30話「る」

 アシカショーが開催されるステージには、ちらほら人が集まっていた。

ステージに対して柵を挟んで、階段式に観客席が設置されている。


前から2列目、中央の席に俺と志渡は座った。


「奈良坂に写真送ろっと」

 魚の写真を熱心に撮っていた志渡は、上手く取れた写真を何枚か奈良坂に送り付けた。


 数分後、ぞろぞろとアシカショーを見に来た人が集まって来た。


「早めに来といてよかったね」

 俺は志渡にそう言う。


「水が飛び掛かってくるの覚悟しなきゃ」

 志渡はショルダーバッグからビニールシートを取り出した。


ステージの袖からピンマイクを付けたスタッフさんがやって来て、話し始める。


『本日の公園は、オタリアのリコちゃんのデビュー戦となっております。本日に至るまで、バディのスタッフと共に練習を重ねてきました。どうか暖かい応援を頂けると幸いでございます。では、アシカショーのスタートです!』


 スタッフが一礼すると、反対のステージ袖から、器用にヒレを使って歩いてくるオタリアと、腰に餌の容器を取り付けたスタッフがやって来た。


「可愛い。推せるわ」

 ステージの中心にある台に登壇したリコちゃんは、両ヒレで身体を支えて、尾ヒレを天井に向けてポーズをとる。

 志渡はすかさずこの様子を写真に収めた。


「ひげ生えてる。可愛い」

 よく見ると口元から数本のひげが生えている。


「でしょ?」


『本日は、オタリアのリコちゃんのデビューショーにお越しいただきありがとうございます。この日の為に練習を重ねてきまいした。苦手な技もございますが、どうかお楽しみいただければ幸いです』

 飼育員が礼をすると、リコちゃんも合わせて頭を下げる。


『こちらのリコちゃん、オタリアというアシカの仲間の種類の女の子なんです。非常にバランス力に優れていまして、鼻の上にボールを乗せるくらい簡単にやってのけます』

 飼育員さんが、小学生が遊びで使うようなボールを投げると、リコちゃんは鼻の先にボールを乗せて、地面に落とさないようにキープして見せた。


『おお~』


「さっき翔太郎が可愛いって言ったひげがあるでしょ?普段はあのひげが垂れてるんだけど、ボールを乗せる時はひげの何本かを立たせて支えにしてるんだよ」

 志渡がリコちゃんを指さして説明してくれた。


「はえ~。繊細だな~、あのひげにも役割あるんだ」

 俺は感心する。


「ね。すごいよね」


『このくらいの大きさのボールは朝飯前です。本番の、こちらのボールをやってみましょう』

 飼育員さんはステージ裏からバスケットボールを持ってきて、リコちゃんの鼻の近くに優しく投げた。


 リコちゃんは器用にボールをキャッチし、落ちないように首を調整してみせた。


観客は感心しながら拍手を送る。


 それから、フラフープキャッチや泳ぎながらのボールキャッチなどの芸をミスなしで披露した。


 『続いてが最後の芸になります。こちら、天井から吊るされているボールにですね、リコちゃんが水中からジャンプしてタッチするという技になります。リコちゃんはまだ体が小さいということもあり、この技が非常に苦手です。また、前の方の席に座られているお客様に水飛沫が飛ぶ可能性がございますが、ご了承ください』


 「きたよ」

 志渡はそう言うと、ビニールシートの端を掴んで上半身を隠した。


 飼育員が合図をすると、リコちゃんは水中に潜り、加速する。

徐々に浮上し、水面が近づくと一気にジャンプした。


 水面から3~4メートルほど上に吊るされているボールに鼻でタッチし、水中に飛び込んで潜った。


 その際に生まれた水飛沫が、俺と志渡たちが居るエリアに飛び散る。


『以上で本日のリコちゃんのショーは終了になります。前方の足場が濡れており、大変滑りやすくなっておりますので、注意してお帰り下さい。本日はありがとうございました』


 スタッフとリコちゃんが一礼すると、観客席からの拍手が巻き起こった。


「すごいな~。私もああなりたい」

 ステージから退場していく1人と1匹を羨望の眼差しで、志渡は見つめる。


「なれるよ、志渡なら」


「あんがと」


「ご飯にしないお腹減っちゃった?」

 俺は席に立ってビニールシートを折り畳みながら提案した。


「うん。館内のレストランにする?今の時間は並んでそうだけど」

 志渡も俺と一緒にビニールシートをたたみながら言った。


「そこらへんは任せて!」


 俺と志渡はステージを離れると、水族館の入り口近くにあるレストランにやって来た。

店前に置いてある椅子にまでお客さんが並んでいる。


 俺は志渡を連れて店内に入り、店員さんに話しかけた。


「12時から予約していた真神まがみです」


「かしこまりました。少々おまちください」


「予約してくれたの?」

 志渡は驚きながらも喜んでくれる。


「うん。窓際の席に座りたかったから」


「どうぞ、ご案内いたします」

 ウェイターさんに案内されて、窓際の二人席に座った。


「ご注文がお決まりしだい、お声がけください」


 窓には屋外の景色ではなく、一面の青い世界が広がっている。

水槽がそのまま眺められるようになっており、小魚から大きめの魚まで、青色のパレットの中に点々とカラフルな身体が彩られている。


「そご……この席は初めて座ったや」

 志渡の瞳に、窓の外の青い世界が映っているのが、俺からも分かる。


「喜んでくれたみたいで、良かった」

 俺は思わず微笑んだ。


「ん~どれにしよう」

 志渡はメニュー表を取り出すと、ページ全体を眺めながら悩んだ。


結局二人とも、ご飯がラッコの身体を形作っていて、海苔で顔と貝殻が書かれている”ラッコカレー”を注文した。


 二人とも食べる前に写真を撮って、少し躊躇いながらも完食した。


店を出ると、エイやタコを触れるエリアに行ったり、鳥羽市の特産品である真珠のお土産を眺めたりした。


「時間もいい感じになって来たけど、最後にふさわしいエリアがまだ残ってるよ」

 志渡は通路の先を指さしながら、俺に手招きをした。


俺は彼女についていく。


壁の看板には”コーラルリーフ・ダイビング”と書かれているそのエリアは、一層薄暗く、現実味がない空間だった。

 順路に従い階段を何段か降りると、天井も両脇の壁も、床以外の全てがガラス張りになっている。

 ひたすらに、蒼い。黒や白の絵の具を少し足したくらいでは、色が変わらないくらい蒼い。


 「すごい……」

 「でしょ?」


水槽にはサンゴ礁がある熱帯の海が模倣されていて、有名な映画に出てくるクマノミや、堂々と年季を感じさせるウミガメなどが自由に泳いでいる。


天井がほんのりと淡く、青が燃えているように揺らいでいる。


「たま~に飼育員さんがダイビングしてたりするんだよ」


「志渡もここに潜るようになるのか……」


「そうなりたいね……。スキューバダイビングの免許とか必要だし、その他いろいろを考えても、大学に進学した方が良い」


「なれるよ、志渡なら」

「ありがと。翔太郎は将来の夢とかないの?」


将来の夢か……。

考えたことも無かった。

ただ、生活出来れば良かったから。


「う~ん、強いて言えば……」

「大人に成っても、みんなと一緒に居たいかな。たまにご飯を食べに行くくらいの関係でも良いから」


「じゃあ、翔太郎の将来の夢は叶うよ」

「私たちだからね」


「ありがとう」

「うん」


「なあ、一緒に写真撮らない?」

 俺はコートのポケットからスマホを取り出した。


「いいよ」


 水槽を背景にして、志渡と横並びになる。


シャッターの中に、ちょうどウミガメが入って来た。


「いくよ」

「うん」


 パシャ。


「私にもその写真送っといてよ」

「分かった」


カップルのような人たちが待っていたので、俺と志渡はこのエリアを離れて、お土産を見に行った。


「これ買う」

 志渡が持ってきたのは、チンアナゴの抱き枕。


「俺はこれにする」

 俺は手に持っていたアシカのぬいぐるみを志渡に見せた。


「リコちゃん?」

「うん。今日の思い出」


 それから怜雄、奈良坂、水早、ツユに軽めのお土産を購入し、水族館を後にした。


鳥羽駅に戻り、電車を待つ。


「楽しかった~。1年ぶりくらいに来たよ」

「水族館、こんなに綺麗なんだな」


「ハマるでしょ~。伊勢とか名古屋にもあるんだよ?そっちも行く?」

「いいの?」


「もちろん、水族館巡りは善いことなのです」

 そう言い張る志渡が持つ紙袋の中から、チンアナゴの頭が飛び出ている。


電車が来るまで、あと数分。


 電車の中で伝えようと思ったけど、誰も居ない今の方がいいかな。


熱くて速い鼓動。

どくどくと、全身を血球が駆け巡る感覚が絶えない。

もう、覚悟はできてる。


後悔はない。



「志渡—」

 俺は志渡の目から視線を離さずに、話し始めた。


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