13-13 覚醒の歌声

 ラティスの目標は海洋の歌姫マレディーヴァになる事だ。

 だがその為に同じ人魚のアトラはあまりにも大きな障害だった。

 単なる歌の才能というだけならラティスのそれはアトラには及ばない、しかし海洋の歌姫マレディーヴァとは人々をもっとも引き付ける存在だ。

 歌なんてものはその為の手段でしかない⋯⋯そう、ラティスは考えていた。

 その点アトラには大きな欠点がある、自分勝手だという事だ。

 彼女には協調性というものが無い、だから周りに嫌われて疎まれている、だから海洋の歌姫マレディーヴァには決して成れないとラティスは確信していた。

 しかしどうだ現実は⋯⋯

 アトラは自分の観客を奪い始めたのだ、ただ歌が上手いだけで⋯⋯

「許さないアトラ⋯⋯海洋の歌姫マレディーヴァになるのは私よ!」

 そんな執念に突き動かされてラティスは今まで行った事のない深海へと潜る。

 そこにはこれまで誰も知らない〝歌〟が眠っているのだった。

 この世界の海の底には沢山の石板が沈んでいる。

 いつ、誰が、なんの為に、作り沈めたのか不明だが、その内容は世界の歴史と言えるものである。

 それを人魚は〝うた〟であると認識し、〝うた〟うのだ。

 その石板は人魚であっても立ち入らない場所にあった。

 いくつかある石板の中からラティスはを見つけた。

 未だに誰も歌った事のない物語うたを⋯⋯

「これよ⋯⋯これさえ歌えばアトラに勝てる!」

 ラティスはアトラに勝つためだけに、その禁断の歌に手を伸ばしたのだった。


 アリシア達がセロナンに滞在して三日目の朝。

「昨日のアトラのステージはよかったね」

「ええそうね」

「ホント歌だけは凄い人魚よね、アトラは」

「私も沢山の人魚さんの歌を聞いたけど、アトラさんのははっきり違いがわかります」

 アリシア達は昨日のアトラのステージの感想を言い合っていた。

「今日はどうする?」

「うーん、私たちの滞在は今日までが限界かな⋯⋯」

「そうね、私やフィリスはあまり長居は出来ないし」

「そっか⋯⋯ミルファはどうする?」

「私もあまり長居はしたくないです」

 アリシアとしてはこの未知の国には興味があり、もう少し居たかったがみんなにも予定や好みはある。

 なのでアリシアは今日いっぱいはみんなと観光して、あとはまた今度一人でこの国を見てみようと思っていた。

「じゃあ今日は予定通り闘技場へ行って、午後からは買い物でもして終わりにしようか」

 こうしてアリシア達の今回最後のセロナン観光が始まったのだった。


 ドレイクの館で朝食をとったアリシア達はすぐに闘技場へと足を運んだ。

 ここ闘技場では様々な魔物や魔獣と戦う人を見る事が出来る場所だ。

 本来であれば秘境の奥地でしか見られないような魔物との戦いを娯楽として楽しめるように作られた場所、それが闘技場だ。

 そこで戦う人も元冒険者という者が多い、戦う才能と冒険者の才能は両立しない事があるからだ。

 戦いには向いているが冒険者には向いていなかった者がこの闘技場で闘士となり、観客たちを楽しませるために戦う。

 中には貴族のお抱えとなっている花形闘士なんて者もいるくらいだった。

 本来アリシアは命をむやみに奪う行為を忌避する、しかし必要であれば躊躇うことなくその命を奪う⋯⋯

 そのアリシアの考え方は師である森の魔女から受け継いだ考え方だ。

 必要ない命は奪わない、奪う以上はその命以上の価値を得る事、それが奪う命への礼儀だと⋯⋯そう考えている。

 その考え方によればアリシアはこの闘技場には、あまり良い印象は無かった。

 むやみに命を奪う事を見世物にしているからだ。

 とはいえそれはアリシアの価値観で、この国の文化とは違うだけだ。

 だからアリシアは一度見ておきたいと思ったのだ、この闘技場を。

 フィリスやルミナスは守るべき民の為に力を振るう事を厭わない。

 いざという時の為に力を安全に磨けるこの闘技場はなかなか良いと考えていた。

 一方ミルファは聖職者だ、命を奪う事そのものが禁忌と教えられている。

 しかし生きる為に命を奪う事も理解はしている、その為この闘技場にはやや複雑な感情があった。

 やはりミルファはこの国がいまいち好きにはなれなかった。

 そんな様々な思いを秘めながら四人の闘技場見物は始まった。


 アリシア達が闘技場にいた頃ラティスは海岸の特設ステージに居た。

 今日は一人だった。

 なぜなら昨日覚えたばかりの歌を歌えるのは自分だけだし、一人でアトラに勝ったっという実感を得たかったからだ。

 そしてラティスの歌声が流れ始めるのだった。


 その頃アトラはまだ寝ていた。

 昨夜は遅くまで観客の前で歌い続けていたし、劇場は午前中にはやっていなかったからだ。

 そんなアトラの意識が覚醒する。

「⋯⋯この歌声は⋯⋯ラティス?」

 アトラは一度聞いた歌声は全て覚えている、そんなアトラにとってラティスは数少ない認める存在だった。

 埋没し個性など無くても満足する他の人魚とは違う、確固とした目標を持つ個人として。

 だが同時にバカにもしていた。

 ラティスは調和を重んじておきながら自分が目立つことを意図的にしているからだ。

 その矛盾がアトラには気に入らなかった。

 そんなラティスの歌声が今聞こえてくる。

「⋯⋯そうおかしくも無いか、ここはセロナンだし、今は冬だし」

 冬になれば人魚は暖かいセロナンに集まる⋯⋯かつてのアトラ自身も同じ事をしていたのだ、ラティスがそうしたところで何もおかしくはない。

 そしてアトラはラティスへの興味は無くなったが、歌っている歌には興味があった。

 なにせアトラでさえ知らない歌だったからだ。

 アトラは一人でいる時間が長く、かなりの数の海底の石板を見て回った、おそらく現代の人魚族では一番多くの数を。

 そのアトラでさえ知らない歌を近くで聞いてみたいと思い、アトラは起き上がった。

 そして劇場であてがわれた部屋を出て、黙って海岸へと向かうのだった。


 アトラが海岸のステージに着いた時には大勢の観客が居た。

 全てラティスの歌によって集められた観客たちだった、それをアトラは黙って見て、聞いていた。

「ふーん、やれば出来るじゃない」

 その素直な感想はアトラの心からのものだった。

 前からアトラはラティスが気に食わなかった、なぜなら本気で歌わないからだ。

 調和だなんだと言って周りに合わせてレベルを下げている事が見え透いていたからだ、そのくせその中では目立とうとしているところも透けて見えていたからだ。

 でも今、たった一人で全力で歌っているラティスの姿は、今までアトラが見てきた人魚の中でもっとも輝いていると思ったのだ。

「でもまあそれでも、アトラちゃんの方が上だけどね」

 こうしてアトラはラティスのステージを邪魔せずに立ち去った、ここは彼女の舞台だからだ。

 なおアトラが劇場に戻った時は大騒ぎになっていた。

 アトラが黙って居なくなったからだ。


 ――さあ、もっと私の歌に酔いしれなさい! そしてもっと集まりなさい、この歌を聞く為に!


 朝からずっと歌い続けていたラティスは異様な精神状況になりつつあった。

 歌う事が止められない、注目を浴びる事がたまらないと。

 そして観客にも変化が現れ始める⋯⋯

 ラティスの歌をもっと聞きたい、その為に近くに行きたいと。

 やがて熱狂の渦の中心にラティスは居た。


 アリシア達は闘技場で闘士の戦いの見物中だった。

 そこにある戦いは一見すると残酷な殺戮ショーと言えるのかもしれない。

 だが観客たちにそんな自覚も無ければ批難する様子もない。

 単純にこの闘技場に捕獲され連れてこられた魔物と戦う闘士たちの戦いに、皆酔いしれていた。

 観客たちの多くは貴族を始めとした富裕層だ。

 普段見る事のない、血なまぐさい戦いに興奮している。

 それらはアリシアが危惧し、ミルファが嫌悪していた事だった。

 しかしこの場所にはそれだけではない名誉があったのだ。

 勝ち名乗りを上げる闘士たちは皆誇らしげに腕を上げ、観客はそれを称えていた。

 確かに殺される魔物の尊厳はないがしろだろう、しかし勝利する闘士にはそれ以上の名誉が与えられているとアリシアは感じた。

 アリシアが獲物を仕留める時は観客など居ない、よってそこには尊厳破壊も無ければ、名誉も無い。

 よってアリシアは、この見世物をそこまで悪いものでは無いと結論付けた。

 そんな戦いがいくつか終わって、次の戦いの為の魔物が柵の向こうに現れたその時だった。

 突然その魔物が暴れ始めた。

 そして柵を破壊してしまったのだ。

 その勢いで観客席に入って来た魔物の爪が、無力な観客へと襲い掛かる⋯⋯

 それを制したのはフィリスの剣だった。

「早く逃げなさい!」

 その転んだ観客は大慌てで逃げていく。

 その間フィリスはずっとその魔物を睨みつけ、立ちふさがっていたのだった。

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