16話「て」
家に帰ると、俺はリュックをそのまま床に置き、流れるようにベッドに倒れ込んだ。
「んん……」
翔太郎と志渡は付き合ってた。
志渡のことを思い出すだけで胸がぎゅーって締め付けられる。
布団と頬がこすれる感触が心地いい。
俺が志渡のことを好きだと、志渡が知ってしまったら、彼女は傷ついてしまうだろうか。
雨が降り出す前の曇り空みたいな灰色のもやもやが、頭の中を満たして止まらない。
「お兄ちゃん!ご飯の準備手伝って!」
愛唯がノックをして俺の部屋を開けた。
「ん~。分かった……」
俺はベッドから身体を起こして台所へ向かった。
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高校生活が始まり1週間。最初はクラスに入ることも億劫だったけど、今では当たり前のように通学できてる。
朝は怜雄やツユと通学して、授業中は瀬菜の助けを借りながら勉強に勤しむ。
放課後は図書館で勉強したり、文化祭の制作を手伝ったりする。その度に志渡と話すことになったが、俺の気持ちは出来るだけバレないように接した。
音楽を聞きながら家に帰って、体育の授業だけでは物足りない運動量を補うためにランニングや筋トレをした。
翔太郎が所属していたハンドボール部のキャプテンから、部活に復帰しないかと誘われたが、そこまでの余裕が無かったので断った。
文化祭制作では、俺の班は問題なく作業が進んだ。しかし、瀬菜と水早たちが担当するアトラクション本体の制作はスケジュールが押していた。
文化祭制作、部活。それぞれのタスクを掛け持ちしながらテスト勉強をこなしていたが、ついにこの日がやって来た。
俺が高校生活を始めて1か月とちょっと。人生初の試験。
中間テスト当日 1日目
2学期中間テストは3日間を通して行われる。1日目の教科は現代文、世界史、コミュニケーション英語だ。
3限目のコミュニケーション英語の終了後、帰りの準備をしている俺に怜雄が話しかけて来た。
「どうでしたか翔太郎さん」
「世界史は絶対大丈夫、70点はある。現文とコミュ英は……。まあ赤じゃないと思う」
「俺もそんな感じかな。コミュ英がちょっと怪しい」
そう言いながら怜雄は後頭部を手でぽりぽりと触った。
「怜雄!部活!」
教室の後ろのドアからテニスラケットを持ったツユが怜雄を呼んでいる。
「あ~。なんで中間テストの週に新人戦やるかな~」
怜雄はそういうとリュックとテニスラケットを背負った。
「んじゃね、翔太郎」
「頑張ってね~」
手を振って去って行く怜雄に俺は手を振り返した。
中間テスト2日目
2日目の教科は地学、英語表現、古典だ。
地学と古典は暗記要素が強い問題ばかりだったので、思いのほか簡単に思えた。
毎日のように、放課後は図書館に入り浸って勉強をした甲斐があったようだ。
怜雄とツユは今日も部活の練習に向かっている。
中間テスト当日ということは、文化祭当日まであと1週間しかないということだ。
文化祭終了の2週間後には修学旅行も控えている。
楽しみな行事が盛りだくさんだが、まずは明日の中間テスト最終日を乗り越えなくては。
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中間テスト最終日
奈良坂視点
中間テスト最終日の教科は、数学B、化学、日本史。
ほぼほぼ暗記教科の日本史に最大限の感謝を示しながら、数Bと化学に対しては解答用紙に威嚇し続けてやった。
テスト終了後のホームルームで三輪先生がみんなに言った。
「これでテストは終わったけど、来週は文化祭本番だから!土日は来れる人が学校に来て、本体の制作と装飾を進めます!」
その他時間割変更などの業務連絡を通して帰りとなった。
私が所属する軽音部の出番は、文化祭1日目の体育館でのステージ企画。
テストが終わった今日から、一息つく間もなく練習を重ねる。
運動部が体育館を使用する都合上、軽音部の部室で練習するしかない。
体育館は音響も証明も、何も環境が違う。
リハーサルが出来るのは前日の数十分だけ。
慣れない環境でのライブでは、普段からの練習量と慣れ、感覚がものを言う。
私のバンドでは、有名なアニメのオープニングテーマ、今年流行ったボーカロイドの曲、邦ロック、閉めに恋愛ソングの4曲を演奏する。
邦ロックとアニメの曲はコンクールで利用した曲だったけど、ボカロと恋愛ソングの方は文化祭でやるのが初めてだ。
バンドメンバーが1曲ずつ好きな曲を挙げて選曲された。
私が選んだのは恋愛の曲。
当日は全校生徒がこの曲を聞くことななる。私以外のバンドメンバーも、様々な思いを抱いて音を鳴らす。
私がこの曲を選んだのは、怜雄に聞いて欲しかったから。
私は、今の怜雄に思いを言葉で伝えることができない。
だから、この曲を通して怜雄に伝える。
バンドメンバーの力を借りて、全校生徒が居る中で、たった一人の怜雄にだけ聞いて欲しいという欲張りな私を許して欲しい。
怜雄がこの曲を聞いたとしても、ボーカルは私じゃないから、私が直接歌詞を伝えることはできない。
音楽で気持ちを伝えるだなんて、伝えたい側の自己満足でしかない。
やってもやらなくても、きっと何も変わらない。
何も変わらないなら、欲張りでも贅沢でも良いから、私は私のやり方で好きを叫んでも良いでしょ。
私は自分の机の上に、椅子を上げた。
リュックを背負って軽音部の部室に向かう。
靴箱でローファーに履き替えて、顔を上げた。
他学年も、男も女も、酸いも甘いもすらも混じりある雑踏のなかで、私の瞳に映った人影は何よりも鮮明だった。
「奈良坂も今から部活?」
部活用の服を着て、半袖半ズボン姿の怜雄が、私の目の前に立っていた。
「うん……。来週本番だからね」
「そっか。頑張れよ」
「ありがと」
ローファーの履き終えた私は、そのまま校舎の外に出ようと歩き出した。
怜雄とすれ違って、さぞ”いつもの日常です”と言わんばかりに。
「あ、あのさ」
私の喉から、いや、たぶん心から、無意識の言葉が飛び出した。
「ん?」
テニスシューズとスリッパを履き替えようとする怜雄が振り向いた。
「明日、新人戦でしょ。怜雄も頑張ってね。応援してる」
「おう!」
純粋で混ざり物がない眩しすぎる笑顔で、怜雄は返事をした。
鼓動と歩幅が自然と速くなる。
多分、ほっぺも赤くなってる。
行き交う生徒に見られてるんじゃないかって、自意識過剰な不安を抱えながら早歩きで部室に向かう。
部室に着いても、まだ私のバンドメンバーはそろっていなかった。
みんなが揃うまで、例の曲を聞いておこう。
『手をとることが できずとも 私はあなたを 好いている』
行く宛の無いこの気持ち高まりをグラフにしたら、きっと溶解度の変化のグラフみたいに、どこかで限界を迎えてしまいそう。
気持ちってのは溶解度と似ていて、心の温度によって受け入れられる量が違うんだ。
心が温かい時は沢山の気持ちを受け取れて、冷たいときはすぐに限界が来て飽和してしまう。
受け止めきれなかった量は、たぶん涙になって溢れ出ししてしまう。
「お、奈良坂早いじゃん」
シドちゃんのバンドメンバーの子が入って来て、私は少し我に返った。
「まあね。よしイスラ、今日も頑張ってこうか」
(イスラはシドちゃんのバンドメンバーでボーカル。ちなみにハーフ。)
私はイスラの肩をポンポンと叩いた。
「なんかあった?」
イスラは少し戸惑いながら困った顔をした。
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テスト最終日の放課後 志渡視点
テスト終了後。たぶん赤点は免れたとおもう。
いつもなら、テスト期間は翔太郎と放課後の教室で勉強してた。
翔太郎に勉強を教えてもらって、帰りはコンビニでお菓子を買ったりして。
時々翔太郎が居眠りして、私がシャーペンに付属している消しゴムでつんつんと翔太郎の頬をつついてた。
翔太郎が学校に復帰してから1ッか月と少しが経過した。
少しずつ今の翔太郎と話すことに慣れては来たけど、まだ私は昔の翔太郎の面影を探しているんだと思う。
その証として、私のスマホのパスワードは翔太郎との記念日のままだ。
スマホケースだって、事故の日に翔太郎がプレゼントしてくれた、ぼろぼろのアシカのスマホケースを使ってる。
私がアシカ、翔太郎が狼で、二人でお揃いのはずだったけど、今の翔太郎のスマホケースは私とお揃いのものじゃない。
フォルダに保存されている翔太郎との写真は、一つも消されていない。
と言うより、消せない。
この恋の終わらせ方は、私が自分で自分に言い聞かせるしかない。
でも私は、それが出来るほど強くない。
テスト終了後、廊下から段ボールを運んでいた私に翔太郎が話しかけて来た。
「持つよ、それ」
「ん。ありがと……」
私は抱えていた段ボールを翔太郎に渡した。
翔太郎は優しいから、当たり前のように優しい。
クラスメイトだから、当たり前のように会う。
その”当たり前”で傷ついてしまう時、私はどうしたら良いんだろう。
教室に入ると、瀬菜ちゃんを中心として普段より多い人数が文化祭準備に参加している。
去年の文化祭で翔太郎と一緒に作業をしたことが、私と翔太郎の出会いだった。
「志渡~、やろう」
翔太郎は教室の奥の方で模造紙を抱えながら私を手招きして呼ぶ。
「うん」
私はそれに答えて翔太郎の居る場所に向かった。
ああ。
私はこの恋を自分で終わらせれないから。
いっそのこと、翔太郎から私を手放してよ。
ほんと、面倒な女でごめんね。
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