第30話 矛先+後盾x=矛盾xのしずく
「あの日――金鳩を喰った」
しっぽを前にして、「気持ち悪い」と思えたら良かった。
だが、無性に腹がへり、喉がかわいた。
それが冥魔界という別の異世界に来たからなのか、理由はわからない。
遠くのほうから、他の萬鳩がこちらへ向かっているのが見えた。必死になにかを求める表情は、飢えと渇きからだろうと思った。
立ち尽くす自分。
その隣にくっついているのは、わが息子。いよいよ血のつながりはこの子だけか――そう思った。
そのあとの記憶は、
スッと上から下りてくるのは
金鳩の首――
しかも
まだ生きている生首だった
吊るしているのはセミグモの
それは、女だった
ハチの女王でもクモの女郎でもない
「セミの女帝」
他のセミグモより大きな羽――それを時折、扇のように震わす。ジジジジジジと、じぶんで鳴らした音さえも
頭上の木枝から糸をたらし、先端に巻きつけた金鳩の顔を、白絹銀后の顔の真正面に来るようにして、ご対面を果たさせた。
「よく来たな。これはお前さんの夫なのだろう?」
お前さんの夫といわれ、からだが拒絶反応をおこした。
「おや、元夫といったほうが良かったか?」
「……た……す」
女帝グモの糸は、金鳩の脳みそに配線をはりめぐらせ、その脳が送る電気信号を読みとって目や口などに反応させた。
もはや萬鳩一族の長だった金鳩の姿ではない。見るも無残な男の…いや、操り人形の…ちぎれた頭だ。
「……たす……け……て」
助かるわけもないのに命乞いする姿が、なんとも憐れで、醜く思えた。
「ふふふふふ、さて、どうしてくれようか。突然こちらへ移住してこられては困ったものよ」
確かに……と思った。
神の使い、萬鳩とはいえ、ここでは転がり込んできた「よそ者」、しかも神殺しの大罪を犯してきたばかりの罪人一族だ。
罪の意識に囚われている自分の姿を、この女帝はどう思っただろうか。
ポタ――――、ポタ――――、
頭頂部に一滴、また一滴、ゆっくりと正確に、等間隔で落ちてくるしずく。
得体のしれぬ液体
女帝の体液というべきか
紅と緑の色
交互にまじり
異様さを演出する
「さて、お前さんに問う。夫…元夫の肉を子とともに喰うか、子をわしに捧げるか、お前さんがトカゲのエサになるか、どれを選ぶ?」
甘く優しい声で白絹銀后に問うた。
ポタ――――、ポタ――――、
微動だにできないでいる自分の頭に落ち続けるそれは、メトロノームのように時間を刻む。
「さぁ、どうするお前さん。三択もあげたぞ? お前さんの父が、母に与えたよりは多いぞ。なぁ?」
「に……げ……ろ」
「そうだな、お前さんの母は、あの時、逃げるべきだった」
「ちが………わ……なだ」
「そうだ、ワナだ、仕掛けられた罠だ。あぁ、ちがった、ナワだったな。仕掛けたのは、縄だ。確かにちがった、悪かった悪かった。縄がなければこんなふうに吊るされることもなかったな」
「な……ぜ……」
「そうだなぁ〜、お前さんのじいさんが目の前の男にそう問うたら、まさか背後から首を斬られるなんてなぁ~。ご丁寧に剣だけ抜き去り、万が一にも、いらなくなった胴体を谷底に蹴飛ばそうものなら、こんなふうに獣に喰われ放題になっていたかもしれぬなぁ~? 埋葬の手間が省けていい」
「う……ぅ……」
「泣けるなぁ…、娘が父に贈った刺繍飾りのついた筆入れはさすがに持ち帰ったか。優しいところもあるのだな、生首とセットで見せてあげるなんて」
「や……め……」
「さすがにお前さんの母親が見させられたように、こやつを塩漬け首にしようにも、あいにくここには塩はないのでな。やめた」
女帝はまるで、
落ちてくる金鳩の頭を地面スレスレで蹴り上げ楽しむかのように、えげつない会話をつづけながら、最後にはちゃんと、その矛先を白絹銀后に向けてくる。
「あぁ、漬ける塩がない。わしにも出来ないことがあるのだなぁ。全知全能の神まであと一歩。だが、どうだ。わしには糸がある。じいさんの時のように斬られたこの男の生首を、母親の時のように吊るしてみた。糸は、お前さんにとって大事なものなのであろう?」
ポタ――――、ポタ――――、
頭のてっぺんに正確に打ち続けるしずくは、痛くも痒くもないし、害もない。
ただ……等間隔に落ちてくるしずくの重みが……屈辱的だった。祖父や母とはちがい、自分はいまも無傷でいる。
自分の人生に降りかかってくるもの――それがこのしずくに似ていると思った。
ずっと降りつづける
屈辱のしずく――…
「いわ……れて…… や……」
「あぁ? 『わたしだって、あの男に言われてやっただけだ』か? そうか、男に言われて仕方なく、やりたくもないことをしたのだな。……かわいそうに」
最後に加えた言葉は、同情にはほど遠く、その白々しさは白情といったほうがシックリくる。
「さぁ、お前さんは言いなりになる必要などない。お前さんの自由だ。自分の意思で決めて、おのれの道を選ぶがよい」
ポタ――――、ポタ――――、
「サ……ラ」
「…………」
呼吸が浅くなるのが分かった。
ポタ――――、ポタ――――、
ポタ――――、ポタ――――、
ひねり損ねた蛇口から漏れるしずく。
自分の頭頂部がそれを受けとめる。
静かに、地味に、永遠に、
永遠に、永遠にっ……
うぅぅぅぅ……っ
「他の鳩がここへたどり着くまでには、決めておくれよ?」
「サ……ラァ……ッ」
……………
なにが逃げろだ
なにが違う?
なにが罠だ?
サラだと?
「白絹」としか呼ばなくなったやつが
妊娠が分かってから、わたしを置いていった男が
初夜で事が済んだあとに暴露する下衆野郎が
逃げられないように西宮でわたしを飼った馬飼いが
母を殺すために吊るし縄を仕掛けたんだろ
お前が祖父も……
お前が馬飼いなんてしていなければ
お前があの男と似ていなければ
お前があの男に会わなければ
違うのも、罠にかけたのも
すべてお前のほうだ
お前がわらわの何を知っている?
わらわはこいつの何を知っている?
すべて嘘だった
すべて無駄だった
あぁ、そうだ、だから今ここにいる
『わたしはこいつとは違う。あの男とも――』
ポタ――――。
「決まったようだね」
女帝は蛇口をしめた。
つぎの瞬間――、空腹を満たすように金鳩の頭をむさぼった。その血肉、脳みそに至るまで、わが子にも喰わせた。今度こそ、奪われないように――
萬鳩衆が囲むように近づいてくるのが分かった。
「われらにも…」
そう言われている気がした。
「誰にもくれてやるものか。すべて、わらわのものだ。そしてわが子のものだ」
口のまわりについた夫の残骸物をぬぐう間もなく、女帝が手つかずにさせておいたトカゲのしっぽ――グロトカゲ+セミグモ+金鳩のミックスミートを、引きちぎっては自分とわが子、ふたりで食べ干した。
最強を手にしたような高揚感があった。
食べつくし、しばらくぼぅっとしていると、まわりから忍びよる萬鳩衆の色は、灰色に変わった。
世界は灰色に変わっていく――…
強者の世界とは
バラ色ではなく
灰色なのだと…
この世界が教えてくれた
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