第10話 見て見ぬふりをしていた現実

「――それでは、これで」


 高橋麻衣さんがタブレットに落としていた視線を上げ、こちらを見てくる。


「イラスト製作はひとまず、完了と言う事で」

「はい」


 今日も今日とて俺と彼女はカラオケボックスに来ている。

 何だか定番になっているが、実際いつも使用しているカラオケボックスは静かだし食事や飲み物を注文出来るので居心地がかなり良い。

 まあ、普通の使い方じゃあないのは間違いないけれども、お金を使って利用しているので文句は言われないだろう。


「彼女、シスター・スルトさんも今回の完成したイラストを見て絶賛しておりました」

「それは良かった」

「是非とも会いたい、コラボしたいとも言っていましたね」

「……いや」

「まあ、許しませんけど」


 バッサリとプロデュースしているライバーの願望を切り捨てる麻衣さん。

 そういうはっきりしたところ、正直言って好感が持てる。

 

「さて、と」麻衣さんはこちらにタブレットを返しつつ、それからバッグの中から手帳を取り出す。「今後、先生にお願いしたい事が幾つかあります」


「これは私が言うような事でもない気がしますが、シスター・スルトさんが先生にサムネのイラストを何枚か依頼したいと言っていました。どうでしょうか?」

「ああ、それならたまたまファンアートとして今製作しているものがあるのですが、それを使いますか?」

「……例の件、お受けしてくれないのですよね?」

「今の、ところは」


 例の件。

 何度目だったか、高橋麻衣さんに会った時に提案された事。

 正直言われた時は耳を疑った。

 

「俺は兎に角、今のところは普通のイラストレーターであり続けようと思っています」

「確かにうちの会社と契約してしまえば、自由な活動というのは間違いなく出来なくなるでしょうしね――」


 苦笑をし、それから彼女は手帳をバッグの中に仕舞う。

 そして一言二言、これからの仕事の事について話した。

 それについてはそこまで特筆するような事はない。

 いつも通りいつもの如く、普通の仕事のお話。

 ただまあ、最近Vtuber関連のイラストを描く事が増えて来たな、とは思った。


「それ、と」


 麻衣さんは俺からあえて視線を外してから「これは独り言なんですけど」と前置きしてから言う。


「今は、星見ゲッカさんはリスナーの制御が出来ています。彼女は天然ではありますけど馬鹿ではない、むしろ人並外れた知能をしています。正直契約をした時はここまで頭の良い子だとは我々も考えていませんでした」

「はい」

「ですが、間違いなく限界が訪れます――そしてそれを危惧している我々は」


 彼女は言う。


「いずれ、彼女に対し発言に対する指導を行う事になるでしょう」

「……はい」


 既に予兆はあった。

 星見ゲッカ。

 彼女の口から、俺の名前が出てくる事が、微妙ではあったが確実に減ってきている。

 どこかやりにくそうにしている。

 それは間違いなく、リスナーの増加によりその制御が段々と出来なくなっている事が原因だろう。

 現在、登録者数は四捨五入して40万人。

 リスナー。

 しかしそれは展望台民、彼女のファンだけではない。

 たまたま見ただけの人、箱推しの人、そして――


「……」


『ぶっちゃけトワレちゃん様に近づかないで欲しいわ』

『はっきり言うなら出しゃばらないで欲しい』

『クソ』

『〇〇○○』


「俺は」

「はい」

「正直に言うのならば、女の子として産まれて来たかったと最近は思っています」

「……はい?」

「女の子ならば、彼女の親友として誰に憚れる事もなくあいつと話せますから」

「ああ、なるほど」


 兎にも角にも。


「すいません、なんか。愚痴みたいな事言ってしまって」

「いえいえ、私もただ独り言を言っただけですから」


 ニコニコと笑う彼女。

 邪気のない、しかし屈託のないという訳ではない大人の笑顔。

 酸いも甘いも嚙み分けてきた人だけが浮かべられる、そんな表情。


「では、先生。折角だし、今日は何曲か歌っていきますか?」

「……いえ、やめときます」

「それは残念」


 それにしても。


 毎回麻衣さん、歌を歌うかと聞いてくるのだけれども、もしかして彼女が歌いたいだけなのではないか?

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