第3話 恩師の家へ

「ただいま! おーい、ロイド、アイリス! ちょっと来い!」


 中に入るなりカールはそう叫びぶと、十三、四歳の少年少女が現れた。どうやら彼の子供らの名前のようだ。


「お父さん、お帰りなさい! お母さんは?」

「父さん、その女の人は……」

「母さんはもうすぐ帰ってくる。ちょっとこの人を手当てしてやっててくれ」


 そういうとダニエラは少年と少女に支えられるように移動した。


「父さんは?」

「俺ぁちょっとイオスのとこまで行ってくる」


 イオスという言葉に、ダニエラは思わず痛む頭をバッと上げてしまった。


「……っつ。な、どうしてイオス様の……」

「お前はイオスの直属の部下じゃねーか。伝えねーわけにいかねーだろ」

「だ、大丈夫です」

「大丈夫とか大丈夫じゃねーとか、そういう問題じゃないっての。待ってろ」


 それだけ言うと、カールはダニエラの話も聞かずに去って行った。ダニエラは青くなった顔をさらに青ざめさせる。


「えと、大丈夫ですか? アイリス、ベッドまで運ぶぞ」

「はーい」


 少年と少女にぐったりと体を預け、ダニエラはベッドまで運ばれて来た。


 イオス様になんて言い訳をしよう?

 アルバンの街を追い出されて帰るしかなかった?

 そんな事を言っても街道を外れた理由にはならないし。

 ああ、もう消えちゃいたいっ。


 ばふんと布団を被ると、恐る恐るその布団が剥がされる。


「あの……塗り薬だけでも。血は出てないけど、おでこが腫れ上がってるから」

「あ、ありがとう……」


 アイリスと呼ばれた少女が、優しく薬を塗ってくれた。それでも飛び上がるほど痛かったが、子供らの前で涙など見せられないので、じっと我慢する。

 次にロイドという少年がコップに水を入れて持って来てくれた。ダニエラはそれを一気に飲み干し、やっとほっと一息つけた。


「お代わりはいりませんか?」

「大丈夫、ありがとう」


 そう断った時、玄関の方でガチャリと音がした。カールがイオスを連れ帰って来たのかと、身を硬化させる。

 しかし、聞こえてきた声は女性のものだった。


「ただいま」

「あ、お母さんだ!」

「あ、こら、アイリス!」


 アイリスは母親の声が聞こえるや否や部屋を飛び出し、ロイドは苦い顔をしている。


「すみません、お客様を目の前にして……」

「いえ、いきなり押しかけたのは私の方で……」


 生真面目な顔をした少年にそう話していると、開け放たれた扉から軽いノックがなされた。


「入るわよ」


 その人物は、彼らの母親のアンナという女性。カールという学生時代の教官の妻で、噂に違わぬ美人だった。


「お帰りなさい、母さん」

「遅くなってごめんね。ノルト村で引き止められちゃってて」


 この短時間でもうあれだけの魔物を倒したというのだろうかと、ダニエラは彼女を見上げる。

 士官学校で、いや、このトレインチェで、アンナという名を聞いたことがない、という人物はいないだろう。皆一様に『アンナ様』と敬称をつけて呼ぶ。一般市民でありながら、たくさんの魔物を討伐して表彰されている人物だ。彼女に助けられた街人は数多である。

 ダニエラにとっても、まさにそうだった。彼女が現れなければ……そしてカールが来てくれなければ、どうなっていたかなど想像に難くない。


「大丈夫?」


 アンナに尋ねられ、ダニエラはその美しい笑みにドギマギしながら頷く。確かカールは四十一歳で、嫁は姉さん女房だと言っていた記憶があるから、それ以上の年齢なのだろう。

 しかし目の前にいる女性は、とても四十代には見えなかった。二十代、というと貫禄が有るため世辞が過ぎてしまうが、どうみても三十代前半だろう。

 女から見ても、こんな素敵な人物に命を助けられては、呼び捨てなどできようはずもない。


「大丈夫です、ありがとうございました。アンナ様」

「私の名を知ってるの? ああ、カールの教え子だったわね。あなたは確か……」

「ダニエラです」

「大変な目に遇ったわね、ダニエラ。今日は泊まって行って」

「いえ、そんな……」


 断ろうと言葉を繋ごうとするも、先にアンナの方が声を発してしまう。


「ところで、カールはどこに行ったの?」

「父さんなら、イオスのところに行ったよ」

「そう。じゃ、じきに帰ってくるわね」


 とアンナが言った瞬間に、カールの声が玄関から上がった。誰かと話しながらこちらに向かってくる。

 誰? なんて、愚問にしかならないだろう。自身の愛する恋人、その人なのだから。


 ああ、逃げ出したい。部屋に入って来ないで。


 そんな思いも虚しく、彼らは容易に入室してきた。


「おい、ダニエラ。イオスが来たぜ」


 恐る恐るそちらに顔を向けると、いつもの無愛想な表情でイオスがこちらを見下ろしている。心なしか、いつもより威圧感があるように思う。


「あ、の……イオス様、これは……その、申し訳ありません!!」

「まだ何も言っていない」


 意図せず体が震えた。次に来る言葉は叱責だろうか、糾弾だろうか、それとも溜め息だろうかと身構える。


「すまなかった」

「……へ?」


 これまた意図せぬ声が勝手に口から飛び出し、慌てて口元を押さえる。イオスは今、何と言ったか。


「お前の性格を考慮しなかった私のミスだ。あちらで泊まるよう、明確に指示を出しておくべきだった。休日に帰ってくる分の代休は、ちゃんと与えるから、とな」


 イオスは何もかも分かっている、といった瞳でダニエラにそう語った。

 間違ってはいない。休日に歩いて帰るだけ、というのが嫌だったのは確かだ。しかし、代休を貰っても意味はないのだ。イオスが休みでないのならば。


「今日はカール殿の家に泊めてもらうといい」

「あの、私、大丈夫です。帰ります」


 慌ててそう言うも、カールが言葉を重ねるように言ってくる。


「ぁあん? 何遠慮してんだよ、いいから泊まってけって!」

「お願いします、帰らせて下さい……っ」


 くだらない理由で森に入って死にそうになってしまい、これ以上皆に迷惑など掛けたくない。ダニエラは必死に懇願した。


「……分かった、送ろう」


 その悲痛な思いが通じたのか、イオスが了承してくれる。「おいおい、大丈夫か?」「イオス、私達は別に構わないのよ」と夫婦は口々に言ってくれたが、いらぬ世話だ。イオスが送ってくれるのならば、これほど嬉しいことはない。

 イオスの承諾を得たダニエラは、誰の助けも借りずに何とか立ち上がった。イオスに迷惑をかけてはいけないと、必死に平気なふりを装う。


「お世話になりました。このお礼は後日必ず……」

「気にすんなよ。俺らにとっちゃ、いつものことだからな」

「もう無理はしないようにね」


 優しい言葉を受けて、ダニエラはイオスと共に外に出た。

 今は何時だろうか。日付けはまたいでいないだろうが、深夜に変わりはないだろう。こんな時間にイオスを呼び出して迷惑をかけてしまったことに、罪悪感が募る。


「イオス様……遅くにご足労かけまして、申し訳ありませんでした……!」

「別に構わない。ちょうど家に着いた所だったからな。着替える前で良かったくらいだ」

「こんな遅くまでお仕事を?」

「いつもの事だ」

「明日は、お休みですか?」


 こんな目に遇ってまだデートしたいのだなと、ダニエラは自身の強欲さに呆れた。いや、こんな目に遇ったからこそかもしれなかったが。

 聞かれたイオスは、その質問の意図が読めなかったらしく、怪訝そうに眉をひそませただけだ。ダニエラは急に恥ずかしくなって俯いた。


「痛むか? 足元がおぼつかないな。肩を貸そう」


 そういうないなや、グイっと引き寄せられた。急に密着状態になり、そしてイオスの顔が真横にあるのを確認して、ダニエラは大いに焦った。しかしそれと同時に随分と歩きやすくなり、素直に身を委ねる。


「すみません……」

「無事で良かったが、夜間に街道を外れれば、こうなる危険性は承知していただろう。何か急ぎの用事でもあったか?」

「そ、それは……」

「今度からはちゃんと報告してくれ。用があるなら無理にダニエラに遠出はさせない」

「は、はい……」


 ご配慮ありがとうございます、と小声で言うと、地面に視線を落とした。

 歩くたびに頭が響く。気力で歩いていたものの、肩を貸して貰って気が抜けてしまった。だんだんと夢の中を歩いているような気分になる。


「い、お、す……さま……」

「ダニエラ……おい、ダニエラ?」


 ダニエラの意識は、そこで途絶えた。

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