第32話 家政婦はミタゾヨ『女の勘』

 名は「美田みた小園おその」という。


 今や灰色に包まれた萬鳩の老婆だが――彼女はサラの侍女であった。


 サラだけでない。なんと、母、祖父の世話役を務めてきた熟侍女……。


 曾祖父の時代より、東家に仕えてきた重鎮――聞けばなんでも知っている、「生き字引」的な存在だった。



 *   *   *


 サラの祖父は18歳の時、幼なじみだった祖母と結婚し、若き当主となった。


 同い年の祖父母は仲睦まじく、娘をその年すぐに設けた。


 それが、サラの母。


 サラの祖父は、先代に劣らず人望が厚く、東家内はもちろん、金鳩の斑鳩宮家や他の三家にも信頼が厚かった。


 なにより彼の声の美しさは、当主になる前よりかなりの評判で、金鳩はその歌声に惚れ込み、斑鳩宮での歌会参上や祝詞奏上を直々に指名するほどでもあった。


 侍女の小園――この時35歳。



 *   *   *


 もちろん、神使い萬鳩の世界とて、次期に継ぐ金鳩争い、銀后争い、当主争いが水面下でなかったとはいえませぬ。


 ゆえに、どれほど上に可愛がられていようと、周囲からの人望や信頼が厚かろうと、東家当主として、その手綱はしかと握っておられました。


 出で立ちは柔和に見えますが、幼少期より、用意周到なところも、繊細で慎重なところもありました。


 それは――山神さまや金鳩さまの御前に参上する時の正装「束帯そくたい」につける帯紐「平緒ひらお」が良き例にございました。


 狩衣かりぎぬになる時もどんな時も、外出となれば、誰かれに会わずとも、東家当主しか着用できない、代々引き継がれた平緒を、人目を忍び携帯しておりました。


 留守中のわれらを警戒して……とは言いませぬが、どこに死角があるやもしれぬという思い、何よりこの東家を守りたいという想いからでしょう。


 それがわたくしめが知るかぎり、ただ一度、置いていく日がございました。



 *   *   *


 あの日――、


「平緒は良いのですか」

「あ、あぁ、……そうだったな」


 忘れるなんて珍しいと思いました。


「あ、いや…、やはり今日は平緒に…留守をたのもう」

「いいんですか」

「あぁよい。東家を守るものだからな。これからも頼んだぞ」


 こんな風に誰ぞやの肩に手をやるかのようにして、帯紐の平緒にむかって話しかけるものですから、まぁ珍しいことと思いました。


「あらやだ、そんな子どものおままごとみたいなこと」

「……子どものままごとか」


 その表情は初めて見る表情でしたので、なんと表現してよいのやら。


 寂しそうな…いえ、でも優しい微笑みも浮かべていらっしゃいました。いや…厳しくもありましたか…。


「子どものこと、頼んだぞ」


 最後はいつもの口調に、いつもの表情でしたので、その時は気に留めませんでした。最後の言葉も、それは今しがたの留守中のこと、と思っておりましたゆえ。



 *   *   *


 子どものこと、とは――

 当主の一人娘、サラの母のことです。


 当主の幼なじみであった妻は、身体が弱く、24歳で短き生涯をとじました。


 その時、娘は6歳。


 40歳を超えたわたくしめでは、母の代わりにはなれなかったでしょうが、当主が公務に追われる中、美しかった母君と瓜二つの娘を、わが子のように可愛がりました。


 それが、あの子が13歳の時

 一度、誘拐にあいました。


 ほどなくして無事と分かり、どれほど安堵したか分かりませぬ。


 その誘拐騒動で救世主かのように現れたのが、あの男――、のちにサラの父となる男にございます。


 当主みずから「彼が娘を助けてくれた、命の恩人だ」と言えば、だれが何を疑いましょうか。しかもその男は、当主の遠縁の親戚だというのですから。


 そして2年後――、またもや男が活躍するのでございます。


 男は、娘の夫となっており、妻のお腹には子も宿しておりました。


 誘拐のことはすっかり忘れ、忙しくも充実した日々がやってくると思っておりました折、突如として行方知れずとなったのが当主――そして、その遺体を発見したのが娘の夫、あの男にございます。


 遺体の損傷が激しく、運ぶに至らず、その場で埋葬……東家当主の刀をせめて形見にと持ち帰ってきたという。


 確かにその刀を見れば、ほんとうに当主のものだと、認めざるを得ませんでした。


 深い悲しみに暮れながら、このあと東家はどうなる、どうすると、少なからず動揺と混乱もございました。


 そこでまた、あの男が浮上するわけでこざいます。


 結果……、当主にまでなりました。



『ずいぶんと事がうまく運びすぎやしないか、この男にとって――』



 なんと無粋なと、自分の念を消し去ろうと試みましたが、こればかりは……

 『女の勘』と申しましょうか……何かがずっと、引っかかるのでございます。



 *   *   *


 東家当主の直系の血筋として、たった一人のこされた若き娘。


 夫を得た身といえども、いずれ自分も親になる身といえども、まだ15歳。寂しくて泣くことも、どうしてどうしてと、隠れてわたくしめに問うこともありました。


 母を早くに亡くし

 父まで亡くすとは

 夢にも思わなかったでしょう


 当主とて…、公務を背負いながらも、妻の分までと傍目にも愛情をいっぱい注いでおられましたゆえ、父として、親としての無念を思うと…どうにかしてやれないものかと思いました。


 それであの日の話――、父である当主が行方知れずになったあの日、東家当主に代々引き継がれてきた「平緒」を置いていった話を、娘にいたしました。


「虫の知らせでもあったのやも知れませぬ。きっとそれで、子を頼むといって置いていかれたのですよ」


 慰めのつもりでした。


 親の愛情、親心を伝えてやりたくて

 これが自分の知る

 父である当主の、最期の言葉だと――


 今となれば、あんなことを繰り返し聞かせなければ良かったと思うのです。


 長きに仕えてきた侍女の、老婆心の思い込みかもしれませぬが、これもまた……『老婆の勘』と申しましょうか。


 ぬぐいきれぬ疑念が浮かぶのです。


 あの子――サラの母は、サラを生んだ後も、育児に追われる傍らで、あの子なりに調べていたのやも知れませぬ。


 父の死の当日の動きや

 本当に事故死だったのかまでを……


 そしてそれを

 あの男に打ち明け

 問うてしまったのではないかと――



 *   *   *


 サラの母は、サラが6歳の時にこの世を去りました。


 発見されたときは、すでに息がなかったと聞きました。ことが事ゆえ、外向けには「病気による突然死」として伝えられました。


 夫の男は、公務に追われて妻の異変に気づいてやれなかったと、悲しさの中に悔し涙をにじませ、幼き一人娘のサラを抱きしめ詫びる姿は、周囲の涙をさそいました。


 なれど――、


 あの子が「自死」だなんて……


 絶対に有り得ないことにございます



 あの子は……早くに母を亡くして、寂しい想いをしましたゆえ「わが子には絶対にそんな想いをさせない」「どんなに苦しくても、病気になっても、這ってでも長生きしてみせる」……そう意気込んでおりましたから。


 母を病気で亡くしたのが

 あの子が6歳のとき

 あの子が自死したとされるのが

 サラが6歳のとき


 じぶんと同じ悲しみを

 よりにもよって同い歳に

 みずからの手で仕向けるとは

 ……到底考えられないのです



◆◇◆ 『女の勘』とは―― ◇◆◇

証拠なくとも(男がチビリあがるほど)鋭い説得力があるもの。

時代や文化の差が生じにくく、総じてギクリとさせる威力をもつ。

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