第19話 歴史の授業
「我々の歴史――」
そう言いかけて女はブレーキをかけた。
「そうだな……、あの山での話も、あの戦争の話も、もう良いのであろう?」
クククッと笑う彼女に、思わずムッとする自分がいた。女はそれを見越していたかのようにサラリと交わし、またアクセルを踏んだ。
「冥魔界にはトカゲのように地を這う住人がいた。人間が言うところの”地球外生命体”と言ってもよいがな……悪さをするというオマケ付きでな」
「地球外生命体? ……宇宙人?」
「さぁな、呼び名なんぞどうでもよいわ」
「…………」
「やつらは悪想念が食糧でな。あぁ、肉も喰うぞ……人間の肉もな」
なんてこともない話かのように半笑いで彼女は続ける。
「冥魔界には死んでも死に切れぬか、罪人か……低級霊となった人間が運ばれてくるからな」
『低級霊』の言葉に一瞬ビクっと身体が反応したが、歴史の授業は止まらない。
「わしらはあの事件の後、どうやらここへ飛ばされたらしい――」
* * *
鬱蒼と茂る草木に、冷気を帯びた湿気が絡みつき、陰鬱な空気が漂う。
双荒山のそれとはまるで違うのでな、別の異界であることはすぐに分かった。
トカゲはわしらも喰おうとしたが、神の使いであるわしらは喰うことができないとわかり、次第に従うようになった。
地を這うトカゲは、空を飛ぶ鳩を羨ましがってな。ないものねだり……というやつだ。その技術をもらえるならと、色々と秘密を教えてくれてのぅ。
わしらには好都合じゃった。本来の住処ではない世界において、純粋な萬鳩でいるには肉体が限界を迎えていた。
萬鳩はトカゲと交配も進めて、クロハトカゲとなった……わしと息子以外はな。
トカゲが食糧にしていた悪想念というエネルギーは、疲弊しきっていた肉体に活力を与えた。
それに――
人間というものは存外に
これで息絶えることはない。
しかし、金鳩はもういない。
トカゲに黒マントをつけて飛べるようにしてやって、総動員で金鳩を探させたが、とうとう見つけ出すことができなかった。
やはり、神殺しの罪で消されたのだと悟った。
だが、思いがけず冥魔界にやってきた人間から、耳よりな情報をもらってのぅ。
それは――
『玉依姫はもういない』
ということだった。
金鳩が人間界に追放されたのではと、冥魔界に来る人間にも聞き込みをしてな。
活力になるというて悪想念エネルギーを与えてやったら、もっともっとと欲しがるやつらが多くてのぅ。
手なづけた甲斐があった。
低級霊となった元人間どもが、べらべらとしゃべってくれたわ。
人間界では今や『玉依姫』の存在すら知らない者が多いという。
せいぜい食べ物をお供えするくらいだと聞いて、心底笑い転げたわ。
これはいい。
『神は殺し、玉依姫は消えた』
神がいないならば、神をつくればよい。
わしが創造主になろう。
これも運命か、わしには息子がおる。
神を愛し、神に愛される女が玉依姫。
神の母で、妻が玉依姫だというのだ。
ならば、わしが玉依姫になればよい。
息子は夫、金鳩に……いいや、神だ。
ここで聞いた創造主ルミエールとルシェルの名。愛し合った夫婦神が、この世界の創造主だという。
こともあろうか、それが山神と玉依姫に通ずるともな。そして、三千年至福王国の計画のことも――
これはいい。
それをここで知ったのも運命であろう。
天はわしに味方したのだ。
いよいよ萬鳩の時代がやってくる。
三千年至福王国を建設すべく、まずは手早く人間界を手に入れることにした。
冥魔界に来る人間は、飼い慣らすには容易なヤツばかりだ。人間界の情報はヤツらから十分すぎるほどに入手できた。
「指をくわえて待つばかりではないぞ。どうやって人間界に侵入したか……分かるか?」
一方的に話していた彼女がまたブレーキを踏む。不気味な問いは、挑発にしか思えない。
(人間に……成りすましたってことじゃないの)
そう心でつぶやくと「そうだ」と返される。
「だが問題は……どうやって成りすますかだ」
(どうせお前には分かるまい)という彼女の心の声が聞こえてきそうだ。
「ふん、わかるまいな。思いつくのはせいぜい憑依するとかそんなもんだろ」
得意気に言うと、女はまた独壇場を続ける。
「やり方は三通りある――」
一、生きている人間の脳に憑依し、人間を操る。
二、冥魔界に来た人間を奴隷にし、再度人間に転生させる。
三、
そう言うと、ねっとりと間をおいてニタリとする。
「一と二は、人間のからだを利用しているが」と前置きをしたあと、こう続けた。
三、わしらが人間の姿になって、人間として生活する。
「…………」
固まったわたしを、女は置いていく。
「まずは一、憑依から始めた――」
遠隔操作は楽だが、信号を送らねばならず手間……しかも思うように動くとは限らず、安定しない。
次は二、奴隷化して転生だ。
いい案だと思ったが人間には記憶の欠損があってそれが致命傷になった。ここでは飼い慣らせても、転生中に改心なんぞをする人間もいて、やはり安定しない。
それでだ。
手っ取り早いのが――人間への転身。
肉体をのっとって着ぐるみの複製も試みたが、複製には粗悪品もある。なにより厄介なのは、人間には老いがあり、寿命があるということだ。
下手に老いもせず長生きし過ぎれば、人間に怪しまれて計画の妨げになる。
いっそ人間に変身し、人間として活動するのが一番手っ取り早い。不安定だった一と二の人間もコントロールしやすい。
トカゲやハイブリット、人間を利用して従う者を増やしながら、一方で純血なる我が萬鳩の命は永遠にしなければならない。
命令どおりに動く奴隷と食糧があれば、至福王国の建設にはこと足りる。
反逆するものは劣等遺伝子として絶滅させる。あの世界大戦で絶滅危惧種となった八咫烏が良い例だ。なあ?
「…………」
よどみない語り口はさすが銀鳩……というべきか。
しかしながら、このよどみ切った心根は、神使い銀鳩と呼ぶべきものなのか……。
「ご立派な言い分だな」
(え……? これ、またわたし!?)
ひるむことなく言い放つ自分の言葉に、自分がひるむ……。
しかしまた、ひるんだ自分をさて置く自分がいた。
「そなたらはなぜ自分たちは『鳩』だと言わなかったのだ」
「自分のしていることが正しいと思うならば、なぜ『クロハトカゲ』というのだ」
「すべての罪を、最後は冥魔界のトカゲになすりつけるためか」
「すべて誰かのせいか。神のせい、カラスのせい、トカゲのせい、人間のせい」
淡々と詰め寄るわたしの言葉……。
「うるさい、うるさい、うるさい」
「何もかも奪われたのだ! すべて……。すべてと言ったらすべてだ! 大事なものをすべて奪われ、殺された者の気もちが分かるか」
(……あっ)
なんだろう、この感覚……。
(え……? なつかしい!?)
あぁ、そうだ。
この声をどこかで聞いたことがある。
彼女がまだ『萬鳩』だった時の声――
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