11-EX03 蒼き海に思いを馳せて
今から十数年前、バレーナはアクエリア共和国から世界一の歌姫を目指して、ここ帝国劇場へとやって来た。
バレーナは子供の頃憧れた人魚の歌に近づくため努力を重ね、ついにここまで来たのだった。
そんなバレーナはすぐにここ帝国劇場でも売れっ子になった。
いつしかバレーナは人でありながらもっとも
「やあバレーナ、今日の歌も素晴らしかったよ!」
そうバレーナに言い寄ってくる男はシュテル・ブラウメアという帝国の貴族だった。
若くして父親を亡くして最近当主になったばかりの伯爵だった。
そんなシュテルは貴族としての付き合いでここ帝国劇場へ来た事がきっかけで、すっかりバレーナの歌に魅了されていた。
「あら伯爵さま、今日もありがとう」
「それで今日は王国の良いワインが手に入ったんだ、どうかな?」
しかしバレーナはそんなシュテルの誘いを一度も受けた事はなかった。
彼はファンではあるが、彼女の大勢いるファンの中の一人にすぎないからだ。
その日もバレーナは軽くあしらって、シュテルと別れた。
バレーナの夢はここ帝国劇場で一番の歌姫となって、人間族初の
だからその為にはいかなる努力も惜しまなかった。
この頃のバレーナは男など眼中になかったのである。
それから何年か経ちバレーナはトップのオペラ歌手になっていた。
そしてシュテルはほとんど毎回劇場へ足を運んでいた。
しかし、そんな日々は終わる⋯⋯
バレーナが喉を痛めてしまったからだった。
懸命な治療を試みたが、もう元の美声を取り戻す事は出来なくなっていた。
そんなバレーナの周りから一人また一人ファンは居なくなっていく。
歌姫でなくなったバレーナの傍に最後まで居たのがシュテルだった。
「帰りなさい!」
元の声の面影のない酷い声でぬいぐるみを投げつけて、バレーナはシュテルを追い返した。
しかしシュテルはそんなバレーナの所へ通う事を、止めなかった。
それから一年が過ぎた⋯⋯
ついに完治を諦め、正式に帝国劇場を去る事になったバレーナをシュテルは迎えに行ったのだ。
両手いっぱいの花束を持って⋯⋯
この時初めて、シュテルはバレーナにプロポーズしたのだった。
「なぜ私にプロポーズしたの?」
「君の歌が素晴らしかったからさ」
「あら、もう私は歌えないわよ」
「確かにそれは残念だ。 しかし、あの美しい歌を歌った君は何も変わらない。 声を失っても心はそのままだ、僕が愛したままの君だ」
「あら私は歌手だけじゃなくて役者でもあったのよ、騙されてるんじゃない?」
「僕は伯爵だよ、汚い人間はいくらでも見てきた、だからわかる⋯⋯本当に美しいものが」
「節穴ねあんた」
「何度も君に追い返された時に物をぶつけられた、でも怪我をする様なものは一度も君は投げなかっだろ?」
「⋯⋯後悔しても知らないわよ」
「僕は後悔したくないから今日ここへ来たんだ、結婚してくれ」
そしてバレーナはその花束を受け取ったのだ⋯⋯
こうして伯爵夫人となったバレーナ・ブラウメアは驚愕する事になる。
結婚相手のシュテル・ブラウメアが想像以上の道楽者だった事を⋯⋯
シュテルは先代である父親にずっと英才教育を受けており、その父が亡くなったとたんこれまで触れてこなかった遊びにハマってしまっていたのだった。
シュテルがバレーナの所へ通っていたのもその中の一つだった。
しかもその道楽のせいで仕事を疎かにして先代から引き継いだ事業が、かなりマズイ事態になりかけていたのだった。
そんな事態を認識したバレーナはシュテルを働かせた。
バレーナ自身もその事業に協力したのだった。
幸いバレーナが歌姫時代に培った人脈が役に立ったのである。
それから数年間、二人は必死に働き事業の成績を元にまで戻す事に成功していた。
しかし、その時にはもうバレーナは若さを失っていた。
バレーナは必至で働き、子供を産めなかったことを悔いた。
しかしシュテルは「養子でも取ればいいさ」と答えたのだった。
やがてブラウメア家は全盛期を取り戻し、またシュテルの道楽が始まった。
だが今度はバレーナはそれを止めなかった。
今度はきちんと仕事もやっているからだ。
遊ぶことも伯爵家の仕事に役立つ事もあると知ったからだ。
そしてバレーナは十数年ぶりに帝国劇場へと向かう事になった。
最近近づいてきた王国の公爵令嬢との取引の始まりがきっかけだった。
そしてバレーナはそこで若い才能に巡り合う。
あの頃の自分の様な輝きが溢れていた、それを懐かしみながら見物する。
しかし一人だけ残念な子供がいた。
「⋯⋯子供のくせに媚びすぎね」
それを見たバレーナはもったいないとは思ったが、特に何かをしようとは思わなかった。
さらに翌月、再び劇場に来たバレーナは驚愕する。
そこで人魚が歌っていた事もそうだが、先月見限った子供が完全に化けていたからだった。
さらにソロで歌う人魚の歌声に感動してしまった。
あれが本物の
自分が追い求めて、たどり着けなかった世界なんだと。
バレーナはもうとっくに気持ちの整理がついていたはずだった、しかし再び情熱が蘇る。
だがもう自分がステージに立つことは無い、ならどうする⋯⋯
気がつくとバレーナは、あの子役の事を調べ始めていた。
「バレーナ⋯⋯あの子がいいんじゃないか?」
「何が?」
「僕たちの養子さ」
「何言ってんのよ⋯⋯」
「本気さ僕はね⋯⋯君もそうなんだろ?」
この時答えは出なかった。
だから会ってみようと思ったのだった。
その小さな蕾に⋯⋯
結局その子を養子に迎える話にはならなかった。
「生意気な子だったわね」
「君にそっくりだったな」
「そんな事ないわよ」
「⋯⋯そんなことあるさ、君と同じくらい上だけを見ている子だよ」
「私に比べればまだまだよ」
「確かにそうだ、だから楽しみじゃないか、これからが」
「⋯⋯ええ、そうね」
バレーナの夢は叶わなかった。
しかしその夢は託せるのかもしれない。
そんな新しい目標がバレーナには出来たのだった。
いつしかバレーナの心に、またあの海の歌声が響き始まていた⋯⋯
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