第36話 家政婦はミタゾヨ『なまえ』

 あの日、鳴世彌鈴なるせみすずは店に来ていた。



 この女が来ると繁盛するなら、毎日来ればいいのに、日雇いで、来るのは不定期。それでもファンができるほどのべっぴんだ。店主も頭が上がらないようだし、べっぴんてのは、やっぱ特権なんだなと思った。


「女に生まれたら、絶対にべっぴんにしてください」と神頼みしたいくらいだ。



 *   *   *


「あぁぁあ、ミスズちゃん、今日居たの~、会えたの、うれしいねぇ」


 夜通し飲んだ酒が残っていたカラミ客だ。


「ねぇ、ミスズちゃん、ミスズちゃんは本当に萬鳩なんです~か?」


(あぁ、めんどくせー)

 誰もがそう思っただろう。

 周りの客もジロジロ見ていた。


「いやぁ~、この世のものと思えねぇくらい、べっぴんってことよ。もしや、別の世界からやってきた? かぁ~、『人間』てやつはこういうものかなぁ~なんてさ」


「ひっく」としゃっくりまで、しゃしゃり出る始末。


 昼間だというのに、完全に酔っ払いのカラミ酒だった。


「まぁまぁ、そんなに褒めても、お代はいただきますよ?」


 女はサラリと交わした。


 がははははと男は笑っていた。


 しばらくすると「便所、便所」と言って、店主のところにカラミにいくもんだから、裏路地のほうに連れられて行った。酔い覚ましか、こっそり説教かと、さして気に留めなかった。


 だけど、その男……その後、会計とかしてなかったと思う。

 

 姿を見てない。


 で、その男はそれっきり顔を出さなくなった。ひさごやの常連客で、酒を飲まなければフツーの男だった。


 聞けば後日、谷底で獣に喰われたような、ひどい姿で見つかったとか――。



 *   *   *


 谷底で獣に喰われたような遺体?

 当主の時と同じ……とは考えすぎだろうか。


 ただ、どうもこう…何か見えない糸で繋がってるような気がして……手繰り寄せるべきなのか、はたまた、こちらが手繰り寄せるのを待っているのか。


 ぼうっと地面を眺めた。


 「鳴世 彌鈴」と

 その横に書かれた「X」の文字。


 イヤなところに目がついた。

 彌鈴の「彌」の中に「X」が四つもあるではないか……。



 *   *   *


「ばぁさん」


 青年は呼び方を「ばぁちゃん」から「ばぁさん」に戻した。


「ばぁさんに何があったとは聞かねえが、ここまでするってことは……身内に何かあったのかもしれねぇけど、あんまり深入りすればあんたも危ない。あんただけで済むならいいが、そんなに甘い世界じゃない」


 少年時代に闇取引を知ってしまった青年の言葉は重い。


「オレも当面の銭は入ったし、これ以上は……こっちの身も危険なんでな、今日で御役御免とさせてもらうよ。南無阿弥陀仏で、ばぁさんからせしめたが本当にあぶくと消えちゃ、本末転倒ってもんだ」


 そう突き放した後、やはり青年は最後までツバキらしかった。


「もし……誰かさらわれたなら、かわいそうだが諦めたほうがいい。それは雲を掴むようなものだ。誰かを捕まえても、そいつは本丸を知らねぇ。どこまでもどこまでも、掘っても掘っても……その前にばぁさんが埋められてしまうぜ?」


 まともに話したのは2回なのに、どこの鳩の骨とも分からぬ老鳩を、この青年ツバキは心配してくれている――そう思ったら、少し胸が熱くなった。


 それを隠すように笑ってごまかした。


「あらやだ、雲なのに、掘るのかい?」


 天を指さし仰いで、地を指さした。


「ふんっ、言葉のアヤさ」


 そう笑って、だけどやはり優しいのだね、ツバキも。


「だから、ばぁさん……。あんたは自分の人生を生きたほうがいい。その子のためにも、ばぁさんはばぁさんを生きろ」


 最後は涙がにじんで、青年の顔を見れなんだ。それでも、この青年にこれ以上、迷惑かけることも、身の危険にさらすこともできぬでな、達者でと別れた。


 最後に……あの子は言うたさ。


「あんた貴族だろ?」

「……バレとったか」

「バレバレだよ、衣を変えても、貴族と分かる。谷あいの平民をナメられちゃ困る」


 そうさな、あの男にナメられても、ツバキにはナメられていなかった。それどころか、平民をナメるなと諌められ、身の心配までされてしもうた。この青年の方がよっぽど侮れない男だと思った。


 東家当主だった椿

 谷あいで会ったツバキ


 あの時、「谷あいの問屋街に茶屋があるの知ってるか」と聞かれた意味……。東家貴族の椿は、谷あい平民のツバキに、その運命を託したのだろうか。


 もしそうであるならば、椿を幼き頃のように褒めてやりたいと思った。


 ほんに、よう見る目があると――


 あなた様によう似て、心の音色がきれいな子じゃったと褒めてやりたい。



 *   *   *


 感傷に浸りながら家路に着きました。

 何気なく、椿が当主だった頃の帳簿を見ておりました。


 こんな風に、ひらりひらりと幼きツバキは帳簿をめくっていたのかしら。リアルままごと――あぁ、束帯につける「平緒」を置いて言った時も、”ままごと”のようだと会話しましたね。


 やはり、椿とツバキは

 何かの縁があるのかしら――


 そんな微笑ましい感傷も、帳簿の次のページをめくり、その名前を見つけた時は、凍り付きました。


 もう驚くこともないと思っておりましたが、この時はガタガタと震え、身体が勝手に後ずさりしたのです。


「成瀬 彌木夫」

「ナルセミキオ」


 ナルセ……どこかで聞いたことあると思ったのだ。


「いやっ」思わず声まで出た。


 誘拐された娘を助け、この東家に住まうことになったあの男が、最初に記帳した自分の名前だ。


 幼名をそのまま通り名に使っていただけと言うて、東家の人間としてふさわしくと、すぐさま改名した。


 それゆえ、この名前を思い出すことはなかった。


 鳴世彌鈴

 成瀬彌木夫


 ナルセミスズ

 ナルセミキオ


 XX

 XX

 四つのX


 椿が引き合わせたのは、ツバキだけじゃなかったのか。


 これは……どういうことなのか……。

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