第4話 イオスの対応
ダニエラが目を覚ますと、そこには見慣れぬ天井があった。ズキンと頭が痛み、ここがどこだか考えるのが遅れる。
う、と呻くと、声をかけてくる者がいた。
「目が覚めたか」
昨夜世話になった、その人だった。
「イオス様……」
その顔を見た途端、全てを悟ったダニエラは寝かせられていたベッドから飛び起きようとし、それが不可能な状態にあることに愕然とする。体が、動かない。
「大丈夫か?さっき医者を呼んだ。もう来るだろう。寝ていればいい」
窓からは光が漏れていて、夜明けを迎えていることが窺い知れる。ここはイオスの家のベッドだろうか。かすかに彼の匂いを感じた。だとしたら彼は夕べどこで眠ったのだろう。
「あの……イオス様、お眠りになりました?」
「知る必要はない」
イオスはいつものようにそう言った。今は仕事の話をしているのではないのだから、そんな突き放した言い方はして欲しくない、とダニエラは唇を噛みしめる。
「あの……迷惑、おかけしました……」
「そう思うなら、もう森を通るようなことはするな」
「はい……」
やはりと言うべきか、イオスからの叱責を受けてダニエラは沈んだ。自分の短慮さが嫌になる。時間を巻き戻してやり直したいと考えたところで、後の祭りだ。
「今日の予定は全てキャンセルしておいてやろう。誰に伝えればいい?」
「え、いえ、予定などありませんが……」
ダニエラの言葉にイオスの表情は怪訝なものへと変わった。
「予定がない? どういう事か説明してもらおうか。ダニエラは急ぎの用事があったから、無理をして帰って来たのではなかったのか?」
「そ、それは……」
その、と一瞬口籠ったものの、ダニエラは理由を口にすることにした。こちらは怪我人だ。罵倒されることはないはずだ。多分。
「その、あの……イオス様とデートを……」
その言葉を聞いたイオスは明らかに苦り切った顔をしていて、ダニエラは次の言葉をパクっと飲み込む事となった。
「私とデート? そんな約束はしていない」
「…………はい」
イオスは『妄想癖でもあるのか?』とでも言いたげな顔だ。ないとは言い切れないが、夢想ではないことをきちんと伝えておかなければ。
「もしかしたらイオス様は、お休みかもしれないと思って……その、付き合い始めてから一度も日曜は休まれてなかったので……もし休みなら、デートに誘えるかもしれないと……」
そこまで言うと、ダニエラは再びパクっと次の言葉を飲み込んだ。イオスのこの顔は何と表現すべきか。まるでそう、腐り切ったゴミ虫を見るような眼つきだ。
ダニエラはそんなイオスから目を離した。とても直視していられない。やっぱり本当のことなど言うのではなかったと後悔したが、すでに遅い。
「くだらない」
吐き捨てるように呟いた彼の言葉に泣きそうになる。ダニエラも分かっている。こんな理由で死にかけるなんて馬鹿げている、と。しかし、ダニエラにとってのデートはくだらない事なんかではない。とても、とても大切なことだ。
それを一笑に伏されてしまっては、泣きたくなるのも道理だった。
「何故泣く?」
イオスに呆れ切った声で問われ、潤んで今にもこぼれそうな雫を懸命に押し隠す。
「泣いてません」
「……まぁいい。私は出るが、ゆっくりしていくといい。食事は誰かに持って来させよう」
「え? イオス様は一緒にいてくれないんですか?」
上着を取って今にも出て行きそうなイオスに慌てて声を上げると、彼は冷たい眼差しをダニエラに向けた。
「一緒にいる意味はない」
一緒にいる意味はない。どういう意味だろうか。一緒にいても、怪我が治るわけではない、という事だろうか。それとも二人でいる事に意味はないという事だろうか。
「で、でも、私達は恋人同士ですよね!?」
一般の恋人がどんなであるか知らないが、こんな時は怪我人の側にいてあげるのがセオリーではないだろうか。少なくともイオスが怪我をした場合、ダニエラは彼の側を離れたりはしないだろう。
「そうだったな」
「……そう、だったな?」
イオスの言葉に、ダニエラは思わず復唱した。
「分かった、あと十分いてやろう」
ーー何なの、それ。
その言葉を漏らす寸前で押し留める。あと十分。いや、その前の言葉も酷かった。恋人同士でしょうと当然のように言ったのに、イオスはまるで今気付いたかのように言った。『そうだったな』と。
ベッドの近くの椅子に腰掛けたイオスは、ダニエラの方を見るでもなく、何やら本を読んでいる。彼は残り十分、そうして過ごすつもりなのだろうか。
ダニエラは何も話しかけなかった。イオスから何か話しかけてくれることを期待したのもあるが、自分が口を開けば、彼を罵る言葉しか出て来そうになくて。ただただ、黙っていた。
十分と聞いた時には短い時間に感じたが、無言で雰囲気の悪いまま過ごす時間はとてつもなく長い。
カチコチと時を刻む柱時計の音が、やたらとうるさく感じた。
あと八分。あと七分。あと六分。あと五分。あと四分。あと三分。あと二分。あと一分。
不思議なもので、時間が迫るともう少しこのままいて欲しいという気分になって来る。思えば、十分ですら一緒に時を過ごす事は珍しい。勿体無いことをした、何かを話せば良かったという後悔が生まれる。しかし。
ゼロ。時間切れだ。
イオスは読んでいた本をパタンと閉じた。
「ではな」
なんと簡潔な言葉だろう。どうしてこの恋人はこんなにもドライなのだろうか。軍師のさがか。
「もっと、恋人らしく振舞ってくれないんですか!?」
言うまいと思っていた言葉が口をついて出て来てしまった。これではあんまりすぎる。
「恋人らしく?」
「そうです! だって、イオス様は私の恋人でしょう?!」
先ほどと同じ質問をしてしまい、ダニエラはしまったと顔を苦らせる。同じ答えが返ってくるかと思いきや、イオスは無表情、無愛想な顔でこう答えた。
「そうだな」
肯定の言葉であるにも関わらず、結局部屋を出て行こうとするイオス。彼はたった十分一緒にいただけで、恋人の役割を果たしたと思っているのだろうか。
「恋人なら……手を握るとか、キスをするとか、色々あるじゃないですか!」
彼の背中越しに訴えると、イオスは物憂げに振り返る。
「すれば納得するのか?」
「はい! ………え?」
期待して言った言葉ではなかった。イオスに少しだけ優しくして欲しくて出た言葉。なのにイオスは真に受けておもむろに近付いて来る。
「い、イオス様……?」
「これでいいな?」
そう言ったかと思うと、イオスの顔が降ってきた。驚く間も無く唇同士が軽く接触し、ダニエラの顔が一気に火照る。
少し離れたイオスの顔は、悪どい笑みをたたえていて、ダニエラはその大好きな表情に、さらに顔を赤らめる事となった。
「悪いが、もう行かなくてはならない。良い子にしているんだ」
優しく頭を撫でられたダニエラは、コクコクと頷いた。それを確認したイオスは安心したように部屋を出て行く。ダニエラはその後ろ姿を、今度は何の文句もなく見送った。
大好きなイオスとキス出来たのだ。部屋に残されたダニエラは、体をもぞもぞと動かして身悶えていた。
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