第33話 家政婦はミタゾヨ『あそこ』
「なにか…証拠があるんですか?」
灰色の老婆が正座をして話すものだから、武家屋敷で育った五月も、おのずと正座をして聞いていた。背後の白色の老婆も、しらぬ間に正座して控えている……なんとも奇妙な構図だ。
目の前の老婆の確信めいた物言いに、五月が思わず問うと、彼女は首を二回ふったあと、静かに一度うなづいた。
「絶対に…なにか裏がある」
そう思いました――
* * *
あの男、サラの父親はたしかに、見目うるわしく、政治手腕も優れ、なにかこう…「術中にはめる」がごとく人を惹きつけ、懐に入っていくのです。
にっこりとしたその眼を見れば、彼を感じよく捉える者がほとんどでしょう。
ですがある時、人払いした後、たまたま見えてしまった息のない男の眼――。その死んだ眼がこちらの眼を見つけやしないかと肝が冷えました。一寸の間とはいえ、生きた心地がしませんでした。
しかしながら、曾祖父の代から東家に仕える侍女であるわたくしめは、あの男にとって頼りになったでしょうか。えぇ、確かに、ある部分ではそうでしょう。
……東家当主になるためなら。
それ以外は、あまり近くに置きたくない存在だったのではないでしょうか。
サラの母の死後、幼子のサラを神域の西宮に住まわせ、養育係は男の兄に任せ、わたくしめはこれまでの世話役を解かれました。
……あの男は抜かりありませぬ。
解任、左遷させられたように、わたくしめにも周囲にも見えぬように、厚遇を見せました。左うちわで過ごせるような「いいご身分」をさせてくれました。
会えば「美田殿、お久しぶりです」と声をかけ、周囲から見れば、老若男女、身分を問わず、腹を割り心を砕き、先代当主を思わせる人格者っぷりでありました。うっかりすれば、こちらも全幅の信頼でも置いてしまいそうな――
……いや、そうは参りませぬ。
こちらもそのようにニコニコとし、この生活に満足している、そう思わせておこうと思いました。
自身の公務の多忙さにくわえ、兄に任せてるとはいえ、サラの養育もあったでしょうし、50歳過ぎの余生暮らしの古参の侍女が、まさか遠く外へ出歩くとは、あの男でさえ思わなかったのでしょう。
「ナメられたものです」
ふっ、と目じりを下げた。
老婆の口調は、その言葉とは裏腹に、うれしそうだった。
そしてまた、淡々と語りだす。
上等な巣箱とエサを与えておけば、物申さぬ老鳩と思っていたのでしょうか。
なれど、ナメられてちょうど良かったのかもしれませぬ。
えぇ、えぇ。
……この脚力と記憶力を
ナメられていたおかげで
『あそこ』まで
たどり着いたのですから
* * *
あの時の「平緒の留守番」のように、違和感のあった時はなかったか――
毎日毎日、一日をさかのぼるように、先代当主の言葉や行動を思い出しておりました。なにか、手がかりはないかと……。
それで、思い出したのです。
あれは……娘の誘拐事件の後、であることは確かです。
ちょうど座敷に、当主と二人きりになる時がありました。
「姫君、元気になって良かったですね。あの殿方とも関係がよろしいようで」
「ん、あぁ、そうか?」
……まぁ、当主といえども人の親ですもの、どこの父親も娘のこととなれば、どの殿方が来ても「どこの馬の骨」でしょうと、クスリと笑いをこらえておりました。
「小園、そなたは、知っているか」
「え? 何をです?」
「斑鳩宮から神域までの行く途中にある
「問屋街は知ってますが……その茶屋にまさか……行きたいのですか?」
毒見役が常にある身、東家・東領の主たるもの、御用達でもない店で外食をすることはない……ゆえに、子どもの頃はダダをこねるのである。
「いや、まさか。幼き頃の自分ではあるまいに、小園を困らせたりはしないから安心なされよ」
そう言って、笑い話で終わったことがある。
……なれど、なんであんな話を急に振ってきたかしら。
しかもその後、こう言ったのである。
「今の話は絶対に口外しないように」――と。
「当主が茶屋に行きたがってるなんて誤解でも受けたら恥ずかしいだろう?」と笑ってごまかしていたが、わざわざ「口外しないように」と言うほどの内容でもない。
万が一にもこれが、平緒を置いていったのと同じように、何かのメッセージだったとしたら――? わたくしめは居ても立っても居られなかった。あの時……、当主の外出を引き留められなかった後悔がないわけではない。
その茶屋に何かあるのか――
なにも無いのなら無いでいい。「ただ、確かめたい」――その衝動にかられた。
死人に口なしと申しますが、逆にいえば、生きた人には口ありにございます。
ならば、【生き証人】にはなれましょう。
念入りに下調べをして、現地では短い時間で済ます、それを何回かに分けた。 あの男に、遠出を怪しまれないように。
そして、ついに見つけた――
鳩宮をはじめとする神域の労働者や、女山と神域のあいだで物資をはこぶ行商たちの立ち寄りもあって、鳩帝門前の谷あい問屋街はにぎわい、休憩所となる茶屋は何軒もあった。なかでも繁盛していたのが――
【だんご茶屋ひさごや】
当主が言っていたのはきっと、この茶屋のことだろう。昔のつてを使って調べてもらえば、なんとも末恐ろしい茶屋だとわかったのだから……。
表の顔は、
だんごと茶を提供する茶屋。
裏の顔は、
人身売買が横行する置屋。
人身御供ではなく、売り買いだ。
「……どうしてそれが分かったのです?」
だまって聞くに徹していたが、たまらず五月が口をはさんだ。
「……こればっかりは懺悔です。彼らはカネで口を封じられておりますから、カネでその封を解いたまでです」
「……」
「わたくしも、長らく東家当主に仕えてきたもので、特段つかい道もなく貯まる一方でしたゆえ、口を開かせるくらいの蓄えはあったのでございます」
「まさか、だんご茶屋で…ではありませんよね?」
「それはさすがにできませぬ。だからこそ何度も下見に行ったのです」
「下見?」
「えぇ、ペラペラと話好きで知っていそうな者を物色いたしました。あることないこと申しては話しかけ、話すに見合うだけのお金をわたして聞き取り調査をしていたのです。その点においては、あの男のことを言えないかもしれませぬ。……されども、どうしても調べたかったのです――当主が、この『茶屋』で、何を伝えたかったか」
五月はそれ以上、口をはさむことなく、じっと聞く側に徹した。
なんでも、若い女性や幼児が、高値で売り買いされているとか――。
人身は「だんご」
男は「みたらし」
女は「あんこ」
女子は「つぶ」 女性は「こし」
「草だんご、三色団子、白玉……」
これは容姿分け
年齢は「新茶、緑茶、抹茶」
乳幼児は「新芽、若芽」
隠語を使って、仕入れと注文をこなす裏世界。
買うのは家督相続や政略結婚、金持ちの色情狂い。
売るのは貧困か借金、遊ぶ金欲しさの享楽狂い。
一気に大金が入ると知り、安易に「だんご売り」に手を出す者も多いのだという。
仲介手数料はだんご茶屋の懐へ。
売ったら最後、買ったら最後、売ったほうも買ったほうも、その後も何かにつけ、この件でゆすられ、たかられ、手の中で転がされる人生に転落していくのだとか。
手口は巧妙で、手慣れた様子はその筋のプロ集団。だが、表向きは味も接客も評判の良い「感じの良い人気茶屋」だ。……裏でどことどう繋がってるかまでは掘らなかった。掘ればこちらの命が危うい。
きっとどこまでも蜘蛛の巣のように、地中深く根を張り巡らせておるに違いない。
【それが当主に何が関係していたのか】
――わたくしめには、ただそれだけが重要な問題でした。
そしてついぞ、突き止めました。
娘が13歳のときに
誘拐された事件は
ここに関わっていた
もう……10年も前のことになっておりました。
ですが――、
それだけの年月が経っていたおかげで知り得た、といっても過言ではありません。
大金をばらまいて周囲に「かん
* * *
サラの母は若くて色白のべっぴん、さらには上級貴族で上等品の新入荷――その意味で「上白玉/朝摘み緑茶」と、帳面にお品書きされてもおかしくはなかった。
おかしくはなかった、とは
そうはならなかった、ということ。
サラの母は「売り買い」ではなく
「交渉の道具」として誘拐された。
証拠はなくとも、そうだと思えば、すべてがつじつまが合う。
娘を誘拐され、茶屋の裏の顔、置屋の実態を知ったあと、
「東家に自分を住まわせ、娘と結婚させろ。さもなくば娘の命はない」
もし、あの時、そう脅されたのなら――。
父親なら娘の命を救いたいと思うだろう。しかも相手の要求はカネではない。断れば、娘は殺される。
男を東家に住まわせ
男と娘を結婚させる
そんな気狂いする条件も、娘がどこの誰とも知れぬところへ売り飛ばされ、どんなことをされるか、殺されるのかも分からないことに比べれば、飲める条件になったのかもしれない。
当主が伝えたかったのはこのことか、と思いめぐらせた頃、わたくしめはもう一つ、おぞましい事実を知りました。
男のそばにはいつも、「もう一人の男」が舎弟のようにくっついてた、というのです。……このことは当主も知らなかったのではないかと、今は思います。
男によく似た風貌で
男から「兄さん」と呼ばれていた男
サラの養父であり夫
のちに「武智金皇」と呼ばれた男
すなわち、われらが萬鳩一族の長――金鳩なる者にございます
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