6話「み」

2節 「我、逢ふ、人」



 俺が家に帰った翌日の夕方、怜雄が俺の家を訪れて来た。


「よお翔太郎。学校のことなんだけどさ、不安かな~と思って来ちゃった」


 部活帰りだろうか。ウィンドブレーカーにバックを背負い、テニスラケットをたすき掛けにした怜雄が玄関前に立っていた。


「正直、めっちゃ不安だよ。何も分からないし」


「どしたのお兄ちゃん」

 玄関の奥から愛唯がやって来た。


「ああ怜雄君だ!」


「ども~」


「あがってあがって」


「お邪魔します」


 怜雄が家に上がると、俺と怜雄は俺の部屋で話すことになった。


「相も変わらず綺麗だな」

 と俺の部屋を見渡した怜雄が言う。


「愛唯のお陰で」


「前も結構綺麗だってけどな。そうそう、これ渡しに来たんだった」


 というと、怜雄はリュックから袋を取り出して俺に渡した。


俺は袋の中から物を取り出す。


「……スマホ?」


「ああ。俺のおさがりだけどな。愛唯ちゃんが翔太郎のスマホが開けれないって連絡くれてさ。この前下取りせずに機種変更したから、古い奴が残ってた」


 シンプルな赤と黒のケースに入れられたスマホ。画面も綺麗で、普段使いする分には何の支障も無さそうだ。


「いいの!?俺が貰っても」


「うん。もう使わないしな。これから高校生活送るってのに、スマホ無しは現代じゃ無理よ」


「ありがとう……!」


「本体リセットしてあるから、古いスマホからSIMカードだけ入れ替えれば良いとお思う」


「んでさ、もうすぐ学校に復帰すんだろ?大丈夫かな~って」



「学校がどんなものかは分かるけど、俺がどんな学校生活を送ってたとか、友達とかは全く分からない」



「そっか~。やっぱりか……」

 怜雄は首を傾げてう~んと悩んだ。



「学校行くの、結構怖いんだよね……」

 俺は本音を打ち明けた。レムリアでは上手に人間関係を築けなかったから。


 自分の能力を上手に制御できず、周りに迷惑をかけてしまう。周囲への申し訳なさを背負いきれず、近寄ってきてくれる人間に戸惑ってしまった。


 俺は恵まれた人間で、周りの仲間に悪意はなく俺を支えようとしてくれた。


 レムリアでの俺は贅沢者で、欲張りで傲慢な奴だった。


でもこの世界で同じように生きる訳にはいかない。


「ツユは違うけど、俺とか奈良坂も同じクラスだし、困ったら俺らを頼ってくれれば良いよ。翔太郎はハンドボール部に入ってて、逆サイドってポジションやってたらしい」


 そう言いながら怜雄は袋菓子に手を伸ばした。


「今は休部扱いだからすぐに部活に戻る必要もないし、新しい翔太郎が部活を続けるかどうかも、翔太郎が決めていい」

 怜雄はお菓子を頬張った。


「しばらくは学校に慣れるのを優先したいから、休部を続けようと思うよ」

俺も袋菓子に手を伸ばす。



「そっか。まあそうだよな。勉強とかもあるし」


「そう、勉強のことなんだけど、前の俺って勉強できた?」


 翔太郎が持っていた参考書や学校のワークなどに何冊か目を通したが、全く分からない。保健体育や家庭科に関しては、日常生活の知識を応用すればある程度分かった。


 現代文、英語に関してもある程度は大丈夫そうだった。しかし、数学、世界史、地学に関しては全く分からない。


「うん。まじで勉強できたよ。俺いっつも頼ってたし」


「まじか……」


「もしかして学力もリセット?」


「うん」


「まじか」


「大マジ」


「中間テストあんのが10月半ばで、今9月の頭だから、まだ1か月はあるな。ちなみに、ここまでは覚えてるとかある?」


 小学校、中学校……。いわゆる義務教育の範囲の学力なら引き継がれていた。


 三平方の定理とか、漢文のレ点とか、1467年が応人の乱とか、be動詞+過去分詞が受動態だとか。


 記憶の継承の詳細は分からないが、一般教養として必要とされる範囲は分かる。

元の翔太郎が優秀だったからかもしれない。


「中学の範囲までなら分かる。けど、高校入ってからの問題は全く」


「そうか……。世界史、古文辺りは暗記ゲーだし、地学も俺らの高校はワークから出るし……。問題は数学だな~。特に数Bはベクトルやってるし難しい」



「先生に頼めば教えてもらえるだろうし、俺は成績真ん中位だけど、英語なら多分教えれる」



「とりあえず赤点にならないことを目指すよ」


「そうだな。翔太郎の場合は一年半分の成績の貯金があるようなもんだし。あと他に不安なこととかある?」



 不安。不安なこと。やっぱり、人間関係が凄く不安だ。



「学校にいきなり記憶失ってる奴が来たら、すごい浮くと思うんだけど、そこが不安」



「ああ。そこなら心配要らないと思う。俺らのクラスだし」



 怜雄は自身ありげに笑みを零した。



それから何気ない会話を続け、しばらくして怜雄は自分の家に帰って行った。



(”心配いらない”か……)


 俺はベッドでうつ伏せになり、枕に顔を沈める。


(本当に大丈夫かな……)




「お兄ちゃんご飯できたよ~!」


 廊下から愛唯の声が聞こえた。


「はーい!」

俺は返事をして自分の部屋を後にした。



____________________________

怜雄視点


 翔太郎の家からの帰り路。俺は最寄駅から電車に乗った。


斜陽が俺の視界を射し、目俺は思わずを細める。


 俺はワイヤレスイヤホンを取り出して音楽を聞き始める。


視線は自然と下を向き、電車の床が見える。



 普段ならSNSの動画を見たり、友達からのDM等を返すが、今日はそんな気にならない。


 翔太郎の意識が戻って、翔太郎が俺のことを覚えていないと分かった日。

俺は思ってしまった。”翔太郎と俺は親友と。


 親友という関係性を、過去形でとらえてしまった。



 俺のことを忘れてしまった友人を、俺は反射的に友達だと思えなかった。


 毎日一緒にご飯を食べて、下校して、部活の休みが合った日は遊びに行って……。


 4年間以上もほぼ毎日一緒に居た。

そんな関係を、”俺のことを忘れたから”という理由で否定してしまった。



 覚えていることがそんなに大事なのか。


 翔太郎が全部忘れてしまったら、俺が全部忘れられてしまったら、友達だった奴を友達だと思えない理由になるのか。


 そんなはずない。


でも、記憶を無くした翔太郎を友達でなはいと、一瞬でも思ってしまった。


 今日、翔太郎に会いに行ったことも、スマホを渡したことも、友達の力に成りたいという純粋な気持ちから生まれた行動だ。


 それでも、あの刹那の自分が脳裏にずっといて、頭の中で爪を立てて傷つけるんだ。


 俺を頼れとか、どの口でほざいてるんだ。



 今の俺で、翔太郎と肩を並べることが許されるのか。



「……」



 辛い。


でも、俺よりも辛い人はいる。



 電車が駅に着いた。


俺は電車を降りて歩道橋を渡り、電車を待つ。


 斜陽は依然として俺の背中を照らし続け、駅のホームには影が伸びていた。





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