第43話 玉依姫の初仕事
老婆といえば――あの老婆である。
冥魔界行きが決定した五月が、萬鳩の美田小園に声をかけられたあの時、一緒に話を聞いていた老婆である。その後、玉依姫になる覚悟はあるかと問うて、人間界転生を言い渡した老婆でもある。
つまり、わたし三品佳穂は、この老婆のおかげで今ここにいる、ということにもなる……(ありがたやぁ……)
「皮肉よのう」
老婆の声はあの時とまったく変わらない。変わったのは、その声がわたしの口から出ている、ということだ……。
老婆はわたしの口を借りて、目の前の脳みそに向かって説法をつづけた。
「そなたの立ち返る場所、そなたの真の姿、真心を知る者は他に……そう、ここにあったというのに、そなたを戻れなくしたのは、そなた自身なのじゃぞ?」
「貴様は……」
「死ぬに死ねぬ、はき違えた不老不死。我よしの、はき違えた選民思想」
「貴様っ」
「やっていいことと悪いことの分別もつかぬようになって、そなたの今の姿はなんぞえ? 鳩にあらず、人にあらず、おなごにあらず、真の姿をかなぐり捨て、化けの皮さえ剥ぎ取り、死ぬに死ねぬ、輪廻転生もできぬ【異能】という化け物に成り果てた。……どうじゃ、幸せか? 満足したかえ」
よどみなく畳みかける老婆。
自分だったら噛むな…と思う長文だ。
「神を殺し、宇宙を破壊しようなんぞ、万死に値する。これは、そなたに与えられる罰の重さを言っておるのでないぞ。そなたが奪った命の重さを説いておる。万死の万は、萬鳩の
そして今度は女帝Xに向けて――
「おぬしは『赤イチイ』を『赤い血』だと早合点しておる。『しんのぞう』も、心臓ではないぞ」
「何……だと……」
「言葉は持ち主によって意味が変わるというが、おぬしの私心が祝詞の言葉そのものをはき違えさせた。これもおのれの業を得たまでじゃ。……そう思わぬか、ナルセミス」
「貴様ぁぁぁ」
「貴様とはなぁ。おぬしは……わたしではなかったか? ゆえにルシェルと名乗っていたのではないか?」
「お前が、お前がっ」
「脳みそだけで成りすますのも大変じゃのぅ? 息子を夫にするのは何のためだ、神と玉依姫の真似事のつもりか? 表面上の意味で捉えても何もならんぞ。身体を乗っ取れても、御魂はそう甘くはないぞ。おぬしのしたことは網に漏らさず、萬事、おぬしに返ってくるから安心なされよ」
「うぉぉぉおのれぇぇぇええ――っ…」
退路を断たれた者がすべてをかなぐり捨てていくように、矛先は再度、風矢に向かった。
わたしは考える間もなく身体が先に走り出していた。風矢と脳みそ人骨模型の間に割り込んで、脳みその方を向けば、おのずと振りかざされた刃を素手で止めてやろうという気になる……ならざるをえず……。
不慣れにもみ合いになりながら、組紐をつけた左手首をつかまれたその時――
「おかぁさぁぁああんっ! おかぁさんを、いじめるなぁぁぁぁあああ」
二つの声が聞こえた。
一つは風矢が横たわる
もう一つは、その右サイド一直線上に立つ和穂の息子。
こちらへ向かって飛んでくる光る物体を見たが、今は目の前で自分に向けられた刃を受けて立つほかない。……そう思って覚悟すると、ふわっと身体が浮かんだ。
その瞬間、タンっと何かが刺さる音。
今度はわたしの身体が木の葉が舞うように前に宙返り……脳みそ人骨模型の頭上を通過し、その背面を逆さまの状態で見ていた。
よく見ると脳みその背面に一本の矢が刺さっていた。和穂の息子がいる方に眼球を向けてみると、矢を放った後の恰好……。
「え……まさか、うちの子が?」
心の声を整理する暇はない。
今度はわたしが、インストラクターに付き添われる練習生のように手を添えられ、二連の矢を放とうとしている。
(手を添える手は……黒い……羽?)
もしや八咫烏?
ふと、和穂の祖父や、澄矢が
タンっと、鋭く的を射抜く音――
その音を合図にビュンっと上に昇天。
射抜かれていたのは下の方も……
あぁっ、じんじんする……
……こんな時に……
ん? んん? 下だけじゃない??
おそるおそる下を眺めていくと、そこから長くつづく尾……。最後尾に目線がたどり着くや、今度は身体の方に向かってどんどん色が変わっていく。美しい漆黒から真っ白に、そして色づき、この世のすべての美しい色を集めたような――
(あっ、これ、サラの糸箱にあったグラデーションとおんなじ感じ!!)
うわぁぁぁ、と見惚れていると、頭上から男の人の声。
「なかなか、いいセンスしてるね」
やっぱり――風矢!!
親子のラッコか、カンガルーの親子が空を飛んでるような、この局面にふさわしくないファンタジー感……。見上げる位置にあるのは、さっきまで磐座に横たわっていた風矢の顔だ。
「無事だったんだね、良かったぁ……! なんでこんなとこに」
「肉を切らせて骨を断つってやつさ」
「肉を切らせて骨を断つ??」
「あっ、それより、イチイの実のこと覚えてる?」
「えっ?」
「イチイの実、渡されなかった?」
「あぁ、イチイの実!」
そういやそうだったと、大切にしまっておいたイチイの実を手渡そうとした。
「あれ? 口で渡すって言われなかった?」
「あっ、そうだった……」
こうも恥ずかしげもなく言われると、ためらってる場合じゃないのかと恥ずかしげもなく言う通りにした。どうみても親鳥っぽいのは風矢だが、必死にその口に実を渡そうとする。
(これじゃ、どっちが親鳥かわからない)
それでも必死に渡せば、とろけるようなキスをする。
(なんでこの人、こんなにキスが上手いんだろ)
きっと心の声は、やはりダダ洩れなんだろう……。よりいっそう濃厚なとろけるキスをして種が返ってきた。
(そうだ、わたしの分といっしょに袋に入れておかなきゃいけないんだった)
「よくできました」
そういうと雷鳴が響く――。脳天から全身に電流が走ったようにしびれ、彼に抱かれながら黄金にかがやく大きな翼と尾っぽが、蝶のようでもあり、龍のようでもある。「わぁぁ、キレイ」とうっとりと聖天した。
『しんのぞうにわたる あかいちい のうにらいめい ふしのとりあらわる』
あぁ……このことだったのか……
『真の像にわたる 赤イチイ 脳に雷鳴 不死の鳥あらわる』
ほわぁと気持ちよくなっているところで、風矢の声が耳元で聞こえた。
「あともうひと仕事、しておいで、ぼくの玉依姫さん」
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