第42話
立ち尽くして口をパクパクとさせている浅野さんに、複雑な表情で立ち尽くす石田さん。
そして、ただならない関係がありそうだと感じ取った母さんは苦笑いをしながら静かに立ち上がる。
「あ……し、知り合いだったんだ。わ、私は風呂に入ってこよっかなぁ……」
母さんは気まずそうにそう言って逃げるようにリビングから出ていく。
母さんがこの空気の原因ではないのだから、リビングにいる人が三人になっても空気の悪さは払拭されない。
石田さんの声はサクラちゃんの声そのもの。毎日のように聞いていた声だから間違いない。それに石田さんと浅野さんは知り合いみたいだ。二つの要因が重なる人はほとんどいない。石田さんが九十九サクラの中の人である事はほぼ確定だろう。
気になるのは、何故か二人共目を合わせようとしない事。配信での絡みはあまりないが、裏では仲が良さそうだったので険悪なこの空気は意外だ。喧嘩でもしたのだろうか。
「あ……えぇと……さ、咲良、ちょっと外で話せるかな?」
最初に口を開いたのは浅野さん。
「あ……う、うん」
石田さんもコクリと頷くと、二人でリビング直結のバルコニーへ出ていき、二人で椅子に腰掛けた。
ご丁寧にバルコニーとリビングを隔てる掃き出し窓を締め切って出ていったので、俺には何を話しているのかは分からない。
ソファに腰掛けてガラス越しに二人の背中を眺める。
石田さんは浅野さんに比べてやや小柄。どんな人なのだろうとあれこれ想像はしていたものの、意外に地味な人だったのは想定外だった。vHolicのメンバーは浅野さんを始め、菊乃も撫子も現実で目立つ方だし、言葉を選ばなければ美人しかいない。
それを基準にすると石田さんは良くも悪くも普通の人。そもそも髪の毛で顔が隠れていて良く分からないだけかもしれないが。
数分くらい経った頃、二人でリビングを振り返ってきた。
浅野さんはニカッと俺を見て笑顔になる。石田さんは少しおどおどしながら頭を下げてくる。
どっちのテンションに合わせれば良いのか分からないのだが、そんな少し固い石田さんに浅野さんが抱きつく。
「わっ! や、やめ……ださい!」
「えー、いい……かぁ」
はしゃいでいるからか、ガラス越しに二人の会話が途切れ途切れに聞こえるようになった。会った瞬間とは違い、かなり仲が良くなっているように見える。
真面目な話は終わったようなので、俺も掃き出し窓を開けてバルコニーに出る。
夏の夜らしい、ムンムンとした熱気とジリジリと虫の音が聞こえる。
「話、終わったのか?」
「うん! ここ、座る?」
浅野さんが石田さんとの間を空けて、椅子の真ん中に誘ってくる。
「そっ……そこは恐れ多いかな。それに暑いだろ」
背中にはリビングから漏れ出た冷気が当たっていて、一秒でも早く室内に戻りたくなってくる。
「わ、私も……暑いので中に戻りますね」
石田さんはそう言って立ち上がり、一人でリビングに戻ってソファに腰掛けた。
そうなったらそうなったで浅野さんが動かないと俺一人ではリビングに戻りづらい。
「あのさ――」
「中、入ってていいよ。外暑いよね」
石田さんってサクラちゃんなのか、と尋ねようとした瞬間、浅野さんは俺に顔を見せないように逸しながらそう言う。
「あ……うん」
バルコニーにも居場所はなさそうなのでリビングに戻る。
石田さんはチラチラと俺の方を見てくるも、何も話そうとしない。現実で会うとなんだか不思議な感じがする。
「あ……あの……始めまして……っていうのも違いますね」
恐る恐る話しかけてみた。
「あっ……はい。始めましてぇ……では……ないです、もんね」
石田さんも俯いたまま探り探りに返してくる。
「そっ、そうですね。そういえばうちの母さんと知り合いだったんですね。教えてくれたら良かったのに」
「あっ……すみませんでした。彰子さんにはお世話になってるんですけど、えぇと……息子さんの話はあまりしなかったので」
「む……息子さん? 俺のことですか?」
「あっ、そ、そうですそうです! きっ、緊張しちゃって……えへへ……」
石田さんは頬をかきながら下を向いて一人で笑う。
この人は現実ではかなりのコミュ障なタイプなのかもしれない。俺もなかなか人と交わるのは苦手だけど、石田さんは俺以上の逸材みたいだ。
あまりジロジロと見るのも悪いし変に緊張させてしまうようなので、石田さんに背中を向けて座る。
「この方が話しやすいですか?」
「あ……そうですね。少し楽です。ありがとうございます」
これまでよりもスムーズに会話が成り立つ。よほど人の視線が苦手らしい。
ちょっと前までは毎晩のように色んな話をしていたはずなのに、いざ会うと話ができない。
自分の不甲斐なさや、もどかしさを感じていると、ガラガラと掃き出し窓を開けて浅野さんが戻ってきた。
「やっほ。咲良、広臣君。仲良くなった?」
俯いている石田さんと彼女に背中を向けて座っている俺のどこを見れば仲良しと言えるのだろう。
「まぁ……緊張するかな」
「その様子だともう気づいたみたいだね。広臣君、咲良がサクラなんだ! こんな形で会うとは思わなかったねぇ」
浅野さんが石田さんを後ろから抱きしめながら、自分事のようにドヤ顔でそう告げる。
「名前が咲良でサクラってややこしいな……」
「そこっ!? もっと喜びなよぉ。憧れのサクラだよ? 目の前にいるんだよ? 私がアイリスだって言ったときの方が驚いてるじゃんか」
「いやまぁ……そりゃ驚いたけど、二人で話してる間に心の準備ができたというか……」
「ふぅん……ま、そういうものかもね」
そこから会話は広がらず、また沈黙が続く。
そういえばまだサクラちゃんに本人用のオリジナル曲をきちんと聞かせて感想をもらってなかった。
ヘッドホンを取り出し、携帯と接続する。
「そ、そうだ! サクラちゃ……石田さん。俺、サクラちゃんのために曲を書いてるんです。聞いてみてもらえませんか?」
「え……あ……は、はい」
石田さんは少し手を震わせながら受け取り、ヘッドホンをつける。
曲を流し始めると、いきなり音が流れて驚いたのかビクっと震えている。
それでもずっと真剣な目で聞き込んでくれる。
一曲を流し終わると、石田さんは「ふぅ」と一息ついてからヘッドホンを外す。
「あ、あの……すごく良かったですよ」
石田さんは笑顔で感想を伝えてくれる。
「ほ、ほんとうですか!? やった!」
憧れのサクラちゃんに直接曲を聞いてもらって感想まで貰えた。しかもそれが肯定的なもの。あまりの嬉しさに石田さんの手を握ってブンブンと振り回す。
「ひ、ひっ! あっ……あのあの……えぇと……お、おやすみなさい!」
石田さんは俺の手を振り払うと、そのままリビングから逃げるように走り去る。
何が起こったのか分からず、説明を求めるように浅野さんを見ると、呆れたような表情でため息を一つ。
「広臣君、押し過ぎは良くないよ。咲良はああ見えて繊細なコミュ障だからね。接しやすい彩芽ちゃんとは違うのさ」
「わっ……わかるけど……つい……興奮しちゃってな」
浅野さんは「仕方ないね」と言って穏やかに笑う。
「ま、咲良には私からフォローしておくね。私の手も急に握って振り回してくれてもいいんだよ?」
「あ……け、検討しとくよ」
「検討してる暇があったら、ほらほら! こうだよ!」
浅野さんは自ら俺の手を握り、肩が外れそうになるほどブンブンと上下に振る。
「アハハハ! 楽しいねぇ」
浅野さんの気が済むまでリビングで踊ったり映画を見たりしているうち、気づけば石田さんに手を振り払われたショックも少しだけ癒えていたのだった。
◆
ホテルと何が違うのかと驚くくらいに立派なベッドルームを一人で占領しても、やることはいつもと変わらず作曲作業。パソコン一台でも出来ることは無限にあるので一向に手が止まらない。
浅野さんには配信から離れてデジタルデトックスだと言っていたのに自分がこのザマである。
椅子を引いて伸びをすると、携帯に浅野さんから電話がかかってきた。
「もしもし? すぐそこにいるなら話に来ればいいだろ」
「あ……すみません。ご迷惑でしたか?」
その声はサクラちゃん、というか石田さん。話し方がスムーズなのでサクラちゃんと話している気分だ。何故か浅野さんの携帯からかけてきている。
「えっ……あっ……あ、浅野さんだと思ってたので……」
「フフッ。彩芽、呼んでますよ」
サクラちゃんが携帯を浅野さんに近づけているようで、少し間が空く。
「え? 何々?」
遠くから浅野さんの声がする。やや間があってまたサクラちゃんが話し始める。
「それで、お電話したのは先程のことを謝りたくて」
「あ……えぇと……俺の方こそすみません。サクラちゃん……石田さんに会えたのが嬉しくて」
「フフッ。それだけ私のことが好きってことですね。嬉しいです」
「あっ、あの……その……それはずっと前から……」
「私も広臣さんにお会いできてすごく嬉しかったですよ。やっと会えましたね。まさか今日だとは夢にも思ってなかったですけど、待ち遠しかったです」
「あ……えぇと……」
「それでは、おやすみなさぁい」
サクラちゃんは上機嫌な様子で一方的に話して電話を切る。
さっきのことは本当に気にしていないみたいだ。コミュ障すぎるだけなのだろう。
「会えて嬉しい……まじかよ……」
サクラちゃんのその言葉がずっと頭の中で反芻する。
布団に入ってもなかなか寝付けず、モゾモゾとサクラちゃんの声を思い出しながら寝返りを打ち続けるのだった。
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