14-10 魔法の時間

「あの⋯⋯銀の魔女様、そのお姿で厨房に入られるのは⋯⋯」

「それもそうだね」

 そうシエルに言われてアリシアはわりと素直にローブと帽子を脱いだ。

 それはこの厨房がシエルの聖域であり、自分にとっての工房と同じだと思うからだ。

「あ⋯⋯待ってアリシア!」

 そう言ってフィリスはヘアピンを取り出してアリシアの髪をサッとまとめた。

「アリシア、少し髪が伸びたね」

 去年の今頃、初めて会ったばかりのアリシアの髪は肩にかかるくらいの短さだったが、今ではだいぶ伸びていた。

「ありがとフィリス」

 短くお礼を言ったアリシアは厨房に入った。


 そしてアリシアはシエルに用意してもらった材料を天秤を使って厳密に計り始めた。

「なかなかおわかりのようで⋯⋯」

「数グラムの差が決定的に出るからね⋯⋯」

 そんなアリシアの姿を見てネージュは――

「魔法でどうにかならないのですか?」

「焼き上がりなんかは魔法でごまかせるけど、生地の良し悪しは魔法では⋯⋯ね」

「そうなのですね⋯⋯」

 それを聞いてネージュはお菓子作りの神髄を知った気になる。

 そしてその間リオンは無言でケーキの生地を焼いているオーブンを見つめ続けていた。

 アリシアは出来上がった生地をフライパンで焼き始める。

「やけに不自然に膨らみますね⋯⋯」

 プロのシエルから見て違和感だらけだった。

「まあここは魔法でインチキしてる」

 こうして出来上がったパンケーキは信じられないほどふっくらと焼きあがっていたのだった。

 そしてシエルはお皿を用意しながら訊ねる。

「銀の魔女様、何をかけてお召し上がりになりますか? ここには生クリームやジャムなど大抵の物はありますが?」

「ああシエルさん、悪いけど味付けはこれでするから」

 そう言ってアリシアが収納魔法から取り出したのはガラスの瓶に詰まった蜂蜜だった。

 そしてリオンとネージュの焼いているケーキはまだ時間がかかる為、アリシアの作ったパンケーキの試食を先にみんなでする事にしたのだ。


「うわ⋯⋯なにこの柔らかさ⋯⋯」

「そしてこの蜂蜜の上品な味」

「美味しいです」

 それを食べたフィリス達は驚く。

「懐かしいな⋯⋯これは師が作ってくれた思い出のお菓子なんだ」

「確かアリシアがケーキを食べたいって言って作ってもらったんだっけ?」

「そう⋯⋯本で見たケーキとは違ったけど本当においしかった、自分でも作れるように凄く練習した」

「なんか意外ですね⋯⋯アリシアさまは魔法で何でもちょちょいのちょいだと思っていたので」

「そうですね」

「膨らませるのだけは魔法で細工しているけど、この焼き上がりのサクっとふわふわは魔法じゃ無理」

 それを聞いたフィリスは今は亡き森の魔女は、魔法だけではどうにもならない事をこうして教えていたんだろうか? などと想像するが考えた所で真相はもう誰にもわからないだろう。

 ただ、今のアリシアがけして魔法だけで何でも解決しようとはしない、それでいいと思うのであった。

「これは⋯⋯パンケーキというよりはスフレに近いですね」

「そうなの?」

「ええ⋯⋯材料や工程はパンケーキでしたが、ここまでふっくらとはしないので⋯⋯普通は」

 そうシエルに指摘される。

 とはいえアリシアにとって師との思い出のこれがパンケーキだろうがスフレだろうが、どっちでもよかった。

「おいしいねネージュ」

「ええ⋯⋯そうね」

 ネージュは隣のリオンが元気になっているので今回の目的は果たしたが、お菓子作りそのものは自分は上手くできずリオンやアリシアがこうしてちゃんとできるのを見て、やや焦りだす。

 ――真剣に料理を練習した方が良いのかしら?

 今までアレクの妃になるべく育てられたネージュの英才教育には料理などなかったのだ。

「あの⋯⋯ところで銀の魔女様、この蜂蜜どこで入手されたのですか?」

 それはとは関係ないシエルのお菓子職人としての探求心だった。

「ああ、これは魔の森で自分で集めた」

「魔の森で?」

「うん、森に花畑があって蜂蜜を作っている⋯⋯薬の材料にもなるし」

「あの⋯⋯大変厚かましいお願いですが、少しでいいので分けて頂く事は可能でしょうか?」

「とりあえずこれだけあればいい?」

 アリシアはさっき出した蜂蜜の大瓶を五つ取り出す。

「ありがとうございます!」

「いいですよ、シエルさんのケーキはいつも美味しく頂いてますから」

 いまだにアリシアがアレクに呼び出された時などのお茶菓子は、シエルが作った様々なスイーツだった。

 それをアリシアは自分には決して作れないだと、尊敬すらしていたのだ。

「それで何か出来たら食べさせてください」

「ええ畏まりました、いつでもお越しくださいませ」

 シエルは心からの笑顔でそう答えた。

 そんなアリシアとシエルを見ていたルミナスは――

「ふ⋯⋯さすが我が帝国の誇る菓子職人ね⋯⋯その心意気、見事!」

 やたらと偉そうにしていた。

 そんなルミナスに若干イラッとするものを感じるシエルは、自分が祖先のように帝国に忠誠を尽くし続ける事がこの先も出来るのだろうかと悩む。

 かつての皇帝クロエ・ウィンザードに仕え、その希望を叶えるべくお菓子作りの手法の確立に尽力した祖先は一体どんな思いだったのだろう⋯⋯

 そんな事をシエルは思い巡らせていた。


 それから雑談などを交えながら焼きあがったケーキの生地が冷めるのを楽しみながら待った。

 アリシアは「魔法で冷まそう」といった無粋な事はけして言い出さなかった。

「でも今日いきなり作ろうとするなんて、なかなか思い切ったわね」

 そんな言葉がルミナスから出てきた。

「あの、今日いきなりとは?」

 ネージュはとくに目的があってお菓子を作っている訳ではなかった、全てリオンの息抜きの為である。

「あれ? 今日がヴァレンシュタインだからお菓子作っているんじゃなかったの?」

「そういえばそんな時期ね」

 ちなみにヴァレンシュタインとはかつて帝国の皇帝であったクロエがお菓子業界を発展させる為に作った風習だ。

 女性はお菓子を作って意中の男性に愛の告白をする⋯⋯という記念日である。

 元々クロエの側近であった女料理人がその手作りお菓子で、ヴァレンタイン伯爵と結ばれるなれそめになった⋯⋯というのが由来らしい。

 しかし帝国貴族に今も昔もヴァレンシュタイン家というものはなく、単なるでっち上げの宣伝戦略だったというのが今では判明している。

 それでも今なおこの風習は消え去る事もなく、貴族のみならず庶民の中にも浸透しているのだった。

 その為本日はあっという間にこの店の商品が売切れていた、というわけである。

 なので物語などでもこのイベントはよくある為、アリシアでさえ知っていた。

「そういえばフィリスやルミナスは、お菓子作らないの?」

 とくに悪意がある訳ではないアリシアの質問だった。

「別に渡したい人が居る訳でもないし⋯⋯」

「そんな事、私達がしたら大問題になるわよ」

 どうやら二人の姫君には関係ないイベントのようだった。

 それをアリシアは残念に思いつつもどこかホッとしていた。

 そしてフィリスやルミナスの面倒まで見なくて済みそうなシエルは一安心したのだった。

 ――わが帝国の未来⋯⋯お世継ぎは、ミハエル殿下に期待しよう⋯⋯

 この時シエルはとても不敬な事を考えていた。


 そして時間を費やした結果、ケーキは完成した。

 そしてその感想は⋯⋯

「ネージュのはちょっと甘すぎる⋯⋯」

「リオンのは⋯⋯まあ普通ね」

 という試食の評価だった。

「えへへへ⋯⋯普通か⋯⋯私にこんなのが作れるなんて」

 どうやらリオン的には大満足だったようだ。

 これまでの塞ぎがちだったリオンの気分転換は大成功だったといえる、だがしかし⋯⋯

「納得いきません、もっと練習しないと⋯⋯」

 一人の公爵令嬢のやる気に火が付く結果にもなった。

 そしてその後、アレクに贈る本番を二人はあらためて作成してこの日のお菓子作り教室は終了したのだった。

「あ、フィリスこのヘアピン返すよ」

「いいよ、それはアリシアにあげるよ」

 たしかに少し髪が伸びたアリシアに今後は必要かもしれない。

「ありがとう、大切にするよ」

 また一つ、アリシアの宝物が増えたのだった。


 その日の夜シエルは帝国へ送る報告書をまとめていた。

 そこにはエルフィード王国の次の国王アレクの妃になる、二人の人物の特徴が書かれていた。

 この情報がいずれ何かの役に立つ日が来るのだろうか⋯⋯そんな思いを打ち消して、シエルは任務に徹する。

 そして⋯⋯ルミナス皇女殿下が行き遅れそうだとも、その報告書には書き加えられていたのだった。

「さてもう寝ましょう、明日も早いし⋯⋯」

 帝国に忠誠を尽くすお菓子職人エクレール家の末裔シエル。

 彼女もまた今の境遇に満足しており、婚期が遅れそうな一人だった。

 なお実家は兄が継ぐことが決まっているので、シエルはこの先も思う存分好きなお菓子作りを続けられるのである。


 そしてその日のアレクの夕飯は大きなケーキが二つだけであった。

 それをアレクは残さず食べたという⋯⋯

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