってこれはまさに悪夢だった。

 まるで、騎士道の時代に引き戻されたかのようだと当時のベテランパイロット達は口々に文句を言い、あるものはリタイヤし、そしてあるものはエリスの空の塵へと消えていった。

 バレンタインやエクレアはこうした先達らの後から参戦した第二世代だ。

 彼らは過去からの資産がないぶん、イントルーダーとの戦いへの順応も早かった。

 バレンタインを始めとする第二世代のアルバトロス・ドライバーたちは早々に電子戦術支援に頼ることを諦めると、必要最小限な支援のみを受けて目視戦闘を行うように順応したのだ。


 極超音速下での目視戦闘。

 これが今エリスの空で行われている戦いだ。


「イントルーダー、視認」

 エクレアは呟くようにインターコムに囁いた。

 いる。

 目の前に。

「……タイプEね」

 エクレアの視認に間違いはない。

 タイプE。今までイントルーダーはAから始まってHまでが確認されている。

 そのうちのタイプEはトゲだらけの装甲を備えた、バイオ攻撃に特化したタイプだ。

 装甲には各種あるものの、イントルーダーの機体は概ね常にカブトガニのような形をしている。この甲羅を使って大気圏を突破し地上で破壊の限りを尽くす。

 惑星エリスは地球が初めて見つけた居住可能な惑星だった。

 場所はイプシロン・エリダヌス、地球からは一〇.五光年の位置にある。

 エリスはこの恒星の第五惑星だ。

 エリダヌス星にはアステロイドベルトおよびエッジワース・カイパーベルトと呼ばれる大きな輪が二つ存在する。この二つの輪の間隙に存在する第五惑星、アステロイドベルトの外側にエリスと名付けられた惑星が発見されたのは三十年以上前のことだ。

 エリダヌス星より〇.五三恒星距離。G型スペクトルを持つイプシロン・エリダヌスを一.五年の公転周期で回るこの惑星は移民には最適と判断され、さっそく移民計画が実行された。

 敵性生物もなく、先住知的生命体もいないこの星は当初約束の地と思われていた。

 だが……

 その落とし穴がイントルーダー達だった。彼らは人類が版図を広げ始めるやいなや、空間のどこからともなく現れ破壊の限りを尽くし始めたのだ。

 植民星に移住した人たちは未来に夢を描き、地球外に可能性を求めた人たちだ。

 監察宇宙軍はなんとしても彼らを守らなければならない。

 また、同時にイントルーダーの存在はなんとしてでも秘匿されなければならない。地球では今でも貧しい人たちが列をなしてエリスへのチケットを求めている。彼らをエリスに送らなけば地球にも未来はない。

 そして、そのためにもエリスは約束のフロンティアである必要があった。

 エリスが危険な場所であってはならない。エリスは地球よりも安全に暮らせる、新たなフロンティアでなければならない。

 それが故にイントルーダーの存在は絶対の機密として保持された。イントルーダーのことを植民者たちに知られてはならない。イントルーダーの攻撃はなんとしても阻止しなければならない。

 そして防衛軍の存在も知られてはならない。

 結果、エリス防衛軍に課せられた任務は非常に苛烈なものとなった。


 勝たなくても良い。ただし、絶対に負けるな。


 イントルーダーは破壊の権化だ。タイプにはよるものの、イントルーダーは地上に到達すれば有毒ガスを撒き散らし、破片付着したバイオ兵器は周囲を汚染する。そしてタイプによっては核融合による大爆発を起こして周囲一帯を焼け野原にする。

 国連監察宇宙軍の参謀司令群はAIを駆使して彼らの目的を探っていたが、今のところ明瞭な回答は得られていない。

 破壊。殺戮。そして生命体の駆逐。

 彼らが成すのはまさにそれで、それ以上でもそれ以下でもない。

 まるで惑星エリスの地表を焼け野原にしようとしているかのようだ。


 事態を重く見た国連監察宇宙軍は地球軌道上で地域防衛任務についていた軌道空母を改修し、全八隻をエリス上空に展開した。

 OCV06 エンタープライズ

 OCV18 アドミラル・クズネツォフ

 OCV21 エリザベスII

 OCV31 フナサカ

 OCV44 アグライア

 OCV56 アルテミス


 OCV61 ヴィクラント

 OCV91 シャルル・ド・ゴール

 艦隊旗艦であるアルテミスもこうして地球から異動してきた艦の一つだ。三本の電磁カタパルトを備えたこの艦は軌道要撃機インターセプターの射出には最適だったのだ。そして、いつしかアルテミスは最前線で戦う戦闘軌道空母となった。


「…………」

 クリステル艦長は艦橋の座席から頭上のモニター越しにエリスを黙って眺めていた。

「艦長、コーヒーでもどうですか?」

 副長のアランがキューブに収まったコーヒーを片手に漂ってくる。

「あら、ありがとうアラン」

 クリステルはアランの袖を掴んで彼の身体がそれ以上漂流しないように止めると、その手からコーヒーキューブを受け取った。

 まだ暖かい。海軍のコーヒーはまずいので有名だが、アルテミスのコーヒーは美味しかった。

「……お砂糖、入れてくれたのね」

「艦長、何年の付き合いだと思っているんですか? それくらい覚えますよ」

 アランが冗談めかして肩をすくめる。

「そうね。三年、か。長い付き合いになったわね」

「ええ」

 アランが頷く。

「さて、バレンタイン隊はちゃんとやってくれますかねえ」

「バレンタイン隊長のことだから必ず仕留めてはくれるでしょう……。でも核の二、三発は覚悟しないといけないかもね。ところでイントルーダーのタイプは判ったのかしら?」

「エクレア隊の観測によればタイプE、です。例のトゲトゲの奴ですよ」

 アランはタブレットを見ながら報告した。

 タイプE。生物兵器タイプのイントルーダーだ。

「ああ、落ちたらバイオ兵器をぶちまけるタイプね。遺伝形質が違うから駆逐は困難、しかも謎の花粉を撒くタイプか」

「ええ。プレスリリース、用意しますか?」

「それは後でいいわ」

 クリステル艦長はため息を吐いた。

「どうせ、また核融合炉の事故とかって言うんでしょ?」

「まあ、そうですな。中性子ミサイルに他の言い訳もない訳で……」

 アラン副長も肩をすくめた。

「バレンタイン隊長が核撃しないことを祈りましょう……たぶん、ムリだけど」

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