3話「ら」
志渡 美音奏視点
5月26日。体育祭の後、二人で海に行った。私たちが通っている高校は海の近くで、放課後に遊びに行ける距離だ。
体育祭が終わって海に行って、海から最寄り駅までの帰り路、私と翔太郎は交通事故に巻き込まれた。
交通事故の原因は、高齢者ドライバーの道路標識の誤認と、アクセルとブレーキの踏み間違いによるもの。
翔太郎はとっさに私を押して助けて、自分だけ車に轢かれてしまった。
それから約3か月。孤独になるにはあまりにも長い時間が続いた。
スマホを起動させる度に見える待ち受けのツーショット。
既読にならないと分かっていても、何度も連絡を送ってしまう。
そのたびに送信を取り消して、”メッセージを取り消しました”という言葉だけがトーク履歴に残っている。
事故の直前に翔太郎がプレゼントしてくれた、お揃いのスマホケース。事故で割れてしまったけどずっと使っている。
目を覚まさない翔太郎のお見舞いに行くために、所属していた軽音部を休部した。
出来るだけ毎日お見舞いに行って、テスト勉強もこの病院で行っていた。
それでも翔太郎の意識は戻らない。
止まない涙の雨の日が続いた。
高校生2年生の夏休み。人生において、”青春”と呼ばれるこの期間を、私は病室で過ごした。
意識が戻るか分からない。ただ、待つことしか出来ない。
乱れ続ける交感神経と副交感神経を無理やり収めようとして、余計に心が病んだ。
だから、翔太郎の意識が戻ったと愛唯ちゃんから連絡が来た時は、本当にうれしかった。
私の毎日が戻ってくる。もう一度、翔太郎に会える。そうしたら、失った時間を取り戻すために、翔太郎の手をもう一度握るんだって。
止まない雨は無いんだって。
確かに、止まない雨は無い。
でも、曇らない晴れだって無い。
翔太郎の意識は戻ったけど、”一部の記憶を喪失”。
それも、翔太郎個人に関わることを思い出せない。
自分の名前も、家族の名前も。
もちろん。恋人だった私の名前も。
病院に向かうタクシーの中で、不安ばかりが頭を過った。
覚えていて欲しい。私のことを。
仮に全てを忘れていたとしても、私を見るだけで、その全てを思い出してほしい。
出来るだけ早く病院の中を移動し、すれ違う人に視線を向けられながら、病室の扉を開けた。
再び動いている翔太郎の姿を見た時、意識がある翔太郎と会った喜びと、不安の二つが入り混じった。
翔太郎の瞳を見た途端、察してしまった。
翔太郎は私を覚えていない。
でも、もう一度会えた喜びが嘘では無かったから、翔太郎に抱き着いた。
そしてついに、思わず尋ねてしまった。
私のことを覚えているのか。
翔太郎の返事は、私を涙で溺れさせるには十分だった。
身体が勝手に走り出す。病室を出て、行く宛なんてどこにも無いのに。
廊下。突き当りの角を右に曲がって、壁に背中を押し付けながら床にうずくまる。
あの子は、私が好きだった翔太郎じゃない。
あの子は、私が知っていた翔太郎じゃない。
嫌だ。
嫌だ。
絶対に嫌だ。
あの子は、翔太郎の姿をした誰かだ。
なんで……。
もう十分……苦しんだはずなのに……。
「ああああああッ!」
涙が湧き続ける。翔太郎が私を覚えていないことが辛い。でも、翔太郎は悪くない。
誰も悪くない……。
「志渡ちゃん」
安定しない呼吸の私を宥めるように、安心する声の持ち主が私の背中を摩ってくれた。
「
「何があっても、私は志渡ちゃんの友達だから」
「う”ん”!!」
私は涙すら拭わずに、奈良坂の身体に抱き着いた。
奈良坂は私の背中をずっと摩っていてくれた。
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翔太郎(アセナ)視点
(志渡ちゃんって呼ばれたあの女の子、泣き出してどこかへ行ってしまった……)
「意識戻って良かったぞ本当に。
とある少年がベッド横に置いてあった椅子に腰かけてそう言った。
「君は……?」
「おう。俺は
(赤獅子 怜雄……)
明るい赤茶色髪色で、髪型は左目の眉の上くらいに分け目を付けたコンマバンク。
こげ茶色の瞳が何とも言えない表情で俺を見つめている。
「俺は
ツユは艶のある真っ黒の髪の毛を、眉辺りまで揃えて伸ばしている。身長は俺や怜雄よりも小さく細身だ。
「ごめんなさい……。分からないです」
「やっぱりか~」
「俺もツユも、さっき出て行った女子たちも記憶を失う前の翔太郎の友達だったんだ」
「そうなんですか……」
「なんか、翔太郎に敬語使われると違和感あるな。よし、今から敬語禁止な」
「え、いや」
「いいからはよ」
「う、ん……」
すると、怜雄が持っていたスマホが振動した。
「ツユ、ちょっと任せても良い?トイレ行って来る」
「ん、おけ」
そう言うと怜雄は俺の病室から去っていた。
「ツユ君」
俺はツユに話しかけてみる。
「ああ~。俺もツユでいいよ。怜雄ほどじゃないけど、俺も前の翔太郎と仲良かったし」
「そう。じゃあ、ツユって呼ぶね」
「うん。やっぱりそっちの方がいいや」
(こんなに沢山のお見舞いが来てくれるなんて。翔太郎というこの人物はどんな人だったのだろう)
「ねえツユ。記憶を失う前の俺って、どんな感じだった?」
そう問われたツユは、少し驚いた表情で暫く悩んでこう言った。
「ん~お父さん?みたいな……。なんか、こう、包容力があるかんじ!」
ツユは両手で宙に丸を描きながらそう言った。
「お父さんか……」
(親には会ったことが無い。だから、お父さんみたいな包容力も分からない)
「まあ、前はそんな感じだったけどさ」
上手く言葉を返せない俺に、ツユが話始めた。
「別に記憶失う前と同じになる必要なんてないんじゃない?」
「もっかい友達になれば良いだけだ」
そのツユの言葉に、心が温かくなった。
「ツユ……」
正直、申し訳なさで心が一杯だった。真神 翔太郎という人物は、こんなに沢山の友達に恵まれている。
翔太郎は、アセナ フェンリル程度の人間が入っていい器じゃない。
みんなは記憶喪失だと思っている。だけど本当は赤の他人の意識が入っているなんて、言えるわけがない。
俺の意識がこの身体に入っているから、みんな辛い思いをしてしまうんだ。
そう思っていた。今でも、まだそう思う。
だけどツユの言葉で楽になれた。
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怜雄視点。
俺と翔太郎は中学校で出会った。
元気で活発な俺と、穏やかで落ち着いた翔太郎。
相反する者同士に見えるけど、笑いのツボとか、ハマるゲームが一緒で、気が付いたら常に一緒に居た。
喧嘩をしたことは何回かある。けどその度に話し合って、仲直りをして、最後は夕日を背にして同じ帰り路を歩いた。
声に出して言ったことは無いけど、これから先もどうせ友達なんだと思っていた。
翔太郎と会うまでは”親友”って言葉が嫌いだった。友達って関係に優劣を付けるような気がしたから。
でも、今なら曇らずにハッキリ言える。俺と翔太郎は”親友”だった。
だった……。
翔太郎が事故に会って、俺は出来るだけ悲しまないフリをした。
翔太郎の彼女である志渡ちゃんだって辛いはず。
俺が悲しんだら、周りのみんなは気を使って俺も心配しただろう。
心配って気持ちには賞味期限がある。
時間が経つほどにみんなの関心は薄れる。
真神 翔太郎は事故で記憶喪失だという常識に変わる。
辛いのは俺だけじゃないんだ。なら、限りあるみんなの心配は俺に使わなくていい。他の人に使ってくれ。
それで、俺以外の人が辛さから解放されてほしい。
辛いのは俺だけでいいんだから。
翔太郎の病室を出た俺は、フリースペースの椅子に腰かけた。
机に両肘をつき、頭を抱える。
翔太郎の意識が戻ったと思えば、記憶喪失だった。
「…………」
雑巾が絞られるように、胸の内が苦しくなる。
泣くな。ダメだ。他のみんなだって辛いんだから。
押さえろ。記憶が無くなった翔太郎だって辛いんだ。
俺が泣けば、苦しめば、ツユも心配するだろうな。ツユは最近彼女が出来たって言ってた。そんな幸せな時期に俺の心配なんてさせたくない。
翔太郎の親友の俺が、泣いてる場合じゃない。
親友……。親友?
俺のことを覚えていない翔太郎を、俺は親友って思えるのか?
いや、親友だろ。俺のことを忘れたなら友達じゃないとか、そんな酷い話……。
「!!」
ああ。俺は最低だ。さっき自分で思ってたじゃないか。
俺と翔太郎は親友だったと。
こんなんで、翔太郎の隣に居て良いのか……?
唇を嚙み締める。目頭がじわじわと熱くなる。
「くっそ……」
机に顔を伏せ苦しむ怜雄の姿を、一人の少女が遠くから見守っていた。
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