第34話 家政婦はミタゾヨ『好青年』
「きっとあの夫も……、最初からグルだったのですよ」
サラの父は、誘拐事件のときに救世主のように現れ、遠縁の親戚として、東家に住み着きました。
その2年後に結婚し
そのさらに5年後に
サラの母は死んだ
医師で馬飼いの兄が
神域で働いているからと
幼きサラは西宮に預けられた
西宮のことは正直、死角でした。
萬鳩にとって「神域」といえば、鳩宮を思い浮かべますゆえ……。
ですが、東家との往来もあり、何度か顔をみたこともあります。顔はあの男と似ているわけですから、その見目のよさも印象に残っていました。……その男があの男の兄で馬飼い、だから西宮にいると聞けば、そうなのだと理解しました。
のちに西宮で働く女中のことを調べれば、あの置屋が頭をよぎり、なぜもっと調べなかったかと思いました。
「本当によく……お調べになったのですね。……そのご苦労いかばかりかと」
五月がそう言うと、老婆は首をふる。
「これが苦労だとしたら、当主や、あの子やサラはどうなります。それに、わたくし一人であれば、ここまでは知ることはできませんでした」
そう言うとまた、谷あい問屋街で
調査をしていた頃の話に戻った。
何度か下見に行くうち、この子という青年に会うことができました。歳は17、18歳といったところでしょうか。正確な歳は本人も分からないと言っておりました。
サラの母が13歳で誘拐されたのは
もう10年前のこと――
つまりは彼がまだ7、8歳の少年
だった頃のことです。
それくらいの子どもが、小遣い稼ぎに茶屋などで雑用をこなすは、この谷あいでは普通のことだそうです。さっきの「上白玉/朝摘み緑茶」の隠語も、この子から聞いたものです。
* * *
「あぁ? 10年前? ばぁさん、なんかヤバイこと知ってるの?」
「あの時、みんな、いくらもらったんだい? 口封じに」
ダメ元で、少しばかり鎌をかけてみました。
一瞬、目を吊り上げて、知ってるのかアレを、って顔をしてくれましてね。かけた鎌を引き寄せるようにして迫ったのです。
「もう10年だ、もらった値段くらいいいだろう」
10年という月日と、自分がもらった値段を言うくらいならという気楽さから、口の封は、経年劣化したセロハンテープのように、ゆっくりキレイに剥がれていった。
「その値段の倍の値段、ことによっちゃ3倍、いやそれ以上もありえるが、少し話に付き合ってくれないか」
「倍? 3倍?? それ以上!? あんた、正気かよ」
「……あぁ、正気中の正気さ。暇つぶしと思って、ちと付き合うておくれよ」
「はぁ~……いいけどよ、さすがに子どもの時の話だ。覚えてることなんて知れてるし、内容によっちゃ、話せないこともあるぜ?」
悪ぶっていそうで、まぁ、なんと素直な子だこと、そう思いました。この子にかけてみようと……ここでも『女の勘』でしょうかね。
ふふ、と老婆はその時の映像を思い出して微笑んだ。
* * *
オレはさ、10年前のあの日の朝、茶屋の裏路地で店が開くのを待ってたんだ。小遣い稼ぎの雑用係に指名してもらおうと、一番乗りを狙ってね――。
だけど、ひさごやの店主がやけにソワソワしていて、今日は店を開けるのか閉めるのかみたいな話を、誰かとヒソヒソ話していたのを聞いた。
「なんでも朝摘みの緑茶が入ってくるんだってよ。だんごは白玉、しかも上も上、特上白玉だってよ」
「本当かよ」
「さぁな、だけど売り物にはならんかもしれんぞ、帳簿には書くなって」
「なんだそれ」
で、結局、店は普段どおりに開いて、オレは狙い通り、雑用係に任命されて、その日はひさごやで働いてたんだ。
子どものオレにとっては、自分の身に降りかからない裏事情なんてどうでも良かったし、まかないで茶付きでだんごが食えるとくりゃ、毎日でも通いたい場所だった。
で、時々、大人の真似ごとで、帳簿をチラチラめくったりしてさ。「リアルままごと」みたいなもんをひそかに楽しんでたんだ。
その日の帳簿の先頭にあった
「上白玉/朝摘み緑茶」の文字は
消されてた――
漢字はろくに読めないが、商品の名前は字の形でなんとなく覚えてたから、なんて読むのかは分かった。
(あぁ、これが朝いってたやつか?)
そう思っただけでオレは実際にその女を見てないし、多分、ひさごやの店主も見てなかったんじゃないか?
だけど、その後になって、えらく羽振りのいい口封じが始まって――
帳簿のそのページ、あとで見たら破り捨てられてたんだよ。他の仕入れとかも書いてあったのにさ……。
1ページごっそり。
で、なぜかお金が配られた。
オレも、帳簿を見たって言ったから、「ほれ、これくれてやる。だから今日見たことは忘れろ」そう言って店主から渡された額が、びっくりした。
「だって、小遣い稼ぎの3か月分だぜ?」
そんな大金、初めて見たし、大人って正気かよって度肝を抜かれた。
忘れるだけならお安い御用って思ったけど、まわりの大人の顔色の悪さっつーか、引きつった感じ?……それが妙に気になって仕方なかった。
そんなにまずいことでもあったのか――?
ま、別にオレが知ってるのはその程度だし、それ以来そのことを口には出さなかったけどな。ただ、あまりに奇妙すぎてさ。「忘れろ」って言われたのに、忘れることはなかった。
「そうか、そうか。しかし、6歳か7歳の子どもに3か月分も渡すとは、そりゃ、いやでも記憶に残るわね」
「そうなんだよ、ばぁさん。分かるだろ、そんな奇妙なことあるかよ」
「他に、奇妙なことはなかったかい?」
「あぁ~? だからそんなに覚えてねぇよ」
「なんでもいいんだよ。そのひさご茶屋だっけ? 何か覚えてることないかい」
「『ひ・さ・ご・や』ね。何かって何を知りたいんだよ、ばぁちゃん」
「あら、『ばぁさん』から『ばぁちゃん』に変わったねぇ」
そう言うと
「……えらく変わった『ばぁちゃん』だな」
と言って、照れ隠しなのか、耳の後ろをガシガシと掻いた。
「なんでもいい……ねぇ、う~ん」
「そのさ、さっき言った隠語だっけ、そういうの。オモシロイのないのかい」
「あぁぁぁぁ~? う~ん」
「よそじゃ使わないけど、その茶屋だから使っているみたいなこととか」
わたくしも必死でした。
「あっ、……あ~……でもなぁ」
何か思い出したようでいて、躊躇している様子をみせましてね……。そうなるとますます知りたくなるのが道理にございます。金で釣るわけではありませぬが……いや……ここは懺悔、懺悔と思いながら交渉しました。
「さっきの3倍の値段でどうだい」
呆れた顔でため息をつかれましたが、
「…………それに見合う話かは……責任もたねぇけど」
そう前置きして、だんご茶屋ひさごや特有の『しるし』を教えてくれました。
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