08-03 アトラの歌~世界が私を待っている

 アクエリア共和国それは中心に海を持ち、その周りを陸が覆った珍しい地形の国である。

 その為その国は海と共に発展し、その恩恵なくして立ち行かない。

 そしてそんなアクエリアの海は、人魚族の楽園でもあった。

 そこに住む人魚という種族は人間よりも長い時間を生きる、しかし生まれてくるのは女性ばかりでその種族維持の為に、他種族と交わり続ける変わった種族だ。

 彼女たちは海底に自分たちの世界を持っているが、ほとんど国交と言えるものはない。

 そもそも国という概念がないのだ。

 彼女たちはいくつかのグループに分かれ暮らしている、そして海岸や船の近くで歌や音楽を奏で気に入った男を引き寄せる、そして一夜限りの関係の後で子を産み育てる、ただそれだけの存在だ。

 しかし、そんな彼女たちにも中心となる存在はいる。

 それは海洋の歌姫マレディーヴァと呼ばれる者である。

 人魚族一の歌声で男ばかりか同族すら魅了する、まさに人魚族の象徴と呼ばれる。

 と言ってもそれは決して王ではなく、アイドルなのだ。

 そして今この時代に、その海洋の歌姫マレディーヴァであることを疑わない者と、それを目指し渇望する、二人の人魚族が居た。


 海上でその人魚の歌は、誰よりも高く美しく響いていた。

 その歌声の主の名はアトラ、次の海洋の歌姫マレディーヴァを信じて疑わない者だった。

「ちょっとアトラ! 貴方だけ声が大きすぎるわ、ちゃんとみんなに合わせなさいよ!」

 アトラを叱責するその人魚の名はラティス、次の海洋の歌姫マレディーヴァを目指す者だ。

「えーだって、アトラの歌声が素晴らしすぎるんだから仕方ないじゃないのー」

「これはみんなで歌う歌なの、調和を意識しなさい!」

「えー、だったらみんながアトラに合わせればいいじゃない、なんでアトラがみんなのレベルに合わせなきゃいけないのよー」

「とにかく、これは黄金の姫騎士様に捧げる歌なんだから、あんた一人が勝手にするならの成人の儀には連れて行かないわよ!」

「別に連れてってもらう必要ありませーん、自分でついていくもーん」

 そう言い残してアトラは群れを離れた。

「ラティス様ほっとけばいいんです、あんな奴」

「そうです置いて行けば問題ありません、の成人の儀には」

「ええ、そうよね」

 そして一週間後ラティスたちは海を行き、エルフィード王国を目指す。

 彼女たちは海から歌うのだが、エルフィード王国の首都エルメニアは幸い海に面している、十分そこからでも歌は届けられるのだった。

「悪く思わないでねアトラ⋯⋯あんたが集会にもちゃんと来る協調性を持たなかったのが、いけないんだからね」

 そしてラティスは今回の黄金の姫騎士の成人の儀で自分の存在を知らしめ、次の海洋の歌姫マレディーヴァの座は自分のものだと笑みを浮かべた。


 一方置いてかれたアトラは、自分が騙されたことに今更気づく。

「なに信じられない! このアトラちゃんを置いていくとか、ありえないんだけど!」

 そうは言っても後の祭りだった。

 今更追っても、もう成人の儀には間に合わない、それを知ってアトラは不貞腐れる。

「まったく、このアトラちゃんの歌を聞かない事は人生の損失なのよ、それなのにー!」

 そんなアトラに気づいた船乗りが居た。

「おっ人魚様だぞ、おい小僧ども人魚様に挨拶しとけ!」

 その年配の船乗りは今、教育中の子供たちに船乗りの心得を叩き込む。

 たとえ海に落ちても、人魚によって救われた船乗りたちは多いのだと。

 その見習いの子供たちは目を輝かせながらアトラを見た。

 そしてアトラはまんざらではなく上機嫌に戻った。

 ――そうよ、これこそがアトラちゃんにふさわしい扱いなのよ!

 そしてアトラは一曲だけその場で歌い、海へと潜った。

 アクエリアの船乗り達には人魚の歌声には海の加護があると信じられている、そしてそんな歌を間近で聞ける機会は船乗りにだってそうはない、幸運だとその見習いたちは教わった。

 まだ船乗りの一歩を踏み出したばかりの少年たちは、その祝福に感動していた。


 さっきまでの不機嫌さは今はなく、アトラは実に良い気分だった。

 アトラは歌うのが好きで聞いた人はアトラを称える、素晴らしい事だと思う。

 だがしかし、こんな風にも思う。

 いくらアトラの歌が響き渡っても、それは海とそれに面した場所だけだ。

 人が住む世界はもっと広い、きっと自分の歌を聞くことなくその短い命を終える不幸な人はいっぱいいるのだと、アトラは嘆いた。

「そうだわ! 陸に上がればいいのよ! そうすればもっと多くの人が、このアトラちゃんの歌を聞けるはずよ!」

 幸い人魚族は水中だけではなく陸でも呼吸できるので、地上でも生きていく事は出来る。

 ただ下半身が足ではない為、移動が困難なだけなのだ。

「過去には地上でも歌った人魚は大勢居たって聞いたことあるし、どうして気づかなかったのかなー」

 こうしてアトラは何の計画性もなく陸に上がることにした、地上の人々が自分の歌を待っていると心の底から信じて疑いもせず、そして自分が丁重に扱われる事は当然だと信じて。


 そして翌朝、アトラはローシャの港へ辿り着いた。

「よっと⋯⋯と」

 海から飛び出したアトラは両手で着地し器用に逆立ちで移動する、しかしすぐ疲れた。

「あーやってらんないわこんなの、それにこんなみっともない姿を、見せるわけにもいかないし」

 そしてアトラは気づく、すぐ近くに二台の幌馬車が止まっているのを。

「よし、これに乗せてもらおう」

 そしてそのまま、逆立ちの姿勢のまま、腕の力だけで馬車に飛び乗る。

「くんくん、新鮮な水の匂い⋯⋯これね!」

 それは旅に備えて馬車に積まれた水樽だった。

 その蓋を開け、アトラは飛び込む。

「あー快適快適、気が利いているじゃない」

 そして内側からふたを閉め、そのまま眠ってしまった。


 しばらくすると数名の人が馬車の周りに集まり始めた。

「ここを出たらもう簡単には戻れないぜ、本当にいいんだな?」

「はい!」

「よし! 出発だー!」

 そして馬車は動き始めた、眠っているアトラを乗せたままで。

 街を出る馬車は一応検閲される、しかしこの馬車の持ち主は名誉と地位があるSランク冒険者だった為、大して調べもせずに街を出る事を許されてしまったのだ。

 街を出て数時間経ち目的地まではまだ数日かかる、そのため無理をせずいったん止まり野営の支度をする。

「食事の準備なら手伝います! こう見えて家事は得意なんです!」

 元気な少女の声が聞こえる、そしてアトラの意識が覚醒し始める。

「そうか、なら手伝ってくれ! 水はそっちの樽を使ってくれ」

 馬車に複数個の水樽を積載する際は均等に使うのがコツである、その方が馬車の車軸への負担が分散される、熟練冒険者ならではの知恵だった。

 しかしそのせいで今まで開けられていなかった水樽を、今その少女が開いて中を覗き込んだ。

「――ぎゃーーーー! 人が死んでる!」

 樽の蓋を落とし腰を抜かした少女に、他の人間たちも集まり始めた。

「何だ! 何があった!」

 カタカタと震える指を刺す先に、その水樽から這い出てきたモノに全員あっけにとられる。

 腰まで伸ばした緑色の髪の毛、そして藍玉アクアマリンを連想させる瞳、そしてその下半身の尾ひれ⋯⋯

「に⋯⋯人魚だ!」

「な⋯⋯何で此処に人魚がいるんだよ!」

 一同パニックになった。

「あんた達うるさいわね! アトラちゃんが可愛いからまあ仕方がないんだけどね」

 そして次第に全員この異常事態を受け入れ始める。

「最悪だ⋯⋯」

「なんてこった」

「あんたたち元気ないわね! そうだわ私の歌を聞きなさいよ、そうすれば――」

「やかましい! 黙ってろ!」

「こっちはそれどころじゃねえんだよ!」

 ぞんざいに扱われたアトラは怒りだす。

「何よ! このアトラちゃんの歌が聞けないっていうの!」

 目の前でとんでもないことが起こったのを、ただボーゼンとドワーフ族の少女ナロンは、見つめていたのだった。

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