第21話 想い出ぽろぽろ

「これはあなたが……サラがわたくしにくれた糸よ」


 すると、わたしは左手首の組紐くみひもを見せていた。

 お守りになるからと、イチイ山で翁に巻かれた組紐。


 紫陽花のように青紫と赤紫のグラデーションがかった糸。



(ん? 今『』って、わたし言った? この展開……まさか……)



 *   *   *


 流鏑馬やぶさめの名手だった祖父は、神事で神域に行く時は、必ず連れて行ってくれた。


 とても優しくて大好きな祖父。

 ……とはいえ、行けば祖父の周りには、代わる代わる大人がご挨拶にくるわけで、その対応が終わるまで待つしかない五歳の幼子おさなごにとって、この行事は少々退屈なものであった。


 そこで楽しみを見つけたのだ。

 神域にあった鳩宮はとみやの厨房。ここからはいつもいい匂いがした。

 美味しいものに目がないわたくしは、ここを訪れるのが神事の楽しみになった。


「これはこれは烏の姫君、紫苑様。ここは危ないですから」

「だって、おじじさまは”やぶさめ”に夢中なのですもの」

「それは大切なお勤めですからね、仕方のないことでございますよ」

「ねぇ、それよりこの甘い匂いはなぁに?」

「あぁ、いい匂いでございましょう? 金柑の甘煮」

「きんかんのあまみ?」

「きんかんのあまでございます」


「わぁぁぁ、キラキラしてキレイ」

 金柑と同じくらい、真ん丸の目をキラキラと輝かせた。


 神域の厨房ともなると侍女も貴族のたしなみがある者ばかり。相手が烏でも鳩でも、そして幼子おさなごであっても、将来、金烏、金鳩の后になり得る姫とあらば、当然のように目の前で毒見をしてみせた。


「はい、では残りをどうぞ」


 そう言うと、残りとはいえ大粒の金柑を口に運んでくれた。


「わぁあ、美味しい」

「お気に召されましたか?」

「えぇ、とっても」

「では、これをもって三木みきの中庭におります鳩の姫君のお相手をしてさしあげてきてくださいな」

「鳩の姫君がいらっしゃるの?」

「えぇ、歳も同じくらいでございましょうから、姫様のお相手に相応ふさわしいかと」

「では、わたくしが持っていってさしあげるわね」


 いそいそと中庭に向かう。

 幼子にとっては烏か鳩かはさして気にも留めなかった。


「あなたが、鳩の姫君?」


 顔をあげた女子おなごに、亜麻色の長い髪がふわりと舞う。

 目鼻立ちはハッキリしているが、肌の色、目の色と、全体的に色素が薄くなんともはかなげだったのが印象的だった。


「あなた、だぁれ?」

「わたくしは、西烏姫さいうのひめ和穂かずほ紫苑しおんと申します」

「わたくしは、東鳩姫とうはとひめ沙羅さら白妙しろたえと申します」


 5歳の幼子とは言え、家を代表する姫君とあって、双方、名乗る時の作法は完璧だ。


 萬鳩にも八咫烏のそれと同様、「四家」と「宗家」が存在する。


 萬葉まんよう東家とうけ萬匠ばんしょう西家せいけ萬清まんせい南家なんけ萬鐵ばんてつ北家ほっけ


 そして、萬頭ばんとう斑鳩宮家いかるがみやけ


 サラは東鳩姫――萬葉まんよう東家とうけの姫だと意味する。


 そして、幼いながら相手を見て、足を崩していいかを見極めるのも同じだ。


「カズホでよろしくってよ」

「では、サラでよろしくってよ」


 クスクスと笑うと、すぐに打ち解けた。

 キラキラした金柑を渡そうとすると、サラのかんざしにキラリ光るものを見た。

 

 金糸をまとう椿つばきの紅色


「キレイね」


 花飾りの美しさに素直にうっとりした。


東鳩姫とうはとひめ錦糸織きんしおりよ」


 すこし得意気に言った彼女は、この髪飾りは母上様が作ってくれたものだと教えてくれた。その名も母親が付けたのだと――。


「わぁぁぁ、なんて美しい糸箱」


 そのあと見せてくれた糸箱には、この世の美しい色をすべて集めたような刺繍糸が整然と並ぶ。わたくしにはそれが宝石箱にみえて、右に左に目をやりながら感嘆してやまなかった。


「母様が西家で買って来てくれたの。そこには美しい布や織物もあるのだって」

「まぁ、そうなの」

「母様もお小さき頃、おじいさまに西家につれて行ってもらってね、気に入った糸を『あれがいい』『これも』とおじいさまに渡していったら、手からこぼれ落ちそうになって――フフフ、『糸を買うてやるつもりが、糸箱まで買わされた』とおじいさまを困らせたのですって――」

「フフフ」

「その時の糸もこの中にあるわ、中でもお気に入りはコレとぉ……コレ!」


 ――刺繍糸の話をする時のサラはことさら嬉しそうに話した。


 烏の西殿にもあるけれど、ここまで揃った糸箱は初めて見た。

 色の濃淡が織りなすグラデーションは圧巻でありながら、それでもやはり、彼女が身につけていた花飾りの美しさは異彩を放っていた。

 刺繍織の椿には凹凸があって立体的、いくらでも愛でていられると思った。


「これ、あげるわ」


 紫陽花のように青紫と赤紫のグラデーションがかった糸。


「え? いいの? お母上様からもらった大事なものなのでしょう?」

「ん~……うん! いいわ、カズホになら」


 欲しくなったらまた母様にお願いして西家で買ってきてもらうから、とサラはカズホに手渡した。


「……わぁぁ」


 宝物をもらったような気分だった。

 手にした糸の美しさに顔がほころんだ。


 その顔を見てうれしそうにするサラと、肩をすぼめてウフフと照れ合った。


「今度はわたしが母様に西家に連れていってもらおうかしら」

「ふふ……、今度はサラが母様を困らせたりしないようにね」


 あれやこれやとする内、


「紫苑様、紫苑様」


 ――自分を呼ぶ侍女の声がして、金柑をつまみにしたいと楽しき宴はお開きになった。即席の仲であったが、互いに幼なじみを得たような気分でいた。


「この花飾りの作り方はまだわたしには難しいって教えてもらえないけれど、今度、母様にお願いして、烏の后にふさわしい『西烏姫の花飾り』考えてくるわね」


 ませた子どもの会話だが、互いにこの世に生を受けてより、一族の長の后候補として教育を受けている身。

 口に出さずとも互いの苦労を分かち合い、労い合っているようでもあった。


 そして、将来――、金烏、金鳩の后として顔を合わせるかもしれない。

 そんな淡く、淡い期待をしていたかもしれない。



「……紫苑様、お離れになる時はおっしゃってくださいませ、おひとりの身ではないのですから、行方知れずになっては大変です、$%#&@#$」


 侍女の後ろを歩くカズホは横を向いて、ほんの少し悪い顔をしてみせた。

 その顔を見て、笑いそうになるのを両手で抑え、両肩をすぼめながら、うんうんとうなづいた。

 その顔を見て今度は、破顔一笑、カズホはまた上機嫌になってその場を後にした。



【鳥かごから出た二羽の、一寸の憩い雛が歌ふ】


 『みきのにわ こそでふれあう いっすんのえん』

 三木の庭   子袖ふれ合う  一寸の縁

 美姫の二羽  小袖ふれ逢う  一寸の宴



 *   *   *


「また今度」「また来年ね」


 そんな言葉を交わさずとも、すぐに会えるものだと思っていた。


 いつ会っても「西烏姫の花飾り」の講習を受けられるように、神域に行く機会があれば、もらった糸を必ず持参していった。


 けれども、次の年も、その次の年も、彼女に会うことはなかった。


 を除けば――。



 *   *   *


 あの花飾りにまた会ったのは10年後だった。


 15歳ともなれば、次期金烏となる若宮の后候補として、神事にも精通すべく、神域での行事にも顔を出すようになっていた。



 あの日――、


 わたくしは神楽殿に用があり、廊下を歩いていた。


 右の方から足袋が廊下をせわしなくる音、迫るように近寄ってくる足音がする。


「……きゃっ」


 廊下の左に寄ったが、勢いよく曲がってきた振袖の勢いで、よろけてしまった。

 その拍子に着物が柱の杭にひっかかり、刺繍糸が切れてしまった。


(どうしましょう、これから神楽に参らねばならぬのに……)


 すると、よろけた腕をぐいと引き寄せ立たせた手。


「申し訳ない、これならば直せる。しばしそのまま」


 キリっとした眼球と一瞬目を合せた後、袖から取り出した裁縫針で、切れた糸と糸を繋ぎ合わせ、あっという間に直してしまった。


 あまりの速さでどのように直したのか……魔法でもかけられたようだった。


 かがんだ姿勢になった女性の顔はよく見えぬとも、着物を見れば、自分と同格の貴族であることは分かった。


「あの、」


 お礼を言おうとしたが、あちらも相当に急いでいる様子だった。


「では、失礼。あとは頼んだぞ」


 揺れる長い黒髪からのぞく顔は一瞬で、その眼をギロリと横に差し向け、足早に立ち去ってしまった。


 ……ギロリの相手は、彼女の侍女なのであろう。

 その場に残り、とんだご無礼をお許しくださいませ、先を急いでおりました折、と深々と頭を下げた。


 他にお怪我はございませぬか、と丁重に対応されるや、今度はわたくしの侍女も馳せ参じ、かくかくしかじかとしている内、彼女の姿は見えなくなった。


「ささ、紫苑様、お急ぎくださいませ」


 こちらもまた神楽殿へと急かされ、その場は流れた。



 しかし、には見覚えがあった。


 一瞬みえた花飾り。

 彼女の帯紐おびひもについていた――あれは、椿――「東鳩姫の錦糸織」ではなかったか。



 10年前とはいえ、幼心にあれほど感嘆したのだ。

 相当に印象に残っていたのだろう。

 あの時はかんざしに付いていたが、一目見れば、目を引く一品であった。


 

 >>>


 ――あぁ、まぎれもない。

 これは八咫烏の和穂と、沙羅という萬鳩の姫君の、幼少期の記憶だ。


 「わたくし」という一人称で気づいた。

 わたしの口を使って話したのは和穂だ。 


 わたしはただの人間だけど…もし、すでに玉依姫の役目を負っているのだとしたら…わたしの身体を借りて天上界にある和穂がモノ申しても不思議ではない。


 そう理解すると、目の前の脳みそ人骨模型に向かって、ぐいぐいと話しかけた。



 >>> 


「今でこそ裁縫が得意だと思われているけれど、わたくしが裁縫を覚えたのは、あなたのおかげなのよ。あなたが一から教えてくれたから」


 目の前の鳩女らしきは、一時停止ボタンでも押されたかのように動かない。


『今度、母様に言って、烏の飾り刺繍を考えてきてあげる。この飾り刺繍は特別なんだから、あなたもそれまでに練習しておくのよ?』


「そう言われたから、わたくし、職人まで呼んで練習したんだから……」



 ――しかし、楽しい想い出はここまでとなった。

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