2話「す」

「……は?」


 この女の子は誰だ?

 お兄ちゃんって……?


 どこの病院だ?

回復魔法で治療されたのか……?

いや、魔力を感じない!?


 腕に繋がってるこの管は点滴か……。


!?レムリアにはそんな技術はない。


 この部屋にあるテレビもリモコンも、その類の電子機器はレムリアにはない。


いや……・。


 そもそも……何であの機械がだって分かった?

何でだと理解できたんだ?


 この環境と状況を見ただけで、なぜここがだと分かったんだ?

そんな知識、レムリア大陸出身の俺には無い。


 魔力を感じない。能力も使えない。


 テレビに映る自分の顔を見る。


耳を覆い隠し、鼻のあたりまで伸びた前髪。青白く瘦せ細って、血の気が無く頬骨が見える。


「誰……だ?」


 真っ暗な液晶に反射したには、別人の顔だった。


 獣耳がない。ワイバーンの攻撃で欠損したのか?いや、この少女の声が聞こえたからそれはないか。


 さっきの女の人、俺のことを って呼んだよな。

俺はそんな名前じゃない。俺の名前はアセナ フェンリルだ。


 混乱する思考が止まらぬ中、病室には高齢の女性と白衣を着た男性、さっき俺の名前を読んだ女性が入って来た。


(誰だ……?)


翔太郎しょうたろう……!」

俺を見た高齢の女性が、喜びと驚きが混ざったような声でそう呼んだ。


(やっぱり、俺が翔太郎って言われてる。加えて、この場に居る全員から魔力の気配を感じない)


 白衣を着た男性が俺の元へ駆けつけ、俺の瞳孔を確認する。


真神まがみさん、この光がわかりますか?」


「はい……」


「これは何本指に見えますか?」


「三本です」


「どこか身体で痛いところはありますか?」


「無いです」


「ご自身の名前が言えますか?」



「アセn……」

(アセナって答えて良いのか?この人たちは俺のことを翔太郎って呼んでるし……)


 俺は返答に困って黙ってしまった。


「では、ご自身の身に何があったのか覚えていますか?」


「……」

(ギルドメンバーとご飯を食べていたらワイバーンに襲われて……。そのまま答えて良いのか?)


(現状が理解できない以上、素性は隠しておくべきだろう)


「分かりません……」


「そうですか」

 男性はそう言うと、看護師の女性と高齢の女性に何かを伝え、部屋を出て行った。


「翔太郎、私が分かるかい?」

 高齢の女性が俺に問いかけた。


「……。すみません。分かんないです……」


「お兄ちゃん!私が誰だか分かる?」

 次は少女が俺に問いかけた。



「ごめんね……。分からない」


 俺がそう答えると、二人は顔を見合わせて泣きそうな表情をした。


(この表情は本物だ。俺がこの二人を知らないことを、本当に悲しんでいる)


「真神さん、少しよろしいですか?」


 先ほど退室した医師が高齢の女性を呼んだ。


「翔太郎さんはご自身の名前が応えられなかったり、ご家族への認識も”現段階では”曖昧です」


「ですが血圧や心拍数も安定しており、怪我の痛みも感じていないようです。本人への負荷が限りなく少ないように配慮をして、記憶や怪我の様子などを検査してもよろしいでしょうか?」



「……はい。お願いします」



「分かりました。では暫くお待ちください。検査が終わり次第、もう一度お呼びいたします」


 その後、俺はベッド毎移動させられて様々な検査を受けた。


 血圧などの簡単な検査から、精密機械を用いた検査なども受けた。その後は物の名前を答えるなどの口頭試問を経て、再び病室へ戻って来た。

________________

とある診察室にて。


「真神さん、お待たせしました」


 翔太郎の主治医であった一谷は、例の高齢の女性と少女を診察室へ招き入れた。


真神まがみ しおり。 真神 翔太郎の祖母に当たる人物である。


翔太郎の両親は若くして亡くなっているため、翔太郎は祖父母の家で生活をし、祖父が先だったあとも栞が面倒を見ていた。


真神まがみ 愛唯めい。 翔太郎の妹で、小学6年生である。翔太郎と共に家の家事をこなし、小学生ながらも立派に育っていた。


「まず、数ケ月の間意識不明だった翔太郎さんの意識が戻ったこと、お慶び申し上げます」


「こちらこそ、ありがとうございます」


「翔太郎さんへの検査が一通り終了しました。交通事故による頭部の怪我、左腕と肋骨の骨折。その他諸々の怪我は全治しています。怪我の跡や手術の跡は残りますが、私生活に影響はないでしょう」


「ほんとうですか」


「ええ。外傷に関しては、何も問題ありません。ですが……」


「先ほど行った検査の中で、翔太郎さんにいくつかの質問を行いました」


「まず、一般的に認知されている物の画像を見せて、その名称を答えてもらう質問。

この質問には全て正確な解答をしてくれました」


「次は翔太郎さん個人に関わる質問をしました。自分や家族の名前、通っていた学校の名前を言えるか。交通事故にあったことを覚えているか」


「結果、翔太郎さんは約9割の質問に答えることが出来ませんでした。自分に関わる事象に関してのみ、記憶障害の傾向があります」


「そんな……」



「意識が回復して数時間しか経っておらず、専門的な検査を行った訳ではないです。

この記憶障害が一時的なものの可能性も十分にあります。今後記憶が戻ることも考えられます」


「日常生活が送れるかどうか判断が必要なので、まだ入院は続きます。今は不確定要素が多いので私も詳しく語れません。意識が戻ったことに感謝しましょう」





__________________________






一連の検査を経て分かったことがいくつかある。



①この世界は魔法やドラゴンが存在するレムリア大陸がある世界ではないこと。(どうやら俺が居るのは日本という国らしい)


②俺の意識が真神 翔太郎という人物の身体に宿ったこと。


③いつのまにか、この世界に関するある程度の知識を理解していること。

しかし、真神 翔太郎という個人に関する知識や記憶は分からない。



『俺はワイバーンの攻撃で意識を失った。そして別世界で交通事故により意識不明となっていた翔太郎の身体に、俺の意識が入ってしまった』


これが今の俺に起こっている状況だ。


 担当の担当の看護師さんが教えてくれたが、あの高齢の女性は翔太郎の祖母 栞さんである。


俺をお兄ちゃんと呼んでいたのが、翔太郎の妹 愛唯ちゃんである。


 新しく得たこの世界の知識に、魔法や魔物に関するものは一つも無かった。


そもそもの魔力も感じない。


ワイバーンや魔法なんて単語を言っても、恐らく伝わらない。



 俺は”真神 翔太郎”という人物として生きなければならない。



 翔太郎の身長は、レムリア大陸での俺と同じ170㎝半ばだ。体重に関しては、寝たきりだった状況も相まってかなり落ちている。



 歩行の検査も行われた。体重移動に苦戦して歩きづらく、違和感があったが、そこまで問題はなさそうだ。


今はも主治医と話しているようだ。



 元の世界に戻れるのか。不安で仕方がない。

でも今は死なないことが大事だ。


 真神 翔太郎として生きれば死なないなら、アセナ フェンリルとしての自分を偽るしかない。


でもやっぱり不安が駆け巡る。元の世界に帰れr……。


 俺が居る病室の扉が急に開いた。


何人かの忙しい足音が、俺のベッドに近づいてくる。



「翔太郎!!」


 カーテンを捲りながら、荒い呼吸の男の子二人、同じく荒い呼吸女の子二人の姿が見えた。いずれも俺と同じくらいの年齢である。


「翔太郎……!!」


 一人の女の子が、寝たままの俺の身体に抱き着いた。

ベッドに沈む横顔からは、涙が溢れ続けている。


「ねえ……。”私”がだれか、分かる?」

 その女の子は、真っ赤な顔を上げて、そう言った。


「…………分からないです」


 正直に言う。俺は”記憶喪失をした真神 翔太郎”として生きないといけないから。


「……っ!!」


その女の子は涙を両手で拭いながら、駆け足で病室を出て行った。


「志渡ちゃん……!」

 もう一人の女の子が、”志渡ちゃん”と呼ばれた女の子を追いかけて行った。


呆然としている俺に、次は男の子が話しかけてきた。


「翔太郎。俺のことは覚えてる?」


俺はもう一度、正直に答える。


「ごめん……。分からない」



「そっか」

その少年は、寂しさと優しさを含む柔和な笑みでそう言った。












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