第44話 運命の糸とおし

 まぶしい光が落ち着き、目を開ければまた地に足をつけていた。



 目の前にあるのは、うつぶせに倒れた脳みそ人骨模型。

 逆さまの状態で放った時は、∴に見えた三本の矢。

 冥魔界の地におりて見れば、∵に刺さった矢だった。

 

 相変わらず風矢は横たわっていて

 うちの子、和穂の子の姿は

 ……あれ? いない!?


 ざざ、ざざ、と足を引きずる音――


 三本の矢が刺さりながら起き上がる姿は、ゾンビそのものだ。起きては倒れ、起きては倒れをくり返す。その方向が風矢だとわかると、化け物の執念は異常なものだと改めて思った。


 だけど、それは勘違いだった――


 骨から外れた配線は、タコやイカの足のように脳から垂れている。だが今は、骨を探す気力も、つかむ体力も残っていないようで、ぶらぶらと振り子のように身を委ねている。


 力を失った人骨模型がクラゲのように漂いながら前進する。そして最後、ものすごい勢いで掴んだもの――


 ――それは、息子の手だった。


 呆然と立ち尽くしていた息子は、正面から向かってきた母の、腕をつかむ強さと、倒れる勢いで、自分が下敷きになるように倒れこんだ。


 まるで

 息子を全身かばう

 母のように――


 彼女に刺さっていた三本の矢は、この時を待っていたかのようにグッと前に突きだし、矢の先は息子の脳を貫いた。


 さきほど三人が放った矢は、母の脳裏にはりついた「X」の、交点のまわりに▽の形に刺さっていた。それが息子の脳裏にたどり着くと、今度はそこにはりつく「X」の交点と、三本の矢が、一点に集中するところで地におさまった。


 まるで

 王者の剣が

 地にかえるように――


 その瞬間、一対の脳に浮かんでいたXのしるしは消え、脳みそは粉砕された。


 骨だけになった二体の人骨模型からは生命体の息は感じられない。あるのは、息子の腕らしき部分をつかんだ、母の手らしきもの……。


 配線が力なく垂れさがり、何度も不格好に倒れる姿を目の当たりにした身としては、今もつかんで離さないこの強さは、どこから出たのかと思うばかりだ。


 近づいてみると、仰向けに倒れた息子の手に、なにかが見えた。


「あっ、……あぁ……っ」


 今となってはどうしようもない感嘆が漏れる。


 彼が握りしめていたのは――…


 椿の刺繍飾り。


 和穂の眼でみれば、それがあの東鳩姫の花飾りだと分かった。


 世界線をこえて、記憶が糸でつながる


 カズホがサラに会ったあの日、サラが身につけていた東鳩姫の花飾り。その糸は、母が祖父に買ってもらったものだという。そしてその糸を使って、サラの母が、娘のためにつくったのもの――


 【東鳩姫とうはとひめ錦糸織きんしおり】と名付けられた

 ――椿の花飾り――


 そして今は知る。サラの母の父であり、娘の未来のために命がけて守った萬葉東家当主の名前は――椿だ。


 確かに紡いだ糸。

 サラは愛されていた。

 そして、サラも愛していた。


「そうじゃないのか、サラ……そうだよね」


 今はもうどうすることもできないけれど、せめて――と思えたのは和穂の想いなのか、五月の想いなのか、それとも、わたしの想いなのか……わたしは息子をつかんだ彼女の手を、息子の手のひらへ移そうとした。


 手のひらの位置まで動かした時

 左手首に巻いていた組紐くみひも

 前ぶれもなく切れた


 切れた組紐は、母子の手を撫でるように落ちていった。まるで、彼らの元に帰っていくように――


 ミサンガは、願いが叶った時に切れるという。


 この組紐もそうだとすれば、届いたのは誰の願いだっただろうか――…


 誰だって本当は……「ただいま」と「おかえり」を言ってほしくて、「おかえり」と「ただいま」を、言いたかったんじゃないか。


 あらゆる感情をそぎ落とした彼女が、最後の最後、握りしめたもの――

 

 萬葉東家の血筋を継ぐ息子が、最後の最後まで握りしめていたもの――



 立ち戻る場所……



 そう思いめぐらした瞬間、わたしはまた白い発光の中で聖天した。



 離れる瞬間、和穂の声が聞こえた。


「サラ……。わたくしは……あの時……ありがとうって言いたかったの」


 一筋の涙がキラキラと光る白糸になって落ちていった。


 あたり全体が白く発光していて、その後、彼らがどうなったのかは分からない。


 ただ――、


 まぶしさで目をつむれば、ふたつの残像が浮かんできた。



 *   *   *


【ひとつめ】


「ここはお母上様のお母上様が見つけてくれた、わらわのお気に入りの場所だ。よく覚えておくんだよ、三木の庭」

「みきの……みわ? あっ、これなぁに?」

「これこれ、これはダメ、これはお母上様からもらった大事な宝物なのですから」

「これ~、ほしい~」

「よしよし、いい子だいい子だ。もう少し大きくなったらね」

「いや~っ、これっ、これ~っ」

「そんなに気に入ったのか。まぁまぁ、まるであの時の烏姫と同じだのう」

「おはなっ」

「くすっ……おやまぁ。そうやって目をまんまるくして、屈託のない笑顔をあの姫君もしておったわ……」

「きゃっきゃっ」

「よしよし、いつかこれを譲ろう。お前も、あの息子か娘に会うかもしれないしの」


 ふと空を仰ぎ見る。


「……その時までに……西烏姫の花飾りを考えておかなねばな」


 空に笑みを浮かべれば、西宮のほうからふわりと風が吹いた。


 西風ならい吹けばならいの袖

 幼雛おさなびなつどう 椿の花

 空を仰ぎて 続きをつむぐ


 吹いた西風は、すがすがしく、あたたかかった。



時は進む(▶▶▶)



「ほんにカミナリ様には驚かされましたなぁ。そなたは初めてだから余計じゃな。ふふ……よぉ泣いて、泣き疲れたか」


 赤子の時とくらべ、ずいぶんと重くなった二歳児のわが子を、だっこしたまま縁側に腰かける。起こさぬよう、ゆらりゆらりと揺らしながら、背中をトントンとやる。安心して眠るわが子の顔を見ながら、話を聞かせてやった。


 この花飾りは、母様がお父上様に買ってもらった糸で、わらわに作ってくれた宝物だ。母様が名付けたのだぞ、『東鳩姫の錦糸織』とな。きんしの”きん”は金ではないぞ、にしきぞ。


 そなたの名前を「かえで」と名付けたのは、楓の葉が錦色と言われるからぞ。赤とも黄とも緑ともさまざまな色合いをもつゆえ、錦色じゃ。一つの色に染められぬでよい、そなたは好きなように染められよ。


 萬葉東家当主の血を引き継いでおること、忘れるでないぞ? 

 そなたを一等、愛しておるのはわらわぞ、忘れるでないぞ? 

 そなたのことは、わらわが守るから安心なされよ、必ずぞ?



 ――伝え終わると、幼きころ自分の母親がよく歌ってくれた歌を子守歌にした。


 

 祖父はおなかにいる時に死んだと聞く。

 金鳩に惚れこまれるほどの歌の名手だったその声を、生で聞くことはできなかったが、その血をひく母の声も、さすが椿様のご息女と言われるほど、美しいと評判だった。幼きながらも自慢に思う母の歌声は、今でも鮮明に覚えている。



 *   *   *

 

 この映像をみる目が、他にもあることがみえた。

 二羽の男性の姿――


 (ふたつめの映像に続く)

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