13-12 深海へ沈む歌声

 アクエリア共和国南の都セロナン。

 そこは人魚族の楽園、アクエリアの海の中でも冬になってもそれほど寒くならない場所だった。

 別に人魚は寒さも暑さも気にしない種族だが彼女たちの歌を聞く人族は違う。

 冬になれば寒さで自然と海辺には近づかなくなってくるのだ、その為人魚たちは歌を聞いてくれる人を求めてここセロナンへとやって来る。

 そう、ここセロナンの海岸には人魚たちの歌を聞く観客席が数多くあり、最高の舞台と言ってよかった。

 その舞台を求めて多くの仲間の人魚たちと共に海を泳ぐ人魚が居た。

 彼女の名はラティス――

 次代の海洋の歌姫マレディーヴァの座を追い求める人魚だった。


 アリシア達がセロナンにやって来て二日目の朝。

「ただいま」

「お帰りアリシア」

「ふわぁ⋯⋯おはよう」

「おはようございます、朝早くからご苦労様ですアリシア様」

 今アリシアは帰って来たばかりだった。

「で、アトラはどうしたの?」

「さっき街の中に置いてきたよ、イデアルへの帰還用の転移魔法具も持たせているし、まあ大丈夫じゃないかな?」

 そう、アリシアは朝一でイデアルに戻りアトラを連れて来たのだ。

 そして後は勝手にやってもらう⋯⋯まあアトラが劇場の前で歌えば中に入れてくれるだろうという甘い予測だった。

 そしてアトラもそれでいいと気楽そうに答えたため、そういう事になったのだ。

「あいかわらずぶっ飛んだ人魚ね⋯⋯アトラは」

 ルミナスにすら呆れさせるアトラはやはり只者ではないのだろう。

 アリシアもわりとぞんざいな扱いをしているが「まあアトラだから⋯⋯」という謎の安心感があった。

「さて、今日で仕事を終わらせてアトラのステージでも聞きに行こうか」

「そうね」

 こうしてアリシアのお仕事が始まった。


 転移装置の建設予定地の現場には既にドレイクが用意した石材がある為、それを使ってアリシアが魔法転移門ルーンゲートを今日作成する事は可能だった。

 竜車に乗ってやって来た現地でアリシアは、付き添いで来たドレイクと打ち合わせという最終確認をする。

「これだけの石材があれば今から創る事は可能です。 本当にここでいいですか?」

「本当か!? 頼む! 礼金はいくらでも出すぞ!」

 一応アリシアは今日創る事をアレクと話し合って許可を貰っている。

「あのバーミリオン様、使用に関しては兄と話し合ってからにしてくださいね」

 そうフィリスはドレイクに釘を刺す。

 ここの魔法転移門ルーンゲートの移動先はイデアルになる、そしてそのイデアルはエルフィード王国なのだ。

 たとえ試験運用と言えど使っただけで国境を超える行いになってしまう。

 その為の法整備もまだの段階だった。

「もちろんだとも!」

 そうドレイクは力強く答えた。

 彼だってこの幸運を手放すつもりなど無い、愚かな使用方法でアリシアに嫌われるつもりは毛頭なかった。

「じゃあ始めますよ?」

 そう確認してアリシアは建物を創り始めたのだった。


 そしてアリシアが魔法転移門ルーンゲート作成に取り掛かっていた頃、アトラは⋯⋯

 アリシアが新たに創り直した新型の義足で歩いていた。

 その歩き姿はごく自然で見た目も以前のフルアーマーではなく普通の足そのままで、格段の進歩を遂げていた。

 そんな風に歩きながら沢山の人に注目されて、ようやく劇場へと辿り着いたのだ。

「やっと来たわ、このアトラがね!」

 そして警備の者にあっさり捕獲された。

「なによ! アトラの邪魔をするんじゃないわよ! 早くここで歌わせなさいよ!」

 そしてそのまま兵士に突き出される⋯⋯そう思った時だった。

「マ⋯⋯海洋の歌姫マレディーヴァ! 何故ここに!?」

 ちょうどこの時、劇場の支配人が出勤してきたのだ。

 こうしてアトラは劇場の中へと連行されるのだった。


 今回アリシアが創った魔法転移門ルーンゲートは内装こそ一緒だが、外見はこの国らしい雰囲気にしてある。

「もう出来たのか?」

 ドレイクが不安になるほどあっけなく完成した。

 ひとまずアリシアだけで稼働試験を行い問題ないと判断した。

「大丈夫です、もう使えます」

 そしてドレイクを加えた全員でイデアルへと転移したのだ。

 実はこの時がルミナスとミルファにとって初の魔法転移門ルーンゲートの体験だった。

「⋯⋯いつもの転移魔法とちょっと違いますね?」

「わかるの? ルミナス」

 確かに場所と場所を固定して入れ替える魔法転移門ルーンゲートと、普段アリシアが使う転移魔法は若干違う。

 しかしそれに気付ける人がいるとはアリシアは思っていなかった。

「なんかこう⋯⋯⋯⋯みたいな感じ?」

「その違いがわかるなら、ルミナスもいつか転移魔法が使えるかもしれないね」

 アリシアにとってただの素直な称賛だった、しかしルミナスにとって新たな目標が生まれた瞬間だった。

「転移⋯⋯魔術か」

 そんな会話をよそに興奮を抑えきれないドレイクが言った。

「本当にここはイデアルなのか?」

「ええ見てください」

 そう言ってアリシアは転移門の扉を開いてイデアルの街を見せたのだった。

 ドレイクは少しの間放心していた。

「ここがイデアル⋯⋯エルフィード王国なのか⋯⋯」

「ええバーミリオン様、エルフィード王国へようこそ」

 そうこの国の王女のフィリスが歓迎したのだった。

 そして一同はいったんセロナンへと戻った。


 その頃のアトラはとんとん拍子に劇場のステージに立つことが決まっていた。

 なぜならここの支配人は先月の帝国のアトラのステージを見て⋯⋯いや聞いていたからだった。

 あの歌姫をこの劇場に招待できる⋯⋯その機会を逃しはしなかった。

 そしてこの日の夜にアトラの特別ステージが実現することになった。


 アリシア達はいったんドレイクの館へと戻り、今後について話し合う。

 一応アリシアの仕事はこれで終わりである。

 その為今後の魔法転移門ルーンゲートの取り扱いに関しての技術的な話以外はフィリスが主導で行った。

 そして面倒な話をしているフィリスとドレイクをよそに、既にアリシアの意識はこの国の観光へと切り替わっていた。

 ちょうどそんな時にアリシア達の所にドレイクの出した使いの者が帰って来た。

「⋯⋯ふむ、なるほど。 ご苦労だった」

 そう言ってドレイクは使いの者を下げた。

「朗報です、銀の魔女様」

「朗報?」

「ええ、貴方が言っていた人魚のアトラさんは我が国の劇場にて保護され、今夜のステージに立つ事になったそうです」

「そうですか⋯⋯ありがとう」

 アリシアはアトラの行動が上手くいったことを知った。

「もう今夜にステージに立つの? 早いわね」

 ルミナスも若干驚く。

「今夜は劇場の予定が空いていた事と、ただ歌うだけのステージにはさほど準備に時間がかからんからでしょう」

 ドレイクも専門家ではないが、おおよその経緯は想像できた。

「アトラは気まぐれそうだから逃がさないのに必死だったんじゃないかな? その劇場は」

 そんな感想をアリシアは感じた。

「だとしたら懸命だったわね」

 アトラをよく知るルミナスでも同じ判断だった。

「どうしますか銀の魔女様? 今なら席を確保する事は出来ますが?」

「そうだね、行ってみようかみんな?」

 一同はそのアリシアの提案に賛成した。

 ドレイクもアリシアに気に入ってもらえる気配りが上手くいき、内心喜んでいた。

 そしてしばらくの間仕事の話を続けた後、アリシア達は劇場へと向かう事になったのである。


 その頃、海岸の特設ステージで歌を披露し沢山の聴衆者を虜にしていたラティスとその仲間の人魚たちは異変に気付き始めていた。

 それは客足が遠のき始めたからだ。

 もっと日が暮れてからならいつもの事だが今日はやけに早かった。

「どういう事?」

 そんなラティスの耳に人間の話し声が届いた。

「おい! 今、海洋の歌姫マレディーヴァが劇場に来ているんだって!」

「本当か!? 今からチケット間に合うかな?」

 そんな会話をしていた人たちが去っていく。

海洋の歌姫マレディーヴァ⋯⋯ですって!?」

 ラティスには信じられなかった。

 そんな存在が陸の上の劇場に居る事が⋯⋯そして自分以上の歌姫がいる事が。

 それから長い時間ラティスはその場に止まり続けるのだった。


 辺りはすっかり日が落ちて暗くなっていた。

 ラティス以外の人魚はもうとっくに帰っていった後だった。

 夜の海に浮かぶラティスに近くを通る人々は気付かない⋯⋯

「あれが海洋の歌姫マレディーヴァの歌声か!」

 彼らは劇場の帰り道だった。

 そして今日の感動を語りあっていた。

 ――海洋の歌姫マレディーヴァが本当に居るの?

 ラティスには信じられなかった。

 彼らは普段から自分の歌を聞きなれた観客だった、そんな彼らを感動させる存在がいる事が⋯⋯

 そしてふとラティスは一人の憎たらしい顔を思い出す。

 少し前に姿を消してせいせいしていた人魚の事を。

「いつも人魚の歌を聞いていたけど今夜のは格別だったなー、また明日もアトラちゃんに会いに行こうぜ!」

 ――アトラ⋯⋯ですって?

 その言葉は信じがたかったがむしろ腑に落ちた、ラティスにとっては。

 いずれ海洋の歌姫マレディーヴァになる自分以上の存在が他に居るハズは無いのだ。

 アトラが何故今陸の上で歌っているのかなんてどうでもよかった。

 問題なのはあのアトラがまたしても自分の邪魔を始めた事実だけだった。

 そしてラティスは深海の闇へと潜った。

 アトラに勝つ⋯⋯

 その目的の為だけにラティスは泳ぎ始めたのだった。

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