第15話 遺書・遺体・生き証人
わたしは、すっかり決意していた。
イチイ山に行くことを。
でも、その前に――「矢上是清の遺書」をちゃんと読まなくっちゃ。
遺書は
* * *
神風特攻隊に任命された是清さん。
最後の任務は、十死零生の爆装隊長。
対して、九死に一生の望みはある
「矢上
すると彼はこう答えたという。
「いや私はよいのです。兵学校に入った時から戦死の覚悟はしておりますから。今さら別に言い残すこともありません」
* * *
実に淡々とそう答えたという。
こうもキッパリ言い放つくらいだから、何も遺していないと思っていた。
ところが資料館には、直筆の遺書があったものだから、それでビックリしたというわけだ。
とはいえ……いざ死を目の前にして『せめて両親には』と気が変わった、と思えば違和感はなかった。
違和感があったのは、文面の方だ。
あまりにも……
訂正が多い……。
自分の最期となる遺書、両親へ宛てる最後の手紙……にしては、二重線や吹き出しが多すぎやしないか。
しかも、どれもそこまで気にするほど重要な訂正や追加に思えない。
(時間がなかったから?)
……だったらなおさらココ、修正する必要なくない? と思わせるばかりだ。
訂正だらけの原文には、清書版のように「読み下し文」が添えられていた。
スマホで撮った画像を親指と人さし指でグリグリ、拡大と縮小をくり返しながら上下左右ふたつを見比べた。
熟読というより、ガン見。
(……ん?? ……なんだ??)
訂正だらけの原文の中、群を抜いて異彩を放つ違和感を見つけた。
「ルビ」――
『皇国に徒なす九
(なんでここだけ、ルビ??)
これには編集者も困ったのだろうか……読み下し文には「
だけど、テウをきゅうと読むには無理がある。テウは……ちょうだ。
どれだけ拡大してもキウには見えない。
なにより、これだけ荒ぶる加筆訂正の嵐の中、静寂なる間合いがここにだけはあって、異様に丁寧に「テウ」と書いているように思えてならなかった。
遺書を書く気のなかった彼が、自分の命の最期、何を伝えたかったのか――
(五月なら分かるだろうか)
(五月、是清さんが命を懸けて伝えたかったことだよ、何か分かる?)
誰が『正解』と言ってくれる訳がでもないこの謎解きを、わたしは諦めきれずにいた。
(……あ、検閲……っ!)
ふとひらめいた検閲の文字――。戦時中は、家族に宛てた手紙でさえ検閲されてたって話はよく聞く。この異様な数の二重線と、吹き出しの加筆訂正って……
もしかして、検閲の目から逃れるための……カモフラージュ??
九
しばらくにらめっこした後、ノートに書いてみる。
九 鳥
…………あ――――っっつつ!!
ハトっ、ハトだっ!!
皇国にあだなす=国を裏切る者=
ノートに書いた横書きの九鳥は……鳩にしか見えなくなっていた……。
烏(ウ)じゃなくて鳥(テウ)
……たしかに肝心なところだ。
『本当の敵は
夢に出てきたガラの悪い軍人たちも……萬鳩だってことだよね!?
あぁ、そうだ……思えばそうだった。
矢上是清が隊長となった特攻隊の名は「
「山神殺しの事件」のあの日――最後に
山神が玉依姫の真帆から「早梅」と呼ばれていたことも、神域で真帆の世話役をしていたのが「和穂の紫苑」であることも、萬鳩なら知っていたとしてもおかしくない。
ん……? いや、おかしい。
早梅はともかく、なんで紫苑まで?
あの神事の時は、まだ澄矢と和穂はそういう仲じゃなかったんじゃ……?
だけど……人間界に転生している八咫烏の澄矢=是清で、和穂=五月だと、萬鳩は知っていて矢上是清中尉にその隊名を突きつけたのだとしたら……
あ……『異界は時間軸が違う』
だって、未来なのにそこにあったんだもん。わたしだって、未来のひとに会えたってことでしょ?
……だったら萬鳩だって未来を先回りして二人の仲を知ることができたとしても、おかしくない!
それをどうやったかは分からないけれど、あの夢、どうしても是清さん目線で見た光景に思えてならないし……
まだ特攻隊が編成される前の時期に、自分の命が狙われていて、女がいればその身も危ない目にあわせようと計画している。
しかも相手は人あらざる萬鳩……
それを事前に知ったのだとしたら
あぁ、、やっぱりそうなのか……
あぁ……なんてことだ……
だから是清さんは自分は既婚者だなんて嘘ついて……五月と別れたんだよね!? わたしのただの想像、空想、妄想じゃないよね!?
『愛するひとを幸せにできなくて悪かったと思ってる』
『本当は逃げたかった。でもどうすることもできなかった』
『まもりきれなくて……ごめん』
…………。
どこからともなく聞こえてきた心の声。その主は、言わずもがな、だ。
首をふるのは、
わたし……佳穂、五月、和穂だ。
この戦争が、世界征服と
これが真相なら、それを知ってしまった是清さんは、一体どんな気もちで同胞の特攻死を見届けただろう。
いよいよ自分の番になって隊の命名式、早梅、紫苑と名付けられたその隊の隊長として、どんな心境でズラリと並ぶ上官たちの前に立っていただろうか……。
本当の敵はアメリカ人やイギリス人などではないと知りながら、最期、どんな想いで出撃したのだろうか……。
想像すれば途方に暮れる絶望のどん底に、天を仰ぐしかなかった。
(どうしたら……
あのひとを幸せにできただろうか)
どうにもしてやれなかったことに……いや、知ったところで彼でも止められなかったことを、どう止められようか……
やはり途方に暮れるしかなかった。
自分のした選択は、
正しかったのか、正しくなかったのか。
……わたしには
よくわからなくなっていた。
仮にあのまま生きて、他のだれかと幸せになれたら正解だったのだろうか。
『あのひとは、わたくしが幸せになるなら自分が嫌われても憎まれても構わない、そう考えるひとです』
そんなの嫌だ、わたしの幸せはわたしが決める!
『きっと彼も言うでしょう、オレの幸せはオレが決めると』
『あのひとは……命がけで護るひとですから……あなたの命を』
涙が出てきた。
(それなのにわたしは……)と言いたかったのだろうか。正しさや正解さがしをしても、堂々巡りするだけだった。
今を生きるわたし、佳穂に問うてみる。
ここまで知り、どう思うか。
自暴自棄も自殺も良くないことくらい、わかってる。
わかってる。
だけど、あの時の自分を責める気には、とうとうなれなかった。
……わたしも同じことをしたかもしれない。そんなに、ご立派に強いわけじゃない。そりゃもちろん、現世は意地でもそんなはことしないと誓うけれど。
それでも――、
わたしは……
やはり後悔していない。
正解はいまだに分からないけど、今のわたしは、どんなわたしも受け入れられる。その覚悟や自分への信頼のほうが、ずっと大事だと思った。
それがわたしの結論。
ね、五月。
一緒に生きよう。
五月はどこか、自分はもう引っ込んでいなきゃって思っていない?
違うよ。そうじゃないよ。
きっと、わたしたちは……そうだな、言うなれば人生の物語の前編と後編みたいなもので、どっちも主人公なんだよ。
だから……どっちも生きなきゃだめなんだよ。ね? 一緒に生きよう!
(きっと五月のことだから、聴いてる)
そう思った。
わたしは、短かった前世の二人の人生の……「生き証人」だ。
抗えない…… それでいい。
宿命も、運命も、起こるべくして起きているっていうなら、受けて立つ!
それにルミエールだって言ってた。
必要なものは授けたって。
「ただの人間であること」って。
だったら、存分に『ただの人間』でいたらいいんだ、ふんっ。
あ、鼻息荒め……
フフっと心の中で吹き出す。
(五月も……こんなだったかな)
『……あたらずといえども遠からずってとこかしら……(フフっ)』
(さ、さつきっ!? ちょ、ちょっと)
その返しは来なかったけれど……
あぁ……やっぱり……
彼らは今も生きている。
『彼らが生きていたことの証人』だけじゃない。
『彼らは今も生きていることの証人』
生き証人って……楽じゃない。
でも――
生き証人ってのも悪くない。
この命は、
自分だけの命じゃない。
自分の肉体は、父親と母親の遺体だって聞いたことがある。まだ死んでませんけど……って思ったけど、考えてみれば確かにそうだ。
彼らが遺してくれた体が自分なのだから。
前世の二人だけじゃない。家族、ご先祖様、同胞の仲間――生きとし生けるもの、すべての生命。
本当は誰しもがすべての「生き証人」なのかもしれない。
この命を大切にしたい。
だから、運命を信じる。
わたしは『ただの人間』だけど、武器なんか持つよりずっと心強い仲間がいる。
――そうだ、イチイ山に行こう――
生き証人、いざ、イチイ山二出頭ス。
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