第41話

「広臣君、鮭と梅どっちがいい?」


 電車で隣の席に座っている浅野さんが尋ねてくる。


「あれ? おかかは無いのか?」


「買ってないよぉ。そういえばまだ広臣君と好きなおにぎりの具について熱く語り合ってなかったね」


「どれだけ話題がなくなったら、それで熱く語り合えるんだよ……」


「アンタら、本当に仲良しだねぇ。それで付き合ってないって本当なの? 男女の友情が存在することの証明なのか、我が愚息の甲斐性がないのか……」


 対面の席に座って俺たちを半ば呆れた顔で見ているのは俺の母さん。


 数週間前、浅野さんは配信を休んで好きなことをして夏休みをエンジョイする決意を固めた。


 そこからの動きは素早く、撫子から無理やり盆休み明けの一週間休みをもぎ取ると、両親からの旅行の許可も取り付けた。


 旅のお供は俺。他に誘いやすい人がいなかったらしいので、渋々承諾した。


 だが、さすがに高校生の男女二人で遠方への泊まりの旅行は許可できないということで、うちの母さんがボイトレ合宿という建前で引率することになった。


 実際はほとんどトレーニングはせずに自由行動ばかりの予定なので旅行は旅行だ。


 俺はといえば、作曲が積まれているので移動中もヘッドホンを首から下げて作業だ。


 誰かに泣きながら土下座すれば減るのかもしれないが、生活の一部になってしまっているので今更減らすとペースが乱れそうで出来ないのが辛いところ。


 浅野さんが無言で携帯を見始めたので、ヘッドホンを頭につけて作業に移る。


「こんな時にまで仕事だなんて……本当に誰に似たんだか」


 片耳のヘッドホンをずらして音をチェックしていると、母さんがそんなことを言った。


「でも真剣に取り組んでる顔って素敵じゃないですか?」


「彩芽ちゃん、分かってるわねぇ。私もこのオタクの父親に惚れたのはこういう作業中の顔なのよ。そこだけは父親に似てるから憎めないのよねぇ」


 母さんがニヤニヤと気持ち悪い微笑みで俺の方を見てくる。


「分かります! 良いですよねぇ……」


 同じ顔で浅野さんも俺の方を見てくる。レッスンでちょくちょく顔を合わせるからか、浅野さんと母さんはやけに仲良くなっている。


 明らかに浅野さんは茶化す目的なので無視してヘッドホンで外界の音を遮断すると、二人は俺から興味を無くしたようで大笑いをしながら話を始めた。


 ◆


 旅先は熱海。母さんの知り合いが持っている別荘が格安で借りられたらしい。浅野さんは温泉があればどこでも良いと言ったので旅先は簡単に決まった。


 電車が到着すると、改札を飛び出して早速駅前の足湯に行き、足を浸す。


 隣ではショートパンツにサンダルと足湯のための準備もバッチリだった浅野さんがサンダルを脱ぎ捨てると勢いよく足をつけている。


「ふぅ……生き返りますなぁ……」


「今日はまだ座ってただけだろ」


「あはは……まぁそうだけどさぁ……こうやって何も考えずにダラダラ出来るのは良いねぇ。久しぶりだよ」


 足湯の中でバタ足をした結果出来た波紋をぼーっと眺める浅野さんは、言葉とは裏腹にどうもまだ配信の事が頭から離れきっていないようだ。


 足湯に入るなり、携帯を取り出して何かを確認している。電車でもそうだったが、ちまちまと携帯を見ているのはアイリスのSNSアカウントだったり、撫子からの連絡だったりするのだろう。


「もう電源切ったらどうだ? デジタルデトックスだよ」


「で……デジタルデラックス?」


 浅野さんが頭を傾げる。


「要はスマホ断ちだな。どうせ連絡も来ないんだし切ってもいいだろ」


「あはは……そうなんだけどさぁ……あ! じゃあさ広臣に言われてみたいな。『スマホなんて見ずに、俺だけを見てろよ』ってさ」


 浅野さんの急なイケボに何故か俺のほうがドキッとさせられてしまう。


「恥ずかしいだろ……」


「じゃ、いいんだ? 私がこのままスマホ中毒のSNSジャンキーの承認欲求マシマシになっちゃってもさ」


「自分で言ってるうちは大丈夫だろうな……」


 会話はそこで途切れるも、浅野さんは尚も諦めないようで、イケボで言ったセリフを復唱しろとばかりに無言でニコニコしながら俺を見てくる。


「いっ……言わないぞ」


 そう強がってみたものの、浅野さんは更に無言で圧力を強めてくる。上目遣いで見つめ、パチパチと瞬きをすれば大体の言うことは聞いてもらえると思っているらしい。実際、至近距離でやられると心が揺らいでくる。


「おっ……おうっ……お、俺だけ見てろよ!」


「アッヒャッハ! 良いね良いね! 意外と悪くなかったよ!」


「そんな笑うなよ……」


「ま、壁ドンと一緒にやられたらかなりキュンキュンするかもね」


 浅野さんは舌を出して俺を挑発するようにそんなことをいうので、旅行中のどこかで壁ドンでやり返すことは確定した。


「でも、スマホ断ちはいいアイディアだね」


 そう言って浅野さんは自分のスマホを取り出し、電源ボタンを長押ししてシャットダウンする様子を見せてくる。完全に画面が暗転すると、大きく息を吐いてニッコリと笑う。


「広臣君も、ほらほら!」


 俺のポケットから勝手にスマホを取り出して電源ボタンを長押しし始める。


 画面が暗転する様子を凝視していた浅野さんは、俺の携帯の電源が切れると顔を上げて、もう一度にやりと笑う。


「広臣、俺のことだけ見てろよ」


 本日二回目の浅野さんのイケボ。


「あ……はい」


 完全に俺の中の雌が目覚めてしまい、裏声でそんな返事をしてしまった。


 浅野さんは俺の様子を見て腹を抱えて笑っている。


 それだけ笑えるならもうデジタルデトックスも成功だろう、と浅野さんが元気になった事に喜びを覚える。


「広臣、彩芽ちゃん。私は先に行って酒でも飲んでるわ。宿泊先の住所はラインで送っといたから」


 足湯から少し離れたところから母さんが話しかけてきた。


「私達、デジタルデトックスしてるんです」


 浅野さんがニヤリと笑って俺を一瞥してから母さんに言う。流石に旅行中ずっととはいかず、夕方になったら携帯の電源を入れることになりそうだ。


「また変なことしてんだね。ま、いいけどさ。あ、そうそう。特別ゲストが来るから、あんま遅くなんないでね」


「ゲスト?」


 俺と浅野さんが同時に尋ねる。聞いていない話だ。


「二人が知らない人だから言ってもわかんないけどね。とりあえず遅くならなきゃそれでいいよ」


「分かったよ。酒のんで引率は放棄だけどいいのか?」


「その方がアンタらも都合がいいでしょ? オバサンが後ろをついてくるデートなんて気まずいったらないよね」


 カッカッカと豪快に笑うと母さんはそのままタクシーに乗って行ってしまった。


「ゲスト……誰だろうねぇ」


 浅野さんは心当たりがないらしい。俺が浅野さんを驚かせるために何かサプライズを仕込んでいるんじゃないかと言いたいらしいが、俺にも心当たりはない。


「誰だろうな……」


 浅野さんはまだ俺が何かを隠していると思っているようで「ふぅん」と言って足湯から白い脚を抜く。


 膝を立ててタオルで脚を拭いている浅野さんを見ていると、やけに胸のあたりがドクドクとしてくる。


 俺の視線に気づいたのか、浅野さんがこっちに顔を向ける。


「ん? どうしたの? 顔赤いよ」


「あっ……いや……なんでも……」


「そろそろ行こっか。どうぞ」


 浅野さんが自分の脚を拭いたばかりのタオルを渡してくる。


 受け取ろうとしたのだが、手が滑って受け取り損ない、そのまま足湯へタオルがダイブ。


「もう……どうしたの? なんか変だよ」


 浅野さんは笑いながらタオルを拾い、絞って再度渡してくれる。


「あ、ありがとう。へっ、変かな?」


 変なのは自分が一番良くわかっている。今更、浅野さんと二人でお泊まりデートに来たことのヤバさを自覚してドキドキしてくる。


「変だね。ダネダネ〜」


 浅野さんが濁声で茶化すように湯を手ですくって俺にかけてくる。


「ちょ……やめろよ」


「アハハ! おいてっちゃうよ! いこいこ!」


 浅野さんはサンダルを履くと俺を手招きしながら一人でバス停の方へ向かっていく。


 必死に母さんの顔を思い浮かべ、浅野さんと二人ではないと自分に言い聞かせながら、バス停に向かった。


 ◆


 昼間は浅野さんと二人で観光。デジタルデトックスなので道案内にも携帯を使わない優雅で不便な時間を過ごして、タクシーで宿泊場所へ向かった。旅館のような車寄せにタクシーが停車する。


「で……でかっ!」


 タクシーを先に降りた浅野さんが開口一番に叫ぶ。


「これは……すごいな……」


 俺もタクシーを降りて、目的地の建物を見ると開いた口が塞がらなくなった。


 そもそも車寄せがあった時点で普通の住宅ではないのはそうなのだが、温泉旅館と相違ないオレンジの照明が炊かれた入口は明らかに金持ちのそれだ。


 知り合いの正体は知らないが、芸能関係の著名人とかなのかもしれない。


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。林と申します」


 ビシッとスーツで決めた使用人のような人が立っていて、俺達の荷物を受け取りにやってくる。


 ドギマギしながら荷物を渡して、中へ案内される。


「これだけで十分にサプライズだね……」


 浅野さんも若干の緊張を漂わせながら隣を歩いている。


「広臣君の家とどっちが広いのかな?」


 廊下を歩きながら浅野さんが尋ねてくる。


「こっちかな……そもそもうちにあんな人はいないからな。ただの掃除のおばちゃんだけだよ」


 数歩先を行く林さんのような執事はさすがにいない。


「こちらでございます」


 林さんが扉の前で立ち止まり、扉を開けてくれる。


「彰子様、お二人が到着されました」


「あーはいはい。ありがとー。じゃ、もう後は私達でやっとくから帰っていいわよ」


「かしこまりました」


 プロの執事は母さんの雑な対応にも眉一つ動かさず、にこやかに対応してリビングから出ていく。


 バカでかいリビングは全てが平ら。横にいくらでも広げられるのだから、縦に広げる必要はない、とばかりにデカデカとソファやテーブルが並べられている。


 母さんの隣で背筋を伸ばして座っている人は見覚えがない。その人が俺たちの方を向く。


 多分、年は同じくらい。艶々の黒髪は伸ばしっぱなしなのか、前髪も片目が隠れるまで伸び放題だ。少しだけ似た者のオーラを感じる。


「あー、この子ね。私の教え子なの。石田咲良(いしだ さくら)。仲良くしてあげてね」


 母さんがそう紹介すると、石田さんも頭を下げる。


「石田咲良です。よろし……あっ、彩芽!?」


 石田さんが俺達、というか浅野さんを認識するなり驚いた声を出す。


「咲良!? なっ……えっ!?」


 浅野さんもうまく言葉が出ないくらいに驚いている。俺が何をしてもここまで驚きはしないだろうと思うくらいに目を見開いている。


 そして、俺も石田さんの声を聞いて動悸が止まらなくなってきた。


 石田さんの声はサクラちゃんの声と全く同じだったからだ。

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