第29話 後盾(うしろだて)

「西宮の五月さん――」


 いま、前世のわたしの名前を呼んだんだ……。

 そう自覚すると、名前を呼ばれただけでゾっとした。

 

 目の前の脳みそ人骨模型は、とっくに知っているんだ……。


(いい、五月は出てこなくていい)


 不思議な感覚だ……。

 五月が生きていれば、自分よりはるかに年上のおばあちゃん――。


 ……なのに、わたしの中では幼げな少女っぽい声、泣きそうになりながら必死にうったえる切ない声がどうも印象づいていて、なんかこう……かばってあげなきゃって気になってしまう。


(お前の相手は、わたしだっっ)


 勢いで言ってみる、心の声。



「お前は、あとだ」



(……ぎぃぇぇぇえ――…)


 相手にされないと思いきや、後まわしの刑。これじゃ、まな板の鯉じゃなく、最後尾にならぶ鯉の気分じゃないか。



「ふん、まぁいい。せっかくこの世界にご足労いただいたのだから? この世界の住人も紹介しないとな」



「あぁ、その前にもう一つ――」


 ふと思い出したかのような口ぶりは、見え透くほど、わざとらしかった。



「じつはあの時……金鳩はまだ死んではいなかったのだぞ」



 (えっ?) 


 さっき、澄矢が斬るまえに死んでたのは知ってたって言ったじゃん!……と、言いたい気持ちは、和穂も同じだっただろう。



「だ〜まされっぱなしだな、カラスも、前世も、お前も――」



 ウハハハハハハと悪代官笑いをしたのを皮切りに、萬鳩の白絹銀后から、クロハトカゲの偽王ルシェルへ切り替わるかのように、話の内容も切り替わっていった。



「神殺し事件のあと、萬鳩はここ冥魔界に飛ばされてきた。無論、そうなったのは、金鳩が山神を殺した因果であろう。だが、この地に着いたとき、金鳩はまだかろうじて生きていた。まぁ確かに、双荒山の世界では『死んだ』のかもしれないがな――」



 *   *   *


 冥魔界、ここにはもともと住んでいた先住民がいた。


▶【グロトカゲ】

  白いボディに赤い目、しっぽが黒に変色する蜥蜴とかげ。グロい……。


 そして、


▶【セミグモ】

  胴体にくらべ脚が特徴的に長く、せみのように鳴く四つ足の蜘蛛くも


 セミグモは身体や糸に甘い蜜をまとわせる。だが、甘いのは匂いだけ。


 グロトカゲは肉食

 主食は…セミグモ


 セミグモの甘い匂いを嗅ぎつけると、ネチっと粘着質のある長い舌で、セミグモを容易にとらえる。


 しかし、セミグモの甘い蜜には毒性があり、その毒性はグロトカゲの赤い目に充填されていく。


 グロトカゲの赤い目から出る攻撃用の毒は、セミグモの蜜から精製される。


 一方、セミグモは寄生する力を持つ。


 グロトカゲに捕食されながら、そこでも弱肉強食の世界が起こる。


 弱者は吸収され

 強者は寄生する


 体内で吸収されずに、寄生に成功した強者セミグモは、グロトカゲの養分で増殖する。


 グロトカゲは構造上、寄生して増殖したセミグモが末端の尾のほうに流れるようにできている。……でないと、全身が文字通り「むしばまれる」からだ。


 飽和状態になると、尾は変色する。

 

 ドス黒いしっぽ……これが

「トカゲのしっぽ切り」の合図だ


 切られたしっぽはどうなるか――

 

 答えは「セミグモのエサ」である


 地上に返り咲いたセミグモは、本来の肉食にもどる。自分を食べたトカゲのしっぽを今度はモリモリ食べ、グングンと成長していく。


 しっぽが再生するまでの間、セミグモは捕食されないし、仮に目から出る毒を浴びせられても、同じセミグモ、しかも弱者セミグモから精製されたもの……なんの影響もない、というカラクリだ。


 この習性も忘れてはいけない。


 蜘蛛は――「共喰い」をする。


 セミグモは超肉食

 トカゲを喰う

 セミグモも喰う

 なんでも喰う

 

 セミグモに寄生されたトカゲもまた、共喰いの習性が遺伝することがある。


 肉を喰うにもエネルギーがいる。


【悪想念】はまさしくその活力を与える。冥魔界においては空気みたいなもの。悪想念が深ければ深いほど、うまい空気でパワーがみなぎる。



 *   *   *


(き、き、気持ち悪い)

 聞いてるだけで吐き気……。


「ふん、こちらからすれば、お前のほうが気持ち悪い」


 相変わらずわたしの心の声をちゃんと聞いている相手は、高らかに続けた。


「これこそ『共存共栄』だと思わないか?」


 利用できるものは利用する

 喰うか喰われるかの弱肉強食の世界

 昨日の味方は、今日の敵

 今日の敵は、明日のエサだ


 萬鳩の世界を抜けても

 どの世界に行っても同じだ


「天下取りがこの世のすべてだ」


 ……実体験から言っている、と言わんばかりの自信たっぷりの言い方。



「話を戻そう。金鳩の話だ」



(……もう「夫」と言わないんだな)

 

 彼女がそぎ落としたものを感知した。



 *   *   *


 首なし胴体には、それが金鳩とも分からぬまでに無数のトカゲが群がっていた――。


 しばらくしてトカゲのしっぽ切りが始まった。それはつまり、金鳩を捕食していたのが、セミグモを寄生させたグロトカゲだということを意味する。


 しかし、しっぽ切りが起きたのに、なぜかセミグモは、しっぽを喰いにかからない。まるで、「待て」を言われた飼い犬のように。


「このあと、わらわはこの方の後ろ盾を得たのだ」


「は??」


 思わず声が出た。 


 この方って誰…

 後ろ盾…??


「蜂の世界では『女王蜂』、蜘蛛の世界ではなぜゆえ『女郎蜘蛛』というのか分かるか? 烏と鳩の違いとおなじでも? それとも何か、女王蜂とは玉依姫か? ……いずれにしても忌々しい」


 なんの話だ……。


 (それより、この方って誰……)


 理解が追いつかないまま、相手は衝撃の言葉を放ちつづけた。


「セミグモが寄生したトカゲが夫を喰ってな――そのトカゲのしっぽを食べてやった。息子にも分け与えてやってな。これで夫の肉も力も、すべて……わらわのものだ」


 ここで「夫」と呼び方をもどされると逆に恐怖が増す……。



「それで、手に入れたんだよ」


 ウハハハハハハ――…



 いきなり思い出したかのように笑い出す不気味さは、後ろ盾の「あの方」につながっていく。


 『うしろの正面だあれ』

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