11-05 才能の義務
アリシアやルミナスと共に帝国劇場を訪れたアトラの前に、劇場の支配人のリゲントがやって来た。
「ごくろう、こっちが話しておいた人魚のアトラよ!」
そうルミナスはリゲントに話を通す。
まずリゲントが目を疑ったのは、連れてくると聞いていた人魚のアトラが二本足で歩いているという事だった。
しかしその下半身はフルアーマーのような装甲である。
そしてあの銀の魔女が一緒に来ているので、何らかの魔法の御業だと思う事にした。
「かしこまりました、皇女殿下」
そうリゲントはルミナスに一礼した後、アトラに話しかける。
「ようこそいらっしゃいましたアトラ様、歴史と伝統の帝国劇場へ」
「ええ来てあげたわよ、このアトラがね!」
その人魚の態度は非常にデカかった。
しかしそれをリゲントは咎めない。
なぜならここでステージに立つ者なら、その程度の図太さはあってしかるべきだからだ。
もしリゲントが怒ったり失望する時は、この人魚が期待はずれだった時だけである。
「今日はよろしくお願いします」
「はいかしこまりました、銀の魔女様」
自国の姫や人魚の歌い手よりもこの魔女の方が礼儀正しいなと、リゲントは思うのだった。
まず案内されたのは、打ち合わせをする為の部屋だった。
最初にアトラが何が出来て何をやりたいのか、知る必要があるからだ。
「アトラはね、オペラがやりたいわ!」
「⋯⋯オペラですか?」
リゲントは返答に困る。
オペラという演目は既に出演者が決まっており、練習も終わっている。
いきなりこの人魚を加える事は出来ない、少なくとも十日後の本番では。
しかしそんなリゲントに思ってもみない事を、ルミナスが告げる。
「このアトラは一人で歌うのよ、だから他の演者との兼ね合いは気にしなくていいわ」
「一人で⋯⋯本気ですか!?」
リゲントが驚くのも無理はない。
確かにオペラには一人で全てを歌い上げる様な楽曲も存在するが、今では完全に失われているといってよい。
単純で短いストーリーだった初期の頃なら珍しくもなかったが、現代では複数の役者によって行われる楽曲が主流になってしまったからだ。
そもそもたった一人で全てを演じて、最低でも三十分は歌い続けるソロは負担が大きすぎる。
そのため歌手生命を削るようなものであり、廃れていったのだ。
「このアトラちゃんが他の人の歌に、合わせるわけないでしょ!」
この人魚の態度はともかく、それならたしかに演目をねじ込むことも、そう難しくはない。
「本当に本気でやるおつもりですか? 喉を痛めても知りませんよ」
「このアトラちゃんの声がそんじょそこらの人間と同じだと、思わないでよね!」
そこまで言われてしまえばリゲントにも止める事は出来ない。
そしてここで数多くの演技者たちの血の滲む様な努力を見続けてきたのだ。
だからこの人魚がどの程度のものか見届けたい⋯⋯いや聞き届けたいと思った。
「⋯⋯わかりました、ではテストをしてみましょう何を演じられますか? ここには大抵の楽曲が揃ってますよ」
「適当に選んで頂戴、なんだって一緒よ!」
どこまでも不遜な態度を隠そうともしない、無礼な人魚だった。
リゲントは立ち上がり戸棚からとびきり難しい楽曲の楽譜を選び取り出す。
「ではこれを今から始めましょうか」
そういってリゲントはアトラをステージへと連れていくのであった。
ステージまで行こうと部屋を出た時アリシアは――
「じゃあ私はここまでで、歌は本番まで楽しみにしているよ、アトラ」
「ええ楽しみにしてなさい、魔女!」
そのアリシアの行動にリゲントは慌てる。
「練習は聞かないおつもりですか?」
「練習なんて聞いたら本番の感動がなくなるでしょ? それに練習なんて見られたいものじゃないし⋯⋯」
あくまでもアリシア個人の考え方である。
「そうね、じゃあ私もここまでにしておこうかしら、オペラは専門外だしね」
「皇女殿下もですか?」
リゲントは困惑する、今後この人魚をどう扱えばいいのか?
「いい貴方、そのアトラがステージに立つ資格がないと思ったのなら私に遠慮は要らないわ、すぐ叩きだしなさい! ⋯⋯それでいいでしょアトラ」
「構わないわ、というより追い出される訳ないじゃない!」
さも当然というようにアトラはルミナスに答えた。
「という事よ、後は任せたわ頼んだわよ!」
「お願いしますね」
「⋯⋯御意」
リゲントはそうルミナスとアリシアに返すしかなかった。
そして本当にアリシアとルミナスは帰っていった。
こうしてこの場に残されたのは、アトラとリゲントだけである。
「さあさっさと始めましょ、世界がこのアトラちゃんを待っているんだから!」
「⋯⋯」
こうしてアトラのテストが始まるのだったが、その日ステージの上でアトラが歌う事はなかった。
楽譜の読み方を教えるだけで終わってしまうからだった。
劇場を出たアリシアとルミナスは大きく伸びをする。
「んー疲れた」
「なんだか中途半端な時間ですね」
時間はまだ昼である。
「今から帰ってもミルファは居ないし⋯⋯今日一日潰れる予定だったしな」
「ならお茶でもしますか? 近くにいい店がありますから」
「ん⋯⋯いいね」
アリシアは思う、ルミナスと二人っきりというのも珍しいなと。
そしてアリシアはルミナスに誘われてスイーツ店に入った。
店内に入ると独特の甘い匂いが漂う。
アリシアとルミナスは奥の方の席に座り一息つく。
「みんなも一緒ならよかったのに」
「この時間ならフィリスは学園でしょ、ミルファも大聖堂だしね」
「なんか悪いな⋯⋯」
「フィリスはまあいいとして、ミルファには何か買って帰ればいいでしょ、ここはお持ち帰りもしていますし、私も買って帰ろうかなプリンでも」
何がおかしいのかわからないがルミナスはニヤニヤと笑っていた。
そう言っているうちに二人の所へエプロンドレスの店員が注文を取りに来た。
「さて⋯⋯何にしようか」
「アリシアさま今日はショートケーキありますよ」
「ショートケーキの事フィリスに聞いたの?」
「⋯⋯ええ、たしか⋯⋯前に聞いたような」
アリシアは何かルミナスが嘘をついていると思ったが、特に指摘しなかった。
「今はショートケーキはいいかな、他のを食べてみたい」
以前アリシアはショートケーキに拘っていた事があったが、あれから色々なケーキを食べ比べて既に飽きていた。
結局アリシアはフルーツがいっぱい乗ったものを頼み、ルミナスはチョコをふんだんに使ったものを選んだ。
そして注文が来るまで話をする。
「ルミナスは歌に厳しいの?」
「うーん、そういう訳でもないけど⋯⋯先祖の作った大切な場所を汚されたくない、その程度ですね」
「ふーん」
まあわからないでもない。
アリシアだって師が残した何かを汚されたら、おそらく黙ってはいないだろうから。
「どうなるかなアトラは」
「さあ、どうでしょうね」
アトラを歌姫にすると息巻いていたが、アリシアには何か出来る事は思いつかなかった。
「理想の魔女になるのは難しいな」
「それだけの力があって初めてスタートラインなのですね、アリシアさまは」
「力はあくまで手段だからね、使われない力は無意味だよ」
「⋯⋯あなたが後継者でよかったですね」
「何が?」
「もし私が森の魔女様に弟子として選ばれていれば、その力を国の為に使ったでしょうから」
「いくらルミナスでもこればかりは譲れない、けど⋯⋯もしもルミナスだったとしても、大丈夫だったはずだよ」
今ルミナスの中に複雑で温かい感情が沸き起こる⋯⋯これでよかったのだと。
そして二人の前にケーキセットがやって来た。
「見てルミナス、フルーツが宝石みたい」
「フフフ、ここは世界中に支店を持つシルクス帝国本店ですわ、とくとご賞味あれ!」
そして二人は無言でケーキを食べつつ紅茶を楽しんだ後、魔法と魔術の議論を繰り広げるのであった。
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