14-09 外交への準備

 アリシア達が北の都イスペイから戻り一週間が経った。

 その間にアレクはフィリスからアリシアの機嫌がよくなっていたと報告を受けて一安心する。

 これで心置きなくガディアとの交渉に挑めるからだ。

 ガディア大森林。

 それは次にアリシア達が向かう予定の、東の都ポルトンにあるエルフ族の大集落だ。

 ポルトンは島国というのもあってガディアの民も閉鎖的で、これまでエルフィード王国とは公式にかかわりを持つ事はなかった。

 しかしこの度アレクがエルフ族のリオンを妻に迎える事態となり状況は変わった。

 リオンはガディアの民ではないが同じエルフの大集落ゾアマン大樹海の族長の娘だ。

 そのリオンが居れば我がエルフィード王国はポルトン以外の他国に先んじて、友好関係を結べるのではないかと声が上がる。

 エルフィード王国にあるゾアマンの恵みはこの国にとって、今やなくてはならないものになっている。

 大陸南端に位置するゾアマンをエルフィード王国は独占し、保護してきたからこその発展があった事は事実なのだ。

 だからこそ同じようなエルフの集落ガディアの民とも友好関係を築くべし、という王国貴族の声が高まったのだ。

 アレク個人の考えではガディアとの関係を持てても、それほどの恩恵はないと思っている。

 なぜならガディアがあるポルトンはお世辞にも豊かな国とはいいがたいからだ。

 国土の大半を占める森林地帯⋯⋯それを生かした船づくりがポルトンの主要産業だ。

 むしろ国交を結んで喜ぶのは向こうだとアレクは考えていた。

 とはいえこの貴族の提案をはねのける事はアレクには難しかった。

 リオンを妻に迎える大義を失う事になるからだ。

 もちろんアレクはそんな事の為にリオンが欲しいわけではない、純粋に愛した結果だ。

 しかし周りの貴族はそうは思わない。

 先を見据えたアレクの⋯⋯エルフィード王家の選択だと思っているのだ。

 そしてこの誤解を解く訳にもいかない、円満なリオンとの婚姻の為にはアレクは形だけでもガディアとの交渉をするしかなくなったのだ。

 リオンを使って⋯⋯

 リオンへの愛、貴族たちの期待、なんにでも理由を示さねばならない王家の立場⋯⋯アレクはため息がでるのだった。


 そしてそんな交渉⋯⋯国家事業に備えた会議が連日お城では行われていた。

 当然この会議にはリオンも参加している。

 今やリオンがアレクの妃になる事は公然の事実であった。

 そしてその事に対して大きな反発もなかった、この事だけはアレクも一安心だった。

 しかしその為に今リオンに大きな負担をかけている自分をアレクは許せなかった。

「アレク殿下、リオンに負担をかけすぎでは?」

 そう進言するのはアレクのもう一人の婚約者ネージュだ。

 彼女もまたアレクの正室となる事が周知されつつあり、その地位を盤石にしていた。

 今回の交渉の主役はリオンだがその準備をずっと始めから傍で支え続けたネージュの姿に、リオンとの力関係がはっきりと周りの者には示されたのだ。

 悪く言えばリオンはお飾りで実権を握っているのはネージュであると、そのネージュが正室でリオンは側室だというわかりやすい力関係だった。

 そして同時にその二人の信頼や友好も広く知れ渡る事になった。

 この事はアレクにとって非常に喜ばしい事である、なにせ面倒な詮索がなくなるのだから。

 この事実だけでも今回の交渉はアレクにとってメリットだった。

 あとは交渉さえ上手くいけばいう事はないのだが⋯⋯そちらは期待が薄かった、せめて穏便に終わって欲しいというのがアレクの本音だ。

「わかっている⋯⋯しかし仕方がない、リオンには悪いが⋯⋯」

「あえて言いますがリオンは決してこの国の為に頑張っているわけではありません、全てアレク殿下の為に頑張っているのです、それをお忘れなきように」

「⋯⋯ありがとうネージュ」

「それを今言う相手はリオンですよ」

「そうだな⋯⋯」

 アリシアの次はリオン⋯⋯アレクの悩みは尽きない。

 この国の未来の為に、そして自分自身の為に⋯⋯アレクはあらためてリオンを愛し護る決意を固めるのだった。


「お菓子作り?」

「ええそうよ、リオン」

 そんな事をネージュはリオンに突然提案した。

 連日の会議も煮詰まり本番に備えて一日だけ休暇を作れたのだった。

 なのでここでリオンの緊張をほぐすべく、何か別の事をさせた方がいいとアレクは考えた。

 そしてアレクとネージュは一緒に考え、行動に移す。

 すなわちアレクへの贈り物になる、お菓子を作る練習をしようというネージュのお誘いだった。

「えっとそれってアレク様には内緒で?」

「そうよ」

 シレっと嘘をつくネージュ、この事はアレクと考えたのだから既に筒抜けである。

 二人が話し合った一番のリオンのリフレッシュは、結局アレクの為に頑張る事だったのである。

 こうしてリオンとネージュは二人でお菓子作りの練習をする事になったのだ。


 その為にネージュがリオンを連れて来た場所⋯⋯それは王都の貴族街にある高級スイーツ店『シルクス』である。

「ネージュ様、リオン様、本日はようこそ『シルクス』へ」

 そう二人を出迎え礼をするのはこの店の店長シエル・エクレールである。

 たまにしかない午後からの半休を潰しての接待だった。

 しかしそんな事は欠片も顔には出さずに対応する⋯⋯プロだった。

 ここシルクスでは早朝から午前中にかけて、その日のお菓子を作って売切れたらその日は終了というスタイルだ。

 満足のいく材料がなければ営業すらしない事もある、それが店長であるシエルの拘りだった。

 今日の営業は既に終わっている、本日の商品はもう売り切れてしまったからだ。

 なので時間も午後になり空いた厨房でこの料理教室が行われる事になった。

 普通はこんな依頼は受けない。

 しかし相手が公爵令嬢のネージュ・ノワールでリオンと二人でのお菓子作りの指導という依頼なら、受けない訳にはいかなかった。

 シエルの立場では⋯⋯

「シエルさん、この度は無理を言って申し訳ありません」

 そうネージュは形だけの礼をする。

「いえ、お二人のお力になれるよう、微力を尽くします」

「よろしくシエルさん」

 こうしてリオンとネージュのお菓子作りが始まったのだった。


「ネージュ様、きちんとレシピ通りの分量を守ってください!」

「えっ!? でも、お砂糖が多い方が甘くて美味しいのでは?」

 二人への指導でシエルが頭を悩ませるのは意外にもネージュだった。

 リオンの方は忠実にシエルの言った事を守るのだが、ネージュはすぐ「こうした方がいいのでは?」とアレンジをしてしまう。

 お菓子作りにとって分量を正確にする⋯⋯これだけで大抵の失敗はないのだ。

「ねー、まだ出来ないの?」

 そんな声をかける存在、それもまたシエルの憂鬱の種だった。

「そんなに急かしても出来ないわよ、ルミナス」

「本でも読んでたら?」

「そうですよ」

 そこにはルミナスを始めとする、いつもの四人が居たのだ。

 ――なんでここに皇女殿下が⋯⋯

 シエルは内心イラっとする。

 アリシア達は今ここでリオンとネージュがお菓子作りの練習をすると聞きつけ、冷やかしに来ていたのだった。

 全てはアレクがフィリスに口を滑らせたのが原因である。

「お菓子作りってそんなに難しいの?」

 本を読む手を止めたアリシアがそんな疑問を持つ。

「そりゃそうでしょう、普通の料理人よりお菓子職人の方が少ないしね」

 そうルミナスが答える。

 彼女は知っている、かつて帝国で見事なお菓子を作ったというだけで爵位を貰った家すらあるという事を。

 そして、その貴族家の末裔が今ここで店長をやっているシエルなのだ。

「私もお菓子作りはまだ練習してませんね⋯⋯」

「へー、そうなんだミルファちゃん」

 今のところミルファの料理修行は家庭料理がメインである。

 そんな中アリシアはふと立ち上がりシエルに訊ねた。

「ねえシエルさん、今パンケーキの材料ってある?」

「ええ⋯⋯そのくらいなら」

 そしてアリシアは厨房へと向かう。

「アリシア⋯⋯まさか作るつもり?」

「ちょっと久しぶりに作りたくなった」

 次のエルフィード王国の妃候補の二人の観察という使の為に引き受けたシエルの任務は、はたしてどうなるのであろうか⋯⋯

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