第39話 X=Y²{歪の事情}
パン・パン・パン
手を鳴らす音がする。
「はい、はい、はい。ようやく前世のお前さん、西宮五月さんがお目覚めになったかと思うたら、老鳩監修の上映会とはな……ほとほと頭お花畑の、悠長なヤツだ」
(……ちょっ、五月、なにこれ、こっちの手のうち全部見えてるってこと?)
五月の死後の記憶映像をつい今しがた観たばかりのわたしは、五月に訴えた。――が、答えたのは目の前の脳みそ人骨模型の化け物女。
「安心しろ。手のうちもなにも、何もないであろうに」
(高笑いする声がいかにも毒女の女帝っぽい……)
「お前はあとだ、引っ込んでろ」
(い――っ!! だから、なんでわたしは最後なのよっ)
ふんと吐き捨て、わたしの心の声は後回しにされた。
「さて。お次は――銀鳩あらため、三千年至福王国国王ルシェル監修の上映会と行きましょうか。あの後、何があったか。どんな儀式があったか」
* * *
ポタ――、ポタ――と落ちる屈辱のしずくを頭頂部に受けた後、わらわは夫、武智金皇の血肉を喰ろうた。傍らにいる息子にとっては父親の血肉である。
ほかの萬鳩がここへたどり着くのも時間の問題。ならば、この血肉はわれらで独り占めしなければと思った。もう二度と奪われたくない、屈辱を味わいたくない、もう二度と……我慢はしたくない。
「そなたはよぉ耐えた。愚かな者の下で長きにわたりよぉく我慢をしてきた。さぁ、白絹銀后。これからはそなたの自由ぞ。そなたも山神に仕えた萬鳩の長の后ならば、三千年至福王国のことは知っておるだろう」
「三千年至福王国……理想郷のような世界だと」
「おぉ、さすが知っておったか。やはりこの世界はそなたのように賢い者でなければ治まらぬ。そう思わぬか? 理想郷のよう……いや! これぞ理想郷という世界を、わしとともに作ってみないか」
夫の血肉をわが子と食べきった異様さは、神経を鈍らせた。
そして、
これまでの屈辱から解放された高揚感は、思考を鈍らせた。
* * *
さぁ、赤い血の実を食べよ
そしてわが子の口にわたせ
そう そうだ
神と神使いのみが知る祝詞だ
なぜ わしが知っているか
さて 神のイタズラか 運命か
神の使いなんぞやめて 神にならぬか
お前さんからは いい匂いがする
甘ったるく鼻にまとわりつく
まるで同じ血でも通っているような
そうだ お前は『選ばれし者』
お前さんが死ねば わしも死ぬ
わしの命を預けたようなものだ
わしも命がけ 一心同体のお前を
裏切る理由もあるまい
真の三千至福王国をわしらの手で
自由で平和な世界をつくってみないか
今度こそ この手で つかまないか
* * *
断る理由などなかった。
この手は蜘蛛をつかんだ。
蜘蛛の口から出る赤い血の実――さくらんぼ大の赤い実を一つ口にした。つづけて出されたもう一つは、口にくわえて幼き頃にしてやったように、わが子鳩の口に運び入れた。
しばらくすると全身にしびれがやって来て、一寸の間、目の前が暗くなり、気が遠くなった。気を失ったのか定かではない。気づけばこれまでと違う感覚――まるで自分の身体を、後ろから見ているような感覚がした。
口にした赤い実は、まるで蜘蛛の化身のように脳の後方にべったりと貼りついた。そしてセミグモの蜜から精製されトカゲの目に充填される毒のように、真っ赤な液体が脳みそに広がった。
浮かび上がらせたのは、女帝グモの証――「X」
「……やっと器を見つけた」
人一倍大きかった四つ足グモの姿はもうない。銀鳩の白絹銀后と、セミグモの女帝が同化した瞬間だ。
そして自己紹介された――
「ようこそ、わしの名はナルセミス」
* * *
(あわわわわわ)
見せられた上映会で分かりやすく、わたしはアワアワした。
「な、な、――――」
鳴世彌鈴 ナルセミスズ
成瀬彌木夫 ナルセミキオ
共通する「ナルセミ」の読み
(鳴世彌鈴にいたっては、ナルセミスって言っちゃってるし!)
共通する「彌」の漢字
XX
XX
Xってセミグモを上からみた形?
四つはセミグモの足の数?
「あっ、あっ、いゃ――――っ!!」
成瀬彌木夫が東家に来て名乗った「欅」の由来――蝉が脱皮するのが自分みたいだって言ってたアレ――蝉じゃなくて、セミグモで……自分はその本性の皮を脱いで、萬鳩に成りすましているってことを暗に言ってたってこと!?
(あぁ、動悸息切れがしそう……鼻の穴は絶対にひろがっている……)
ツバキが言う、帳簿に記された「X」のしるし――鳴世彌鈴という女が店に入る日は客入りがよく、同時に裏取引、つまり人身の出荷と入荷が活発になるという証言。あれが小園さんの見立ての通り、鳩帝門に通じる参道を使って、人間界と行き来して人身を工面していたとしたら――
それを
……化け物なら……女、鳴世彌鈴になったり、男、成瀬彌木夫になったりすることも可能と言えば可能ですよね……うぐぐぐぐ。
鳴世彌鈴が不定期に現れ、突如消えた理由は、成瀬彌木夫としての生業が忙しくなったからだとしたら……? 成瀬彌木夫あらため、東家当主、欅が神器をうっかり触ってポックリ死んだのが本当に影武者で、姿カタチを変えてじつは生きていたのだとしたら……?
「ぎ、ぎぃゃぁ――――っ!!!!」
わたしは前世のわたし、西宮五月にすがりたい気分になった。
* * *
「ほぉ、現世のお前さんのほうが理解が早いのではないか、西宮五月さん?」
脳みそ人骨模型、あらため、四つ足蜘蛛X付き脳みそ人骨模型が、前世のわたしに喰らい付くように挑発する。
「それとも、気づかないフリでもしていたいのか?」
(……何、気づかないフリって)
五月は返事をしない。
「矢上是清が戦死してほどなく……お前が好みそうな男がやってこなかったか?」
そう蜘蛛女が言うと、わたしの心の中……頭の中というべきか、文字が順番に浮かんできた。
「
『……ぃ、ぎぃえ――――っ!!!!』
目の前の化け物は、わたしの脳内に直接介入してきた。こいつはわたしの心の中を読めるだけじゃなく、脳内に書き込みもできるというのか。
(ご、ご丁寧にルビまで……)
またもや共通する「ナルセミ」……
最後にはクモって言ってるし!
今度は一体なんだっていうんだ
どうせそうだろ、きっとそうだろ
イヤな予感しかしない……
だんだん、ムカムカしてきた
何もかも勝手にお見通しで……
怒り心頭……になりそうなところで急ブレーキをかけ、遊び心が顔を出す。東家でもなんでもないけど、現世のわたしのお家芸だ。こんな時に怒るのは、相手の術中にはまるまで。相手がそう来るなら、それを逆手に取ればいい。
ぜんぶ読まれてるなら
逆に読ませてやればいい
こうなったら……こうだ
『キ』
『モ』
『い』
わたしは精一杯、垂れ幕でも見せるように見せてやった。そしてまた、お前は後だと言わんばかりにスルーされる。
…………。
ところがわたしがスルーされる傍ら、代わりに五月がつぶやいた。まるですべて合点がいったように――
「すべて……、あなただったのね」
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