11-EX02 受け継がれる夢

ミハエルの誕生日から一週間経ち、今年も最後の日になった。

この日の夜は夜明けまで起きて騒ぐ、いわゆる二年祭というのが帝国では一般的だった。

そしてここ帝国劇場でもその二年祭は行われていた。

「今年一年の公演の成功と無事を祝ってカンパーイ!」

会場のあちこちでグラスを合わせる者たち。

しかし、そこにはもうアトラの姿は無かった。

「アトラの奴、帰ってしまったな⋯⋯」

「もっと居座るのかと思っていたのだがな⋯⋯」

そんな会話があちこちで行われていた。

それはそれほどまでにアトラが残した爪痕が大きかった証だろう。

「正直居なくなってホッとしたと思う気持ちもあるが、やはり勝ち逃げされた気分で腹立たしいな」

そんな事を言う劇団員に啖呵を切る者が居た。

「何よ! あんなぽっと出の人魚に負けて悔しいなら、帝国最高の劇団なんて看板下ろせばいいのよ! 私たちはあんな個人の天才には出来ないものを作り続けてきたはずでしょう!? 帰ればいいのよ、あんな奴!」

アイリスだった。

そしてこの生意気な妹分がここまで感情的になる事は珍しく、本当にあの人魚の事を気に入っていたんだと他の劇団員たちは思った。

そんな祭りの最中アイリスは呼び出された、支配人のリゲントに。


「何、支配人! 話って⋯⋯」

支配人室の扉を開けたアイリスは気付く、そこにリゲント以外に別の男女が居た事に。

「来たなアイリス、座れ」

こうして座らされたアイリスは何かヤバい事になったと思った。

公演ならしっかりやり遂げたはずだし、追い出される事は無い⋯⋯はず。

そう思いながら呼び出された理由を待った。

「アイリス、今日はこちらの方々がお前に話があると言って来られた」

そう言ってリゲントは目の前の男女をアイリスに紹介する。

「初めましてアイリスちゃん、私はバレーナ・ブラウメア、こっちは主人よ」

「どうも始めまして」

「⋯⋯こちらこそ初めまして、アイリスです」

その女の存在感に比べて主人の男はひ弱で頼りなさそう、というのがアイリスの印象だった。

「さっそくだけどアイリスちゃん、貴方うちの養子にならない?」

「はあ!?」

その申し出はアイリスの予想外のものだった。

「私たちには子供が居なくてね、それで君を見た妻がどうしても君がいいと言い張ってね⋯⋯」

そのいかにも言いなりになってそうな旦那の喋り方に、アイリスはイラっと来た。

「本気で言っているんですか? どこの貴族の人か知りませんが、からかうならやめて欲しいです」

「あら、からかうなんて」

「第一、私の事ちゃんと知っていたら養子になんて思う訳ないじゃない!」

段々とアイリスの声が荒くなってくる。

「そうね、孤児院出身のどこの馬の骨ともしれない、下賤な身の上よね」

カチンときた。

「そこまで知ってんなら帰れ! こっちは金持ちの道楽に付き合う暇は無いんだよ!」

ガチギレしたアイリスはそう叫んだ後に気付いた、目の前の夫人が面白そうにこっちを見ているのを。

「ふふふ思った通り、いやそれ以上の反応でいいわね、貴方」

「ワザと怒らせたんですか?」

「ええそうよ、怒りや笑いはその人の本質を見る常套手段じゃない、駄目よこんな交渉で簡単に本心を見せるようじゃ、役者失格よ」

「⋯⋯あんたに何がわかるのよ」

「あらわかるわよ、ねえ支配人?」

そう話しを振られたリゲントは笑いながらアイリスに説明する。

「こちらのバレーナ君⋯⋯いや夫人は、元うちの看板だよ」

「え⋯⋯先輩なの?」

リゲントの説明にアイリスは呆然とする。

「まああんたみたいな子供が知らないのも仕方ないわね、何せ十年は前の事なんだから」

「十年前⋯⋯そんなの知ってるわけないじゃない」

そしてそんなバレーナの話が始まる。

「私は十年前に喉を痛めて引退した、それまではこの劇場のトップスターだったんだけど、まあその縁でよくここの劇は見に来るのよ、だから貴方の事も前から知っていた」

「⋯⋯」

「今回見に来て驚いたわ」

「あんな人魚が居れば誰だって⋯⋯」

「私が驚いたのは貴方よ」

「え?」

「先月までと全く違う、一皮むけたのがはっきりわかった」

「いや⋯⋯アトラのお陰だし⋯⋯私だけの力じゃ⋯⋯」

「確かにそれはあるわね、でも貴方が成長した事に違いはない」

「成長⋯⋯」

「人の評価を気にしなくなった⋯⋯そうでしょ?」

「⋯⋯」

「わかるわよ、媚びてる感じが消えててすぐにね、もっともそれが悪い方に出る役者もいるけど貴方はいい方に出ていた」

今自分は褒められている、それがアイリスにはわかった、しかしこの婦人の意図が読めない。

「⋯⋯結局何しに来たんです、おばさん」

「貴方を応援したい⋯⋯そう思ったからよ」

アイリスのおばさん呼びに全く反応を示さない、意趣返しのつもりだったがあっさりかわされた、そこに年季の違いを改めて感じた。

「なんで私を?」

「私はね引退して今の主人と結婚したけど演劇への情熱を失った訳じゃないのよ、でももう私自身はステージに立つことは出来ない」

「まあそんだけ太ってたらね」

段々アイリスは遠慮が無くなってきた。

「お黙り! アンタも気を付けなさい、引退したらすぐ太るわよ!」

「おあいにく様、私はまだまだ引退しません!」

「でも首にはなるんじゃないかしら⋯⋯音痴なんでしょ貴方」

「うぐ⋯⋯なんで知ってんのよ」

「知っているに決まっているでしょ、貴方の事全部調べてからこうして話に来たんだから」

「それで孤児だって知ってたんだ」

「地方の孤児院への訪問講演をした劇団に黙ってついてきた少女、それが貴方」

そうアイリスはかつて来た劇団に憧れて孤児院を脱走して、ついて行ったのだった。

そして送り返されないように何でもやった、そして雑用の傍ら演技を学んだのだった。

やがて才能を認められて、今ここまで来られた。

はっきり言って幸運だった。

しかし音痴だったアイリスは今、いつ首を宣言されてもおかしくない所に居る。

演技だけでやっていける場所もあるだろうがこの場所にしがみ付きたい、それがアイリスの望みだった。

「だったらわかるでしょ、私にはあんたたち金持ちの道楽に付き合っている時間は無いのよ、練習しなきゃここに居られないのよ」

「そうねその通りだわ、だから応援してあげるって言ってるのよ」

「え?」

「たかが音痴くらいで消えるには貴方の才能は惜しい、そう思ったのよこれからのためにもね」

「これから?」

「貴方さっき金持ちの道楽って言ってたけど、この世界が金持ちの道楽で成り立っているって自覚あるでしょ?」

「はい⋯⋯」

「もしもある日、今まで支援していた貴族の半分が興味を失えば維持できなる世界、それがこの場所なのよ私はそうなって欲しくはないわ、私が愛したこの世界がね」

「⋯⋯」

「私はこの道楽を許してくれる優しい主人に巡り合えた、だから後輩たちへ手を差し伸べられる」

「それが私なの?」

「十年後のこの世界を背負って立つのは、貴方だと思ったわ」

「でもだからといって養子っていうのは⋯⋯」

「⋯⋯ああ、あれは嘘よ。 そんなものに飛びつくような馬鹿に興味はないわ」

「馬鹿?」

またしてもカチンと来るがアイリスは表情に出さないよう努める。

「だから本当の申し出は貴方の後援者になりたい、その代償として貴方は十年後のこの世界を背負うと誓う事」

「でも私音痴だし」

「あら私だって最初は酷かったわよ、そうよねリゲントさん」

「⋯⋯そうだな」

「貴方には死ぬ気で練習してもらう、その為の環境も費用も全て私が持つ⋯⋯さあ、この手を取る?」

その差し出された手、アイリスのはこの選択肢が一生で一度限りのものだと理解した。

今後自分の人生の全てを捧げる事になる決断になると、その覚悟が自分にあるのか。

この時、あの憎たらしい人魚の顔がアイリスの脳裏をよぎった。

あいつはいつだってそういう場所へ一人で向かい、歩き続けて来たんだと。

「わかったバレーナさん、私やるわ」

「よろしくねアイリス」

アイリスその手を取りとバレーナと握手した。

そうアイリスは決断した、もう立ち止まらない歩き続ける事を。

いつかまたアトラと同じステージに立つために。

アトラを一人ぼっちになんてしない為に。


「ふう、上手く纏まってくれた」

深夜一人リゲントは胸をなでおろす。

こういう事は珍しい事ではない。

看板役者に後援者が付き、そして寄付金が集まりこの世界は維持されてきた。

それが今回はアイリスだっただけの話だ、しかし。

「しかしあのバレーナ君がアイリスをな⋯⋯」

リゲントは見抜いていた、アイリスへの養子の打診は本心だったと。

それ程アイリスの才能に惚れこんでいたのだろう。

「この先どうなるのかな?」

演劇の世界で生きるリゲントにとって、現実ほど先の読めないシナリオは無い。

ふとそんなリゲントの目に一冊の本が目に留まる。

ナロンが置いていった本だった。

「読んで見るか⋯⋯しばらく休みだしな」

劇場の再開は新年明けてから数日後の予定だ。

こうしてリゲントは本のページをめくり始めた。

新しい物語の始まりを⋯⋯

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