28話「も」

5節 「点描」

 奈良坂視点


 修学旅行の翌週。テスト期間を控えた私たちは、すっかり勉強モードになっている。


 高校生活の半分が終わる。もう、受験に向き合わなければならない。


 教室で1番窓側の席。斜陽がほんのりと私の体温を上げて、同時に眠気が襲ってくる。


 三輪先生の古典の授業は、声量で生徒の眠気を吹き飛ばすスタイルだけど、私の眠気の方がはるかに上だった。


 シャーペンを握る手の力が無くなり、シャーペンがポロリと、国語便覧の上に落ちる。


 私はシャーペンを握りなおして、怜雄の方を見る。


ノートに何かを書き込みながら、必死に黒板を見ている。


 ほんと。普段はあんなに子供っぽいのに、真面目な時はとことん真面目なのが、もう……。


 私は黒板を見て、ぼーとして遅れた分の板書する。


中庭の木の葉っぱは散り始め、余計に空の青さが分かってしまう。


片思いだけど、沢山の友達に囲まれて、私は本当に幸せものなんだと思う。


 私が怜雄に告白したら、今の人間関係は壊れてしまうのかもしれない。

怜雄だから、そんなことにはならないと思うけど、でも、間違いなく今の関係ではいられない。


 言い換えれば、ただの博打。でも、賭けずには居られない。

 好きだから。

 怜雄のことが、好きだから。


高校生活は残り半分だけど、まだ高校生。


 青春っどんな意味なんだろう。


辞書で引いても、見つからない。

 私たちに必要なのはいつでも、そういう辞書に載ってない言葉なんだ。


 方べきの定理とか、係り結びの法則とか、molの計算とか、そんなことはどうでも良い。


 この気持ちの伝え方が知りたい。


ねえ怜雄。私の名前を呼んでよ。


みんな奈良坂って呼ぶけどさ、私の下の名前、千一夜ちひよっていうんだよ。

怜雄だけが私を下の名前で呼ぶような関係で居たいんだ。


 怜雄の声で、凝り固まった私の身体は解れていくから。

寒い朝にはあって息を吐いて、”白いね”って言ったりさ。

そういう毎日を過ごしたい。


 あーもう。


我慢できない。


一言、好きっていうだけだから。


もう、怜雄に伝えよう。


 授業が終わって、私は怜雄にメッセージを送った。


『今日オフでしょ?放課後、教室で勉強しよう』

数分後、既読が付いた。


『おっけー。他に誰か呼ぶ?』


すぐに既読を付けたら、何か思われてしまいそうで、私はわざと既読をつけるのを遅らせる。


『ううん。2人で勉強しよ』


『わかた』

 怜雄からの返信はすぐに来た。


 __________________________________

放課後

 

私は教室で怜雄を待っていた。


心臓の鼓動が早い。


「ごめん!ツユと燐斗に捕まってた」

 教室の後ろのドアから、怜雄が走って入って来た。


教室には誰も居ない。


 少しだけ空いた窓から風が吹き込み、カーテンが揺れている。


「全然待ってないよ。誘ったのは私だしさ」

 私はリュックの中から数学Bの教科書とノート、筆箱を取り出す。


「数学やんの?じゃあ俺も数学やろうかな」

 怜雄は私の隣の席に座り、数学Ⅱの教科書とノートを取り出した。


そこから十数分間。私と怜雄は言葉を交わさずに黙々と勉強を進めていた。


「怜雄」


「ん?」


「ここの問題分かんない」

私は教科書のとある問題を指さす。


まあ、本当は、この問題は解けるんだけどさ。


「どれどれ?」

 怜雄は先を立ち上がると、机に両手を乗っけて私の教科書を見下ろした。


「ああ。この問題はさ、ここをこう―」

 怜雄はルーズリーフに図形を描いて、丁寧に私に説明してくれる。


「どう?伝わった?」


「うん。ありがと」


「どいたま」


 そこから十数分間、もたもや黙々と勉強を続けた。


 時計の針はちゃくちゃくと進み、時々スマホを見たり小話を挟んだりしながら、勉強を続ける。


 突然怜雄の携帯に電話がかかって来て、席を外した。


「ツユが俺の化学の課題プリントあるか聞いて来たわ」

怜雄が戻って来て席に座る前に、私のノートを覗き込んだ。



「なんか、全然進んでなくね?」

 怜雄は自然な表情で尋ねる。


私のノートは、さっき怜雄が教えてくれた問題から2問しか進んでいなかった。


「顔赤いよ。熱でもある?」

 私の顔を見て、怜雄はそう付け足した。


「ほんと?確かめてよ」

 私は前髪を手で上げて、おでこを怜雄に見せる。


「ん」

 怜雄は私の額にそっと手を差し伸べた。

生暖かくて、柔らかい感触が伝わる。


「どう?」


「ちょっと熱い」


「日向に居るからかも。体調は全然いいよ」


「そか。なら良かった」

 怜雄は私の額から手を離して、自分の席に戻ろうとする。


そっと離れていく怜雄の右手を、私は右手でつなぎとめた。

怜雄の手はまだ、私の額に置いてある。


「え?」


「ねえ、なんで顔赤くなってると思う?」


「熱いから?」


「残念」


「じゃあなんで?」


「本当に分かんない?」


「うん」


「じゃあ、正解教えるから。目、閉じて」


「ん」

 怜雄は瞳をそっと閉じた。


私は怜雄の手を優しく話して、両手で怜雄の肩を軽く抑えた。


そのまま、怜雄の胸元に額を当てる。


「これが正解」

制服の上からは気づかないけど、怜雄の胸と肩には程よく筋肉が付いていて、男の子なんだなと感じさせる。


ああ。やってしまった。

我慢できなかった。

もう後戻りできない。


不安と期待が混じる脳裏を、温もりが解きほぐしていった。


「……」

 怜雄は、左手を私の腰に添えて、そっと私を抱き寄せた。


「怜雄?」

「ん?」

「甘えていい?」

「うん」


 私は怜雄の肩から両手を離し、怜雄の背中に回した。


「奈良坂が俺のこと好きだって、気づいてた」

「けど、気づいてない振りをしてた。今の関係で居られなくなるのが怖くて、言い出す勇気が無かった」


(なんだ……怜雄も同じだったんだ)


「本当は、俺から気持ちを伝えるべきなんだろうけど……」

「ありがとう。奈良坂」


「うん。いいよ」


「奈良坂」

「ん?」


「目、瞑って」

私はぎゅっと目を瞑る。


怜雄の身体から少し離される。

そして、私の唇が、怜雄の唇と重なった。


重なり合う感触を確かめて、湿って温もりがある怜雄の唇が、やがて離れた。


「ずるい」


「なんで?」


「私、勇気出したのにさ。怜雄だけいいところ持って行って」


「ごめん」


「ううん」

「ねえ怜雄」


「ん?」


「私の彼氏になって」


「ああ。もちろんな」


 斜陽に照らされる私と怜雄の影が、ぐっと伸びて黒板に映っている。


「一緒に帰ろっか」


「そうだな」


 私たちは荷物をまとめて、教室を出た。鍵を返却して、2人並んで歩く。


校舎を出て少し歩いたところにある歩道橋。


前に怜雄と2人で来た時は、私が怜雄に起こってしまった。


 右を見れば、太陽が沈んでいくときのオレンジ色が視界に入る。


左に居た怜雄が、私の右側に移動する。

同時に、私の右手をそっと握った。


「彼氏はさ、車道側を歩くんだぜ?」


「これからは、怖くなくても手をつなぐからね」


「ああ。楽しみにしてるよ」





 この選択の先に何が待っていようと


私は貴方を好いている。











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