15話「い」

 文化祭制作開始した日の帰り路。 志渡視点


「おまたせ」

 部活を終えた奈良坂が手を振りながら私と合流した。


「イスラ達のグループも順調そうだよ」

 イスラは私が所属していたバンドメンバーのリーダーの男の子。

私が部活を休部するって言った時、バンドメンバーのみんなが「いつでも戻って来てね」と言ってくれた。


「そっか。良かった」

 私は安心しつつも、少し引け目を感じた。


 私が担当していたキーボードの枠は、実力がある1年生の子が臨時で対応してくれている。


「さっきまで文化祭の準備進めてたんだけどさ、翔太郎と二人で話したよ」


「そっか。どうだった?」


「声も顔もやっぱり翔太郎だけど、別人って感じだった」


「そうだよね。私もまだ慣れてないとこある」


 眩くも確かなの光が、教員の通勤用の車のフロントガラスに反射している。


 パレットの上で赤とオレンジを混ぜた時の、色の境界線みたいな空がグラウンドの上空に広がっている。


「でも、嫌な感じはしなかったよ」

 私は心のどこかで、私を苦しみの源泉である翔太郎を、良く思っていなかったのかもしれない。


でも、その気持ちはきっと間違いだと気付いた。


翔太郎は自分から望んで私を忘れたんじゃない。


「これから、普通に話していけそう?」


「う~ん……」

 今の翔太郎も良い子だったけど、付き合っていた頃を思い出すと、やっぱり辛い。


「1日できっぱりと割り切るのは何事でも難しいよ」


「そうだね……」


 スマホのパスワードも、翔太郎との記念日のままだ。

このボロボロのスマホケースも、体育祭の日に翔太郎がプレゼントしてくれた。


「今の私は、翔太郎と付き合ってるのかな……?」


「う~ん……」

 奈良坂は顔を傾けて悩んでいる。


「付き合ってる最中に翔太郎の記憶は無くなってしまって、私からも、翔太郎からも、別れの言葉を言ってない」


「付き合って別れるのも辛いけど、付き合ってたこと自体が無かったことになる方が、もっと辛いよね」

 身体の中から溢れる気持ちが、涙が、目から零れてしまいそうになる。


「昔の翔太郎とシドちゃんが付き合ってたって、今の翔太郎が知る日が、いつか来る。その時は、奈良坂や怜雄じゃなくて、自分から言わないといけないと思う」


「それを伝えてようやく、私のけじめがつくと思うから」


「シドちゃん……」


「私の恋だから、私が終わらせないといけない。奈良坂には、奈良坂の恋があるしさ」



 私は部室棟の前でツユと燐斗と走り回っている怜雄の姿を指さした。



「怜雄よりもシドちゃんのが大人だね」

 そう言うと奈良坂は少し微笑んで見せた。



____________________________________


翌日 翔太郎視点


 今日も今日とて、俺は手に持ったシャーペンをへし折りそうになっていた。


(アセナ、ダメだ……。このシャーペンは翔太郎が買ったやつだぞ)

 そう言い聞かせながら、知らない言語の魔法の詠唱に聞こえる数学の解説を聞き、終わりの鐘が鳴るのを待った。


「起立!例!」


『あざした~』


 瀬菜が号令を掛けたが、俺は両手をぶらんと床に垂らして、顔を机に対して押し付けていた。


「しょーたろー大丈夫そ?」

瀬菜が俺の顔の前で手をフリフリして瞳孔を確認する。


「おれすーがくきらい」


「ありゃ。こりゃダメだ」


 俺のリュックのサイドポケットに入っているスマホから通知音が鳴った。


『たかおかみ からの一件の新着メッセージがあります』


(ツユからだ……)


『日曜の勉強会の場所と時間ね~』

 メッセージと共に位置情報と時間が記されていた。


俺は”あんがと!”と言っている狼のスタンプで返信した。




 時間は流れ、日曜日。


 俺は自転車に乗って指定された喫茶店に向かった。

数学と英語表現教材がリュクに詰まっている。


(昨日自転車に乗るの練習しといてよかった~)


 喫茶店に到着すると、怜雄とツユは既に到着していた。


『うい~』


「挨拶の語彙力が無さすぎる」

 と俺がツッコむ。


「言葉は要らねえ……」

 怜雄はそう言いながら店のドアを開けた。


「なんだこいつ」

 そう言うツユに続いて、俺も店に入店した。



 店内はアンティーク調のテイストで、老舗感が漂っている。


「いらっしゃいませ~。何名様でしょうか?」


「3名です」


「ご案内いたします」


 俺たちは窓側の4人席に案内された。


「ご注文お決まりになられましたらお声かけ下さい」


『は~い』


「何飲む?」

俺は立て掛けられたメニュー表を手に取った。


「俺はコーヒーで」

 ツユはメニュー表のオリジナルブレンドコーヒーを指さした。


「俺もコーヒーにする。怜雄は?」


「めろんそーだ。加えてガトーショコラも」


「おっけ。すいませ~ん」


 注文を伝えると、俺たちは持参した教材を机上に広げた。


「英表からシバきますか」

 そういうと怜雄は英語表現の問題集を開いた。


 3人寄れば文殊の知恵という言葉があるようだが、その3人は普通レベルの3人であって、俺らのような普通以下は、3人が集まってようやく一般人の知恵に到達した。


 1学期末テスト範囲から、現在習っている範囲まで問題を解き終わり、昼食をとることにした。


俺はオムライス、ツユはとんてき定食。怜雄はナポリタンを注文して平らげた。


 昼食後は数学Bの自習用プリントを溶かす予定だったが、予定通りに事が進むわけが無い。


 ご飯を食べると集中力が回復するどころか、数学の問題を解くために必要なエネルギーが昼食の消化に使われ、プリント表面の1⃣ (3)の問題から進んでいなかった。


「そいうやさ、ウチのクラスの文化祭企画は進んでんの?」

 メロンソーダをストローで飲んだ怜雄が尋ねた。


「うん、まあ少しづつは」


「そ~なんだ。部活あって行けないから申し訳ない」


「全然全然。毎回手が空いてる10人くらいで作業してるよ」


「俺はいっつも志渡と2人で作業してる」


「マジ?」

怜雄が驚いた様子で目を大きく見開いて尋ねた。


「うん」


「シドちゃんどんな感じ?」


「普通に話してくれるけど」


「そっか……」


(怜雄にについて聞いてみるか)


「みんなが俺のお見舞いに来てくれたときさ、志渡は俺をみて凄く取り乱してたの覚えてるんだけど……昔の俺と志渡って、どんな関係だったの?」


 この質問を聞いた怜雄とツユは顔を見合わせた。


「う~ん……」


「俺らの口から言って良いのか分かんないな……」

 と二人は頭を抱える。


「シドちゃんのことを考慮するべきだけど、ずっと何も知らないまま進むわけにはいかないよな」

 とツユが真剣な目で言った。


「そうだな。いつかは翔太郎も知ることだろうし……」


「率直に言うと、昔の翔太郎とシドちゃんは付き合ってた」


「え……?」


「だから、翔太郎がシドちゃんを覚えてないって分かったあの時、取り乱しちゃったんだろうね」

 とツユが付け足した。


「そっか……」

 俺の視線はなぜか自然と下を向いてしまった。


「翔太郎が悪い訳じゃないからな」

怜雄がフォローしてくれた。


「これからどうなるか分かんないけど、俺たちも居るしさ」

ツユもフォローしてくれた。


「うん。ありがとう二人とも」


「あ、そうそう」


俺は翔太郎が以前使っていたスマホを持ってきた。


「これ、パスワードが分からなくてさ……」

 今俺が使っているスマホは、怜雄のおさがりだ。


「翔太郎のといえど、パスワードまでは分からんなあ」

 と怜雄は頭を悩ませる。


「俺もだな……。あ、志渡ちゃんなら分かるんじゃない?」

 とツユが言った。


「付き合ってたらパスワード共有するものなの?」

 俺は尋ねる。


「ん~。人によるけど、志渡ちゃんが束縛強い感じには思えないしな……」

 と怜雄が言う。


「そっか……」

 俺はスマホをしまった。


それから数学のプリントを終わらせると、現地解散になった。




 

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