第3話 風使い

 ルーサーは馬車の荷台から乗りだした賊をみごとに射貫いた。

 にも関わらず、敵の馬車はスピードを緩めずウェインたちへ迫っている。


 気を抜いてはいけない敵だ、ウェインはそう悟った。


「御者を除いて、残り7人」


 屋根上のルーサーがウェインたちに戦力を告げる。ウェインの後方で魔法の詠唱をしているエミリオ以外で対処するとなると、1人あたり2人以上相手にしなければならない。


 しかしそう分かり易く狙ってくれるものではなく、敵は機動力の馬をターゲットにした。


 最後尾を走っていた馬車がウェインたちの乗る幌馬車の横を抜けて前方に躍りでると、荷台から一気に4人が飛びだし、デュークに襲いかかった。


「終わりだぁ!」


 商人が悲鳴をあげる。


 たしかに状況は悪い。だがウェインはもちろん、ルーサーもエミリオも、陣形を崩してデュークの救援には走らなかった。たった4人なら問題ない、そう思ったのだ。


 事実、デュークは四方から迫りくる斬撃を、斧と盾を駆使して両手で受け止めた。


 その鉄盾はファランクス(大盾と長槍を使った密集陣形による集団戦術)のために作られた大盾で、個人技の取り回しには適さない代物だった。斧にしても、両手持ちを想定して作られた物だ。


 だがデュークはまるで双鞭を操るかのごとく、大盾と斧を振り回していた。それも馬上で難なくと。


 商人は筋肉で膨れあがったデュークの背中を目にしたとき、いつかカッセリアの首都マイトランドの城内で見た、1枚の絵画に描かれた猛々しい男の背中を瞬時に思いだした。


 ただ、商人は正しくその絵画を思いだせた訳ではなかった。そもそも絵画ですらなく、壁画だった。


 それはこの世の根幹を成す6つのエレメント、闇・光・水・地・風・炎を1枚に示して描いた、『六神の戦い』という壁画で、商人が思いだしたのは男ではなく、大地の神トーラの背中だ。


 地と力の象徴たるトーラは、アーサム都市同盟で行われた三国一の力じまんを決めたダイン記念杯で二度の連続優勝を飾ったリウキ=ソーマをモデルにしたもので、少なくとも商人の目からは、デュークはその男と引けを取らない肉体をしていると評されたのだった。


 馬上から馬上へ飛びかかるようにデュークを襲った4人は、またたく間に弾き返されて街道へと転がっていく。


「あと3人」


 ルーサーの落ち着いた声が響く。


 戦闘員を失って御者だけになった先頭の馬車は、戦いを諦めて脇道へと逸れていった。


 残りの敵戦力は、馬車が1台と御者1人、そしてその荷台のなかに、こんな状況でも椅子に腰を据えてひじ掛けを使って頬杖をしている子どもと、その両脇に立つ5級の牙たちだ。


「どうなってる?」


 子どもが高い声音で言った。


 すると右隣の牙が何事かを耳打ちする。


「使えんヤツらだ。オレが出る」


 赤い牙の耳飾りをした子どもが、腰のナイフを手に立ち上がった。今度は左側の牙が慌てた様子で引き留めた。


「いけません! もしものことがあったら、どうするつもりですか!?」


「お宝の合図が鳴ったら勝ち取るまで戦え。それが赤き牙の団員だ」


 子どもはナイフを片手で器用に回しながら言う。


「これが団長に知られたら……!」


 ナイフが5級の牙の喉元に突きつけられ、説得の言葉は止まった。2人の牙の目に、そのナイフ捌きは捕らえられなかった。


「命令したいなら、オレより強くなってからにしろよ」


「しかし……!」


 もはや止める間もなく、子どもは御者席を飛び越えて馬上に立ち、そこから更に一足飛びにウェインたちの荷台へ侵入を試みた。


(来たか)


 それを見逃すルーサーではない。


 番えていた鉄の矢を即座に引き、空中の敵に狙いを定める。呼吸を止めて打つ。その間、わずかに数秒のことだった。


 放たれた矢は真っ直ぐに敵の眉間へ飛んでいく。


 確実に捕らえたと、ルーサーは思った。


 ところが、矢は自ら逃げるように、敵の体から離れていった。ルーサーはこの戦いで初めて声を荒げた。


「ウェイン! 風使いだ!」


 敵がウェインの眼前に降り立ったとき、着地の衝撃が一切なかった。


 風使い。風と雷を司る「風神セマ」の加護を受けた者たち。加護を受けた者とそうでない者では、武器と徒手で戦うほどの差が現れる。


 何の加護もまだ受けていないウェインには、分の悪い相手だ。


「エミリオ、炎の魔法だ」


 ウェインは詠唱を続けて魔力を高めていたエミリオに指示した。


 契約によって六神から加護を受けた者と違い、魔法使いは詠唱により直接エレメントに語りかけて、その力を使う。


 各エレメントは壁画『六神の戦い』にも描かれたように、相反し、あるいは共鳴する関係を持っている。


 魔法使いは6つのエレメント全てを使えるため、加護者に対してその加護の弱点となる魔法を当てることで、優位に立てるのだ。


 しかし常時エレメントの力を借りる加護者と違い、魔法使いは詠唱を必要とする。


 そのため、エミリオが魔法を使うまで、彼を守り切れば勝機はあると、ウェインは考えた。


「見え透いているぞ!」


 敵はそう言いながらナイフを振るった。


 疾い。かろうじてその一閃を受け止めたウェインだったが、その細腕からは想像できない衝撃に重心がズレる。そのうえ、ナイフから放たれた衝撃派が、ウェインの頬を切り裂いた。


「ウェイン!」


 エミリオがつい詠唱を止めて叫ぶ。ウェインはエミリオに集中するよう言いたかったが、ナイフを防いでいるのに精一杯で、そんな余裕はなかった。


「剣を引かなかったことだけは褒めてやる」


 マフラーで口元の見えない敵だが、その目は笑っている。


 だがウェインが気になったのは別のことだ。


「お前、子どもか?」


 幼さの残る目元と、変声期を過ぎていない声色から推測して言うと、その子どもは途端に激昂した。


「遺言はそれだけか!」


 ウェインの剣を軸に身を翻した二撃目が襲う。


 見えてはいた。だが手がおいつかない。


 まずい、と思った直後、


「わぁあ!」


 馬車が石を踏んで揺れ、その振動に耐えられなかったエミリオが盛大に転び、彼の持っていた鉄杖が敵の頭を叩いた。


「んげぇ」


 と目から星を飛ばして敵が倒れる。さらにその上からエミリオが覆い被さる。


「あいたぁ! ……あれ? なんか柔らかい?」


 エミリオは下敷きにした敵を見ながら首を傾げた。


「ウェイン、この子、女の子だよ」


 倒れた拍子に外れたマフラーの下を見れば、盗賊団の一員とは到底思えない綺麗な顔があった。たんこぶが余計だったが、知らぬ者が見れば一国の姫だと見間違うだろうと、ウェインとエミリオは思った。


「おい、ひょっとしてやられたのか?」

「冗談じゃねぇ、団長に殺されるぞ!」

「御者! 引き返せ!」


 後ろからそんな会話が聞こえたかと思うと、敵の馬車は少女を残したまま離れていった。

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