第3話 ひばあじん、山で神に遭遇す③

 そして、今に至る。うぅ、腕が痛い。


 今更だがあの時、何かがおかしいと気付いた時に、さっさと逃げておくべきだったのだ。

 

 いくら小さな山とはいえ、ボランティアするのに手ぶらで来るか?

 普通はちょっとした非常食や怪我人が出た時用の救急キット、少なくとも自分が水分を摂る為のペットボトルくらいは持っているはずだ。

 

 だが、彼…尾沙輝おざき氏は何一つ持っている様には見えなかった。

 身軽で、小綺麗で…そう、何時いつから山に居たのか知らんが、多少は服がくたびれているものだ。それがまるで、空調の効いた部屋から出たばかりの様な身だしなみ。

 確か獣道をひたすら進んでいた時も、汗を掻いた風でもなく、息切れ一つさせず動いてたっけ。

 

 案外、今時の若いアウトドア陽キャは、それが当たり前なのかもしれない。

 しかし彼は…何かが、異様だった。


 

 それより、この先どうするか。

 一刻も早く、這う這うの体でこの場を逃げ出したかったが、如何せん体が動かない。

 

 おげぇぇぇ、うぇぇぇ、と、向こうで汚い声がする。よし、彼がゲロっているうちに…ん?ゲロ?



「ちょっとぉーーー!!!そのゲロもしかして、私の腕ェェェェェ!!!」

 

 

 火事場の馬鹿力とはこういう事か、今までグッタリと動かなかった私の体が、物凄い速さで嘔吐現場へ向かって行った。

 例えゲロを吐こうが(多分)見目麗しい尾沙輝青年がそこに……って、あれ???

 

 叢でげぇげぇと苦しそうに吐いているのは、尾沙輝氏ではなく、ましてや『人』ですらなく・・・何だ、コレ?


 

 丸に尻尾を伸ばした、何というかオタマジャクシの様な、霊魂のディフォルメされたイラストの様な、白っぽく大きいヤツ?

 

 そして顔は、吊り上がった四白眼に少し突き出た所に黒い鼻、その下に大きな口。狐面みたいなヴィジュアルだが、耳は無い。

 目尻や口の部分に朱い化粧が施され、額の部分は花の様な模様と文字の様な物が描かれている。


「ちょ…ちょっと、そこの変なヤツ!返してよ、私の腕、返して!!」

「お……おのれ、騙したなァーーー、この附子ブス!」

 何で逆ギレしてるんだ、コイツ!?


「黙れ、変てこキツネモドキ!」

 頭に血が上り先程までの恐怖心はどこへやら、その辺に落ちていた木の枝で、滅多打ちに殴ってやった。

 ん?腕が戻っている!?


「え、どうなって…うわっ汚ねッ、なんか汁まみれになってて、ベトベト!」

 不快感極まりない状態ではあるが、何故だか腕が元通りになっている。

「なんて不味いもん食わしやがる、この…」


「まだ言うか!バケモノめ、しね、しねッ!!」

 害虫だか害獣だかを発見した時の行動の如く叩き捲り、兎に角ダメージを与えるだけ与えて、一目散に下山に向かった。

 次にまた危害を加えられたら…今度こそは命が無いかもしれない。


 

 はあ、はあ、はあ、はあ・・・

 無事、撒けたか?もう、体力は殆ど残っていない。この辺で5分…いや、1分でもいい、腰を下ろして水を飲みたい。

 けど多分、そうしてしまうと暫く立ち上がれないだろう。安全な場所に着くまでの我慢だ…


「こら、待てぇーーー!」

「ヒェッ!?」

 

 まさか、もう追い付かれたのか?うわっ、キツネジャクシ(?)が凄い勢いで跳ねながら追い掛けて来る。

 空中を飛ぶ訳では無いのか、魂っぽい形なのに…

 

 やばい、焦れば焦る程、足がもつれて…あ、コレ、夢でよく見るやつだ。何か恐ろしいものに追い掛けられているんだけど、全然前に進まないやつ。

 そうか夢なのか、ははは・・・


「んなワケないじゃん、動け、私の足っ、あ…」

 とうとう、足が言うこと聞かなくなって、転んでしまった。ああ、もう駄目だ・・・


「待てって言ってるだろうが、この附子!ぜぇぜぇ、オマエの右手見てみろ!」

 え、右手がどうしたって?…!?

「な、なにコレーーー!み、右手が消えかけてる!?!?!?!?!?」

 せ、折角取り戻した私の右手が…


「オレの方も、辛うじて神霊形態に留めてた実体すらも、保てなくなってたんだ。そうなっちまうと色々ヤバい…」

「……しろ」


「あァん?何だって?」

「説明しろ!兎に角、全て説明しろ、って言うか、私の質問に答えろ!!!」


「うわ~、分かったから棒を振り回すな、痛ェんだよ其れで打たれると、よぉ」




「先ず、貴様は何者だ?」

「オレは、この山に祀られている神だ」


「冗談はよせ、何処をどう見たって低級ザコモンスにしか見えないぞ」

 私はこれでもかというレベルの、冷めた視線を浴びせた。

「いや、本当だって!オマエだって願ったじゃねぇか、オレによォ」


「貴様みたいな巨大キツネメオタマジャクシに願ったつもりは無い」

「……立派な漫画家になれますように」


「え…!?」

「それから、漫画家として食っていけますように。それから…」


「ちょ、うう、わ、分かった、分かったから、頼むから黙れ!」

 なななななんで、知ってんのさー!こいつ、本当に神なのか?

「まだ疑ってるみてぇだな。ま、こんなナリになっちまったんだ、仕方ねえか。だいたい『元神』だし、な」


「元?」

「ああ。この山には昔、神社が有ったんだ。其処に祀られていたのが、オレ。けどな、大昔の災害で神社が流され、誰も詣る者が居なくなり、妖魔と化した」


「それって、神じゃなくって妖怪じゃん!!」

「確かにそうかもなァ。だがな、一応神の力も残っているのさ。ちょっぴりは、な。それで神社に祀られていた石を見つけたので引っ張り出して祠にし、人々を詣らせてたのさ」


「それで、お詣りした人の願い事って、叶えてくれるわけ?」

「ああ、勿論叶えてやるさ。但し、オレの条件に合った奴だけな」


「条件?」

「18歳未満の美しい生娘、以上。そして代償に右腕を頂く」


「うわ、最低だ、コイツ…ん?」

 あれれ、その条件だと私は……



「ふん、そうだよ。オレはよりによって、18歳以上で貫通済の不細工な女を食っちまった訳だ」

「こっちは被害者の筈なのだが、何故そこまで侮辱されなきゃならんのだ?」


「限界だったんだ。1年以上も贄にありつけず、使い魔も消えて居なくなった。いっそことわりを破って、山に来た別嬪べっぴんを見境なくエサにしちまおうかと考えていた所に、オマエがのこのこと現れた」

「で、勘が狂って、18歳以上で貫通済の不細工な女を食った、と。間抜けだな」


「黙れ!そんな子供のようななりで、男に縁の無いツラしてやがるから、間違えたんだよ!!オレなら、紙袋被せても勃たねぇなァ、アハハハ!」

 生まれてこの方、ここまで尊厳を踏みにじられたのは初めてだ。私の中の理性の糸が、プツンと切れる音がした。

「もういい、右手は諦めた。その代わりにこの、ムカつく生物が消えて居なくなるのならば、良しとしよう!」

 

 意思を持って今まで話していた者を殺めるのは、かなり心苦しい。たとえ人の形を成してなかったとしても。

 ところでコイツを倒すの、この手に持ち続けている棒切れで叩き続ければいいのか?こんなドラクエの初期装備レベルで向かった処で、返り討ちに合わないのか?

 

 この一瞬の隙が、相手に先制のチャンスを与えてしまった。我に返ると、奴がこちら目掛けて飛び掛かって来ていた。

 

 願い事を叶えに山に登ったはずなのに、結果は命を落とす事になろうとは…愚か者が望みを願ったところで、罰が当たるのが関の山…なのか。


「オレの物に手ェ出すんじゃねえええ!!!」

 

 え!?

 

 てっきりこちらへ向かってくるものだと思っていた白い塊は、横をすり抜けていった。




 



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