4話「る」

奈良坂視点


志渡ちゃんの心が少し落ち着いたので、私は一度翔太郎の病室に戻ることにした。


すると、通りかかったフリースペースで頭を抱える怜雄の姿が見えた。


 それを見て、思わず壁の背を付けて隠れれしまう。


 翔太郎の彼女である志渡ちゃんが辛いのは当たり前。

だけど、怜雄だって辛い。


 怜雄にも声を掛けたい。でも、怜雄と幼馴染の私には分かる。


 怜雄はいっつも強いフリをしてるんだ。自分よりも周りが優先で、自分が辛いのはその代償だと思ってる。


 今の怜雄に「大丈夫?」なんて聞いても、「俺は大丈夫。それよりも、志渡ちゃんのフォローをしてくれてありがとう」とか言うんだろうな。


 でもそれは私が怜雄の心配をしない理由にはならない。



私は一息つくと怜雄が居る机に向かって歩き出した。


「怜雄」


「奈良坂……!」

私に名前を呼ばれた怜雄は、授業中に居眠りをしていて急に当てられた時みたいにハッと私を見上げた。


「志渡ちゃんは少し落ち着いたみたい。怜雄は……大丈夫?」


「おう。俺は大丈夫だよ。志渡ちゃんのフォローしてくれてありがとな」


 「うん……。私は病室に戻るね」


「俺も行くよ」

そう言うと怜雄は席を立って歩き出した。



(ほら。そうやって自分は無視して回りばかり)


(少しくらい、私にくらい、弱いところを見せてくれても良いのに……)



(……!)


 ダメだ。今は私の個人的な気持ちを出していい時じゃない。私は翔太郎と特別な関係にあった訳じゃない。

 志渡ちゃんだって、怜雄だって、妹の愛唯ちゃんだって、栞さんだって辛いんだ。



 私が、皆を支えないと。



____________________

 翔太郎視点。


俺とツユは引き続き病室で会話を続けていた。


「あのさ、怜雄とかさっき居た女の子たちについてなんだけど……」


 ツユが慎重な面持ちで話し出した。


「うん」


「記憶を失う前の翔太郎と……その……。すっごく大切な関係だったんだ。だから、翔太郎が今の状態になってしまって、凄く戸惑ってると思う」


「でも、それは翔太郎が悪いってわけじゃじゃないからな。それはあいつらだって分かってることだし。翔太郎が自分を責める必要なんてない」



言葉を選びながら、誰も傷つかないように話してくれた。


「ありがとう。ツユ」




 レムリア大陸に居た時の俺は、自分の能力を制御できないことを負い目に感じていた。周りに迷惑をかけてしまう、悪く思われるのが怖い。そんな気持ちから、自然と周りを拒絶していた。



 全く知らないない未知の世界に一人で送られた。

元の世界に帰れるのかという不安。

生きれるのかという焦り。


その感情たちが五臓六腑に、一挙手一投足に絶え間なく圧力をかけ続ける。


 でも、こんなに暖かい人間関係に囲まれているのだから、何とか大丈夫な気がする。


 俺は一人じゃないんだ。


 この世界では頑張ってみよう。

 

 真神 翔太郎の身体に宿った、アセナ フェンリルとして。


 真神 翔太郎として残ってしまったしがらみを解かなければ。


 ただ優しくされるだけじゃいけない。


 友人であるツユ達、家族である栞さんや愛唯ちゃん。みんなに残る心の癌を少しづつ無くしていくんだ。



「ツユ~ただいま」


病室に怜雄と一人の女の子が入って来た。


「そういや奈良坂は挨拶まだだったな。この子が奈良坂ならさか 千一夜ちひよ


「どうも」


 紹介された奈良坂は一歩前に出て会釈した。


「どうも」

 俺も軽く会釈を返す。


「あとさっき出て行った。志渡ちゃん……志渡 美音奏って子も居るんだけど、まあいつか話せるよ」


「ずっと怜雄、翔太郎、奈良坂、志渡ちゃんの四人組で居たんだよ。俺はたまにだけど」

 とツユが言う。


「個人に関する記憶以外は大丈夫らしいけど、まあ何でも俺らに相談してくれ」

 と怜雄が親指で自分を指しながら言った。


「ならしゃか~!」

 次は妹も愛唯が病室に入って来て奈良坂に抱き着いた。


「久しぶり~愛唯ちゃん」

 奈良坂は愛唯の頭を撫でた。


それに続いて祖母の栞さんや主治医の一谷さんが入室してくる。


「俺らはいったん席を外すか」

 そう言うとツユは椅子から立ち上がった。


「そうだな。志渡ちゃんとも合流しないと」

 そう言うと怜雄も立ち上がった。


「俺らは一旦外れるけど、なんかあったら何時でも連絡くれ」


「うん。ありがとう」

 俺は深々と頭を下げた。


「じゃあな~」



 怜雄、奈良坂、ツユはそう言いながら病室を後にした。


「どうぞ皆さん、おかけ下さい」

主治医の一谷が話し始めた。


 栞さんも愛唯ちゃんも席に着く。


「翔太郎さん、先ほどはどうもお疲れさまでした」


「こちらこそ」


「記憶に関して、何か思い出したこと等はありますか?」


「何も……」


「そうですか。何か思い出すようでしたらいつでもお知らせください。現状は記憶障害以外に目立った後遺症はありません」


「念のため、あと1週間は入院が続きます。病院内で生活しつつ、神経内科、精神科での検査を受けてもらいます。その後、総合的に判断をして退院という形になります」



「わかりました」


「先生……。その後はも視野に入れてよろしいのでしょうか?」

と栞が一谷に尋ねた。


「はい。学校へ行ったりご自宅に帰ることで、何か思い出すことがあるかも知れません」



「他に何か質問等はございますか?」


「いえ。大丈夫です」

 と栞さんが応えた。


「翔太郎さんからは?」


「俺からも、大丈夫です」


「分かりました。繰り返すようですが、ご自身のことで記憶を思い出した際はいつでも連絡を下さい」


「では、失礼します」

そう言うと一谷は礼をして病室を後にした。




「お兄ちゃん!本当に私のこと忘れてるなら、昔のお兄ちゃんのこと話してあげるね!」


「私が初めてカレーを作った日のことで……」


 そう元気よく言うと愛唯ちゃんは笑顔で思い出話を始めた。


 栞さんはその話を目を閉じて頷きながら、時々微笑みながら聞いている。


翔太郎の父と母が亡くなってから、真神家の家事は3人で分担して行わていた。


料理、掃除、洗濯を3人でローテーションして行っていたようだ。


 料理をはじめたての翔太郎は、何度も指を切ったり火傷をしたりしながら、栞さんの教えで上達していったらしい。


 カレーライスに入っているジャガイモが大きすぎたり、全く火が通っていなかったりしたそうだ。


 翔太郎は成長していく愛唯ちゃんに料理を教え、今の真神家のご飯の大半は愛唯ちゃんが作っているらしい。


 まだ12歳という若い年齢で、ここまで自立しているのは複雑な家庭環境があったからだろう。


 実の兄が記憶を無くしているのに、それでも泣かずに前を見て、背を伸ばしていられるのだ。


 愛唯ちゃんの心境は、俺には計り知れない。



そして、話を無言で聞き続けていた栞さんは、高齢だと伺える。


 愛唯ちゃんが話す思い出の一つ一つを、思い出のアルバムを捲る時の手のような温かさで聞いていた。


包容力と柔らかさに似たその佇まいは、この病室を過ごしやすくしてくれた。


 愛唯ちゃんが話疲れてくると、ずっと寡黙だった栞さんが初めて口を開いた。


「翔太郎や……」


「はい?」


「記憶は忘れちまっても、命があって良かったねぇ。いっぱいお天道様に感謝せにゃいかん……」



 降り始めた雨の最初の雨粒の様に不意に、一滴の雫が俺の頬を流れた。



涙だ。


あれ?


何で泣いてるんだ?


悲しくないのに。


栞さんも愛唯ちゃんも、今日あった人間だ。


正直、まだ他人だ。


 新品の半紙に一滴の隅が落ちて、徐々に黒く染まっていくように、俺の視界が濡れていく。



 だから、別に悲しくない。


なのに、なんでこんなに、涙が……。



違う。


泣いてるのは俺の意識じゃない。

泣いてるのは俺の気持ちじゃない。


じゃあなんで涙が出るんだ。



俺の気持ちに反して、身体が勝手に涙を流す。



身体が勝手に……。



ああ、そうか。


この身体は俺の、アセナ フェンリルの身体じゃない。



真神 翔太郎が泣いてるんだ。



 その日の夜は愛唯ちゃんも栞さんも帰宅し、流石に脳が疲れた俺も早い時間帯に眠ってしまった。



























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