第45話 侍従監修『パラレル絵巻』
【ふたつめ】
一体どういうことだ――
まるで好青年だったと聞く山神様が、怒りであのような閃光とすさまじい落雷を?? 八咫烏の武人衆が黒こげだの、吹っ飛んだ左腕が落ちているのを見ただの、どこまで本当なのやら……
「金皇さま!」
「サラは……白絹はどこにいる!」
「いまも三木の庭におられます!」
ドタドタドタっと、あまりの剣幕に鳩宮の侍従・侍女は呆然と立ち尽くす者ばかりである。殴り込みにでも行くような勢いに、制止をかけたのは、斑鳩宮家侍従の男。
(どこかで見たことがある……。記憶する彼の姿は灰色――あぁっ、あの老鳩、美田小園さんに会う前に現れた男性だと気がついた。カラーでみると、こんな風貌だったのかと改めて食い入るように映像を見る)
斑鳩宮といえば、代々金鳩が住まう屋敷、萬鳩にとっての聖域である。斑鳩宮家とはその金鳩に代々仕える侍従家――その家に生まれたのがその男だった。美田小園が東家専属の侍女ならば、この男は斑鳩宮家専属の侍従――いずれにしても生粋の上流貴族である。
(どうりで全身灰色でも記憶にのこるほど、精悍な顔立ちと上等な着物――そして、確かに貴族らしい所作・物言いだったと改めてふり返った)
彼は、サラの母と同い年だった。
金鳩よりじきじきに歌会参上や祝詞奏上の指名がかかるほど信頼も厚かった先々代の東家当主、椿(サラの母の父、つまりサラの祖父)は、斑鳩宮家を訪ねることも多かった。
偶然にも彼も幼きころに母を病気で亡くしており、兄妹がいたという点こそ異なるものの、母を亡くしても立派に務める姿に、わが娘の姿を重ねた。加えて、自分に息子がいればこんな感じだったか、という想いもあり、弟のように息子のように可愛がっていた。
少年だった彼も、今では立派な所帯持ち――33歳の男である。
金鳩のことを兄に任せ、先んじて金鳩の后、銀鳩のいる三木の庭に参上していたのが、この男でもあった。
「金皇さま、金皇さま!」
聞く耳を持たずの勢いに、いっそうハッキリとした口調で制止する。
「銀后さまのおかけで、楓さまが泣き止み、いましがた眠りにつきました折――」
妻の安全と、子が寝ている状況を耳にして落ち着きを取り戻したのか、武智金皇の足はようやく止まった。
「いまも三木の庭にいらっしゃいますゆえ、どうかここよりはお静かに――」
「……あぁ、すまない」
鳩宮の厨房を過ぎ、中庭につづく廊下を音を立てぬよう歩く二人の男。
(あちらです)と侍従の男は声を出さずに、母子のほうを示した。
ふたりの姿を見て安堵したのか、金鳩はその場に棒立ちとなっていた。見れば、ゆらゆらと体を揺らしながら子守歌をうたっている。なんとも心地よく、清らかで美しい歌声であった。
侍従の男にとってはそれが、先々代、東家当主の歌声を想い偲ばせるものとなった。自分を可愛がってくれた椿という東家当主、自分と同い年だという娘――彼らに起こったことを斑鳩宮家に仕えていた彼ももちろん知っていた。ゆえに、ついぞ、口にしてしまった。
「雷の閃光と
『おぉおぉ、これは雷様がお出ましぞ、驚いた驚いた、母も驚いたぞ』
『ギャーギャー』
『銀后さま、白絹銀后さま、ご無事でしたか? お怪我はございませんか?』
『大事ない、大丈夫だ。みなは無事か』
『……あ、……まだわかりませぬが、おそらく……』
『ならば、持ち場に戻り、みなの安否を確認されよ』
『……あ、はい。ささ、銀后さま、こちらへ』
『よいよい、ここでよい。初めての雷鳴に人だかりでは、ただならぬ気配にこの子も泣き止むものも泣き止むまい。どうかここはわらわに任せ、そなたら、持ち場と身辺の安全をはかられよ。離れの西宮もよろしく頼む』
ギャーギャーと泣き止まぬ幼子を抱きながら、冷静で、そして気遣いのある立ち居振る舞いであったと――母であり、東家当主の娘より今は萬鳩の長の后として、ご立派であられたとの賛辞のつもりで述べた。
神々しい母子の姿を見ながら、侍従のことばを聞いていた男は、涙を流していた。すぐに壁側に身体を向け、しばらくその場に立ち尽くした。
妻と子の姿をみて安心した、その安堵から――それだけでは彼の感情を表現するのに不足があるように思えた。手は固く握りしめブルブルと震えている。顔は見えぬようにしているものの、目を強くつぶり、嗚咽でもしそうな声を押し殺すように口に力が入っているのが分かった。
まるで悔いて悔しがっているような?
どういうことか――と思いめぐらせども答えは見つからず、侍従の男はしばらくその場に大人しくいるしかなかった。
どれほど経ったか定かでないが、しばらくして「サラを……」と聞こえた。聞き返す間もなく「白絹とわが子、鳩宮と西宮を頼む」と頼まれ、「会わずによいのですか」と思わず声をかけたが、「こんな顔じゃ、見せられまい」と言って厨房のほうに戻っていった。
厨房に入るや、水場で顔を三度おもいっきり洗い流し、最後に「パァン」と響きわたるほど自分のほほを強く叩いた。大きな肩がいっそう大きく膨らんだと思ったら、いつもの武智金皇の顔に戻っていた。
「まもらねばな」
そう自分に言い聞かすように言うと、「神殿奥宮、その後は現場に行ってくる」と言ってその場を後にした。
侍従の男は、その男に、先々代の萬葉東家の当主、椿の姿を重ねていた。
金鳩たるもの、公務を思えば、山神の住まい神殿奥宮にまず直行するものである。侍従の兄が「金皇さま」と呼び止めたのはそのこともあるだろう。しかし、思えば、まだ少年の頃、先々代の東家当主、椿様も同じような行動をした、と思った。
娘が行方知れずの報を聞くや、斑鳩宮で行うはずだった祝詞奏上を他の者に託し、金鳩にさえモノを言わせぬ勢いと剣幕で捜索に出ていった――。普段の行いと人柄、人望、信頼にて、「事情が事情なだけに」とおとがめなしに終わったことは知る人ぞ知る、斑鳩宮内の有名な話である。
東家当主の父としての姿
金鳩金皇の夫としての姿
息子のように可愛がってもらった侍従の男の眼には、まるで椿様が乗り移ったようだと想えた、武智金皇の姿――それが世界が灰色一色になったあの日、彼がみた光景――玉依姫と思って冥魔界にいる五月に訴えた彼の想いが、交錯する。
いの一番に駆け付け、「サラ」と呼んでいた一羽の男
三木の庭にあったもう一つの世界
パラレルワールドは異界とは限らない
おなじ一つの現実世界にも存在する
並行する糸が奏でる音は、演者によって、聴者によって、錦色のごとく変化する。
あの時、三木の庭で二つの世界が溶け合っていたら――
人生にタラレバはないが、引き寄せる糸により、錦色の織物になることもあれば、こんがらがって、ほどけずにブチっと切るしかない気もちに追い込まれることも――あるのかもしれない――。
一方、あのあと……
男山側の現場にかけつけた
武智金皇にとっては化け物
を見るような不安や恐怖心を
山神に抱いた瞬間であった
――のかもしれない――
脳裏にこびりつく、
アノ男の残像のように――…
* * *
「ごくろうさん」
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