第2話 森へ

 ダニエラは周りを見て焦っていた。

 あっという間に日は暮れて、このまま街道を歩いていては今日中に帰れそうにない。


「ああ、もうっ! やっぱり明日帰れば良かったかしら」


 自身の決断を嘆きつつ、ダニエラは街道を外れた。

 街道沿いは遠回りになる。森の中を突っ切れば、かなりの時間短縮になるはずだ。

 鬱蒼としている森。その中からはホーホーという鳴き声や羽音、虫の声が妙に不気味に音を立てている。ダニエラは月明かりも届かぬその森の中へと足を踏み入れた。


「方向は、合ってるわよね……っきゃ!!」


 不意にバサバサという音がして身構える。フクロウか何かだったのだろう。そのままバサバサと上空に飛び、枝に止まった様だった。


「驚かせないでよ……」


 自然、早足になった。こんな夜遅くに、しかも森の中を突っ切るなんて初めての経験だ。士官学校に通っていた時、教官に近道として教えてもらっていたが、その教官は『急がば回れだ。よほど緊急を要する時以外、ダニエラは街道沿いを行け』と言っていた事を思い出す。


「イオス様とデートしたいがために森に入ったなんてしれたら、教官に怒られちゃうわね」


 自身を軽く嘲りながらも、怖さを堪えつつ街へと向かう。しばらく歩いていると、後ろでガサリと音がした。また小動物だろうかとそっと振り返る。


「……なに?」


 何もない。すでに消えた後かと再び足を進めるも。

 ガサリ。

 さっきより近い場所で音がした。


「やだ、やめてよ……」


 振り向きざま、剣を構えたその時。

 シュルシュルシュルーッと音がしたかと思うと、蔦が足に巻きついてきた。


「きゃ、ゃああああっ」


 蔦は軽々とダニエラを持ち上げ、宙ぶらりんにする。

 ダニエラは剣で蔦を切って拘束から逃れると同時に、背中を思いっきり強打することとなった。

 ドスンという鈍い音が、地響きと共に闇夜に溶ける。


「っく!」


 ダニエラは立ち上がると同時に敵の姿を視認した。

 植物系の魔物だ。

 それも小物ではなく、大物。


 ーーボスだ。


 ダニエラは直感し、踵を返すと猛ダッシュする。

 そのすぐ後ろをガサガサ音を立てながら魔物が追ってくる。

 街までは残り数キロのはずだ。

 入り口には警備兵もいるし、そこまでいけばなんとかなる。


「はぁっはあっはぁっはあっ、誰か……」


 自分の力だけでどうにかなるような相手ではないことを、ダニエラは理解している。

 しかし急ぐ足元は段々ともつれ始め、息もままならなくなってきた。

 持久走が得意なわけではないのだ。

 それも全力疾走なのだからなおの事だった。

 ダニエラの耳に、ヒュンという音が聞こえる。

 その瞬間彼女の体は再び宙を舞い、剣で切り裂く間もなく地面に叩き付けられた。


「がふっ」


 その拍子に持っていた剣は手を離れ、カランという虚しい音と共に闇に消えた。

 絶望的。

 そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

 植物系の魔物は、ズルズルと蔦を戻し始めた。

 その先にあるのは、ダラダラと粘液を垂らした、大きな口。


「い、いやぁ……」


 頭をしたたかにぶつけられ、朦朧とする意識の中、ダニエラは土に爪を立てることで抵抗した。

 しかしそれは何の役にも立たず、ただいくつかの線を地面に残したに過ぎない。


「イオス様……イオス様ぁ………っ」


 ただ、彼とデートがしたかった。

 ただ、それだけだったのに。


 ゆっくりと引きずられていくダニエラ。

 迫り来る大きな口は、ダニエラなど一飲みにしてしまうだろう。

 恐怖と悔しさから、ダニエラは歯を食いしばって涙を流した。


 せめて、一度でいいからイオス様とデートをしてみたかった……


 ダニエラは魔物の口を前に、覚悟を決めて目を瞑る……。


 ザンッという音がした。

 ダニエラは、自分の体が真っ二つになった音だと思った。

 死ぬ時には痛くないものなんだなとぼんやり考える。

 目はまだ開くだろうか、思考がこんなにまともなら開くかもしれない。

 だけど、自分の体が分かれているのを見るのは怖いな。

 そう思いながらも、うっすらと目を開けてみる。


「……え?」


 目の前には、真っ二つに切り裂かれた魔物の姿。

 一体どんな切り方をすれば、こんな真っ縦に綺麗に分かれるのだろうか。

 しかし切られた場所から、小さな植物魔物が山ほど湧いてきている。


「ここから離れろ!」

「え??」


 聞き覚えのない声が響く。その声の主はダニエラに巻かれた蔦を剣で叩き切った後、溢れてくる魔物に向かって剣を振り下ろしている。

 状況がよく理解できないでいるダニエラは、その場に呆然と立ち尽くし……いや、座り尽くしていた。


「聞こえないのか! 数が多過ぎる、お前は邪魔だ!! 早く行……」


 言い終わらぬうちに、一匹の魔物がダニエラの無防備な頭に向かってジャンプした。

 小物といっても、立派なモンスターだ。

 その切れ味のよい葉に頭にから切り裂かれれば、一溜まりもない。


「い、いやーーーっ」


 ダニエラは叫ぶ事しか出来なかった。

 剣もなく、長距離を疾走した上、頭を強打していては動けるはずもなかった。


「伏せろ!!」


 今度はよく知る声が響き、ダニエラは言われた通り、頭を抱えて地に付ける。

 するとダニエラの頭の上で、ボゥッと燃える音がし、パサリと燃え尽きた魔物が目の前に落ちた。ファイアアローという、初級の火の魔法だ。


「おい、大丈夫か!?」


 聞き覚えのある声に安堵し、すがりつく様にその手にしがみつく。


「教官!!」

「ん!? お前、ダニエラか!!」


 教官は誰を助けたのか理解していなかったようで、多少なりとも驚いている様だった。


「お前の教え子か!? 連れて逃げてやれ!」


 ダニエラの蔦を切ってくれた人物がそう叫び、ダニエラは教官の手を借りて何とか立ち上がった。


「お前はどーすんだよ、アンナ」

「私はこいつらを全部潰してから帰る」

「おい、無茶すんなよ?」

「私がこんな雑魚に負けると思っているのか、カール?」


 相手の言葉にカールは「へーへー」とぼやくような声でダニエラを担ぎあげた。


「んじゃ、行くぜ。しっかり掴まってろよ、ダニエラ」


 今にも走り出しそうなカールに、ダニエラは慌てて聞く。


「教官、奥方を置いて行ってよろしいんです!?」

「俺らがいたんじゃ、範囲攻撃使えねーんだよ。ま、あいつは大丈夫だから心配すんな」


 カールは行くぞ、と小声で言うと、ダニエラを背中に乗せて走り始めた。

 カールはそうは言ったが、不安でカールの背中から後ろを振り向く。


「おい、大丈夫だって」

「ですが、教官……私のせいで……」

「てか、なんでお前、こんな時間に森にいたんだ? お前には森に入るなっつっといただろーが」


 そう言われてダニエラは黙ることとなる。真実を話せば罵倒されるに違いないのだ。


「とりあえず、俺んちに寄ってけ。手当もしねーとな」


 カールはそのまま何も聞かずに疾走し、自宅へと駆け込んだ。

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