第42話 あなたは……わたしだ
低い位置から突き上げるようにして、ド――――――ン。
海面スレスレの超低空飛行。突如として現れたゼロと呼ばれた零戦にむかい、撃てども撃てども弾はあたらない。そのまま突撃かと思いきや、敵艦を目の前にして零戦は急上昇し、エンジンを切る。是清さんの最期は、敵とされた下の艦船ではなく、大好きな大空を仰ぎ見ていたのだろうか――
一瞬浮かんだ映像を仰ぎ見た。
だけどわたし、三品佳穂にそんな神業みたいなすごい技量はなく、字のごとく肉弾となって渾身の力で体当たりした。するしかなかった。
脳みそしかない人骨模型は、不意打ちのタックルであっけなく倒された。人生初のタックルの勢いで、自分も吹き飛んだ。倒れながら見れば、脳みそから垂れていた配線は骨から外れ、それを修復するように何本もの配線がさまようように骨を探している。
何も話さないこの時間はやけに不気味だった。
そして、静寂は『わたし』の中にも宿っていた。口を真一文字にしていたのは五月――。かみしめているのは、言いたくない言葉だからだろう。それでも、それはわたしが言わなきゃいけない、と彼女は覚悟していると分かった。
ひとつ息を吸って、すっと吐いた。
「あなたは……わたしだ」
ポツリと静かに、そしてしっかりした口調で、まだ起き直している人骨模型にむかって伝えた。えー! どこが……と口を出したくもなったが、八咫烏の和穂も、現世のわたしも、西宮五月の言葉にしずかに耳を傾けていた。
悲しみの矛先も
怒りの矛先も
外に向けるしかなかった
命がけで守ってくれたと言われても
それが何になったというのだ
のこされた自分は
何を希望に生きろというのか
命なんてかけずに
生きていてほしかった
わたしより
生きてほしかった
命にかえても助けたかった
このわたしの気持ちは
どこへやればいい
あぁ、そうだ
あなたはわたしだ
わたしだから分かる
守られた側の気持ちが
五月は、化け物にではなく、白絹銀后でありサラである彼女に伝えていた。
命がけで守って
それが何になったなどと
思ってくれるなと……
きっと愛するひとは言うでしょう
それで何になったかは
わたし次第だったのだから……
わたしは……
命の大きさを
背負いきれなかった
のかもしれない
命にかえても助けたい相手から
命にかえて助けられてしまったこと
その命をいただいてしまったこと
命がけで守られてしまったこと……
ひざから崩れ落ちたのは
その命の重みに
耐えられなかったからかもしれない
あの時はそれを
悲しみや絶望のせいだと思った
――愛するひとの生還――
たった一つ手に握りしめていた
その望みを絶たれたのだから
望みを託されたのだとも知らずに
最愛のあのひとが生きた証――
その生き証人なのだとも知らずに
「お前に……何が分かる!!」
感情を高ぶらせたのは、白絹銀后か、それともサラだっただろうか――これまでにないがなり声をあげる。
しかし五月は意外な言葉でサラリと交わす。
「是清さんを殺したのは戦争でも鳩でもない。そして、あなたでもない――わたしです。それを…その意味を、やっとわかったのです」
だからあなたの気持ちが分かると言っている、そう五月は脳みそを見て伝えた。まるで理解に苦しむといった脳みそに向かって、五月は続けた。
「生き証人だったってこと。あなたもわたしも――。守るために散った者の生き証人だったんだよ。彼らを殺せるのは、誰かや戦争じゃない。少なくとも、その人があなたやわたしを救うために命がけで守ろうとしたのなら」
守るために短い生涯を閉じた者と、守られ、託され、のこされた者――サラも五月も後者なのである。
「命をかけて守られた側の気もちは分かっても、命をかけて守って死んだ側の気もちは分からなかった。分かっていなかった。……だって、勝手に決めて、わたしを置いて死んじゃったんだもの。だから、悲しみの拠り所と怒りの矛先を探したくなった。それで道をはき違えた」
「お前と一緒にするな……お前に何が分かる!!」
「その死が報われるかどうか、その命が生かさせるか殺されるかは、わたしたち次第だったんだよ」
西宮五月の声は、必死に訴える、あのか弱い少女らしさもあるが、今の声には清濁併せ吞んだあとの潔さがあった。
「あなたの中に……今……おじいさまやお母さまは生きているの?」
「…………」
「少なくとも、和穂が会った時のあなたの中には、彼らは生きていたはずだよ」
「…………」
「わたしはもう……これ以上、大切なひとを殺したくない……ただそれだけだ」
望みを託された
とも知らずに
託された命を
あのひとの命を
絶望とはき違えて
あのひとを殺したのは
自分を殺したわたしだった
そうだよ
わたしは
何もない ただの人間
それでいい
武器を持つより
鎧を身につけるより
ずっと心強いものが
今のわたしの中にはある
彼らは……生きてたから
もう殺しちゃいけないんだ
もう間違わない
もう二度と
だから
「これ以上殺すことは許さない」
五月は最後にキッパリと言い放った。
愛する大切な人を失った苦しみや悲しみは分かる。自暴自棄になり、道をふみ外した者の気もちも分かる。おのれが愛をはき違えたことも――
目の前の相手は、泣くに泣けない脳みそだが、なんとなく涙がにじんでいるのが分かった。立ち戻る場所は、彼女にだってあったはずなのだから……。
すると聞き覚えのある声がした。
そう、あの時の、老婆だ――…
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