第37話 家政婦はミタゾヨ『最終回』

 結局――、鳴世彌鈴と成瀬彌木夫の関係性は分かりませんでした。



 確かめようがありません。確かめようとしたところで……今度はサラの身に、何かあってはなりませぬ。断じて。



「あの…成瀬彌木夫という男は、東家に来た後、なんと名乗っていたのです?」


 五月が問う。


「あの男は『欅』と名乗っていました」


「ケヤキ……? 東家当主、椿様の名に音が似ているから?……ですか?」


「分かりませぬ。本人が決めたんでね」


「本人が?」


「あの時は、救世主とばかりにありがたく思っておりましたゆえ、そこにさほど疑念は頂きませんでした。記帳に立ち会っていたわたくしめも、聞きはしましたが……」


「どうして欅なのか?」


「えぇ、『どうして欅と?』と尋ねたら『蝉は欅の木で脱皮するから』って」


「……セミ? 脱皮……?」


「えぇ、『東家にやって来た自分みたいだから』とか何とか……意味はよく分かりませんでしたが、あの顔であまりに美しく微笑むものだから、こちらも微笑み返すだけで」


「…………」


「当主の遠縁と聞いていたのもあって、そこに疑問は抱きませんでしたよ。萬葉東家は歌がお家芸。歴代当主とて萬鳩きっての歌人でもありますから、蝉の脱皮を自分の身の上にたとえ、それを欅の木で現すなんて……なんとも東家の血筋らしいと、感心さえしたくらいです」


「たしかに……そうですね……」



 自分を蝉にたとえ、

 東家で脱皮したと表現した男

 ――成瀬彌木夫。

 


 そして、この世の者と思えぬほどの美貌とされる鳴世彌鈴とのつながり。何者なのか、Xは何を意味するのか……。



「わたくしめも、気にならないわけがありませぬ」



 なれど、掘れば、得体の知れない化け物でも出て来やしないか――。ツバキの言うように、これ以上の詮索は御法度なのかもしれぬ……そう思い、


「当主は……東家を、娘を、最後まで守ろうとしたのだな」


 そのことだけを思うようにしました。


 そして、その娘もサラを守ろうと――


 何があったかはついぞ分かりませぬが、椿の子です。当主の子です。わが子を守ろうとして、何かワケがあって……いえ、本音を言ってしまえば……本当は殺されたも同然の自死ではなかったのか、そう思わずにいられないのです。


 だって……あの……あの子が自死する前にも後にも、偶然とはいえ、目にしたことがあるのです。


 あの男が、西宮から訪ねて来た兄に向かって「本当に言ってないんだな?」と、くりかえし鋭い眼で確認するところを。……とても弟に見えませんでした。どうみても西宮の兄のほうが下、もっと言えば、下っぱに見えるほどに。


 その光景を偶然にも二度も見させたのも、そして、10年以上も経ってそのことを思い出させたのも、先代当主やあの子ではないかと。



(たしかに……そうだな……)


 五月もわたしも同じ想いだった。

 ところが彼女は意外なことを口にする。



「それでも……、サラが幸せならば、それで良いと思いました」



(え……?)



 あの男の手を離れ、神域の西宮に強制的に行かされたようなサラでしたが、馬飼いで父の兄という男が、父親代わりになってサラを養育してくれたのは確かなのです。


 サラも養父を本当の父親のように慕っていて、西宮にいた8年間、なんの事件も、荒立てたことは一つもなかった。それどころか、東家に参上するたび、サラの実父である弟に、サラの近況を報告していたのですから。


 まぁ、これも何か意味があって、男が報告させていたとも取れなくもないですが、それでも――、あの男が斑鳩宮で神器の鏡を触るなんぞ、大罰当たりなバカな事をしてポックリ死んで……その後の彼が金鳩になる姿、そしてサラがその妻として銀后になる姿をみれば、もうこれでいいのでは……と思えたのです。


 思いたかったのです。

 

 祖父の想い、母の想い、それらを想えば……そう思いたかったのです。


 ――すると老婆の鳩は、すぅと大きく息を吸って、目をつぶりながら吐いた。


 この度の神域での騒動と、その後のこのありさまをみれば、父の大罰当たりに匹敵しない、大罪を犯したのだと理解しております。


 神様を殺すような……


 ――しばらくの沈黙の後、これまでの口調とは変わり、すべてを観念したようにポツリポツリと話し出した。


 一族が滅びても……もはや仕方なきことでしょう。蒔いた種は刈らねばならぬ道理ゆえ。ただ、願わくば……散りゆくさだめを、化け物ではなく、萬鳩として全うしてほしい――…


 玉依のあなたさまが生きているということは、神様も生きていらっしゃるのでしょう。だから許してくれとは申しませぬ。ただ、ひとえに……この命を全うしたき想いにございます。


 ――そう言うと老婆の鳩は、東家当主に仕えた侍女らしく、キリとした口調に切り替え、今生最後の口上を述べた。



 「鳩帝門」――この門は、女山と神域を繋ぐ門にございます。


 さきほどの茶屋は、この門前の谷あい問屋街にありました。この谷あい――別の経路をたどると、じつは人間界に通じております。


 玉依姫となる人間の娘の輿入れを世話するのは、萬鳩の役目にございます。人間界から鳩帝門、そして神域まで――それは玉依姫が山神のもとへ輿入れする『参道』であります。ゆえに、人間界への出入りが可能なのでございます。


 何が言いたいかと申しますと……、


 あの茶屋で行われていた大量の人身売買、その工面は、人間界からのものではなかったかと――。そして、帳面にあったXは、人間界にも双荒山の異界にも出入りができ、人身を利用して金儲けをし、そして、餌食にしていた者――人形じんけいをとった人非ひとあらざるもの、すなわち、別界の化け物ではないかと存じます。



 ――そう言い終わると、彼女の足にも見えない糸が辿り着いたかのように、後ろに引きずられるように動き出した。


 とても老婆とは思えぬ脚力で正座の姿勢を保ち、こちらに目礼をした後、ひれ伏すようにこうべを垂れた。


「あっ」

 立ち上がって助けにいこうにも動けない。


「結界を張っておるから、それ以上は行けぬ」

 と、後ろに正座していた老婆。


 引きずられ、もはや正座の体勢も崩れかけたその時……今度は地面のほうから光る糸が湧いて出る。


 まるで蚕糸のような白糸が、キラリと金色か銀色に発光しながら小園という老鳩の身体をくるんでいく。最後にはすべてを覆い、ふわりと宙に浮いたかと思った瞬間、消えてなくなってしまった。


 東家当主に仕えた一羽ひとりの侍女

 ……美田小園(享年70歳)

 

 糸に包まれ、泡のようにあっけなく消えた最期であった。




『ばぁちゃん……、あぶく銭が泡になって消えちゃ本末転倒って言ったろ』


『命という生き銭を使い切れたなら泡となって消えるも本望てもんだ』


『ははっ、その感じ、あん時と変わんねぇな。ばぁちゃんは……ばぁちゃんを生きたんだな』


『ツバキがそう言うならそうだろ、ね、椿』



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