第43話

「ふぅ〜。広臣君、咲良、こっちにおいでよぉ」


 目の前では、セレブが身に着けていそうな大きなサングラスをつけて浮き輪を使ってプールに浮かんでいる浅野さんがこっちを見て呼び込んでくる。


 俺と石田さんはパラソルの下でデッキチェアに寝転び、これ以上の活動は不要とばかりに最低限の夏を感じている。


 屋敷の敷地には当然のようにプールがあった。浅野さんはどこかからスクール水着を調達すると三人でプールに行くと宣言したのだ。


 学校の授業で使うような競泳用のプールに比べればさすがに小さいものの、風呂と言われると大きすぎる。さすがにプールというだけあって泳ぐには十分な広さが確保されている。


 林さんが必死に膨らませてくれたシャチ型の浮き輪も寂しそうにプールを漂っている。


「疲れるから……ここで座ってますね」


 石田さんは水着は着ていないようで、真っ黒なパーカーに半ズボン。薄手だが長袖のパーカーは見ているだけで暑苦しさを覚える。


「俺も同じだな」


 一応水着は着てきたものの、陰キャ体質が俺と石田さんで似ているようで、一人でプールに飛び込みはしゃいでいる浅野さんを横目にデッキチェアに寝転んでみると石田さんもそそくさと隣に寝転んできた。


 浅野さんと二人なら無理やりプールに連れ込まれてしまうのだろうが、今回は二対一でこちらに分がある。なので今日は椅子で粘ってみることにした。


「ま、いいよいいよ。私は一人で楽しんでるからさ。後でプールで遊びたくなっても私は付き合わないからね」


 子供っぽい態度で浅野さんは仰向きに浮き、一人でプールの中を漂いだした。


 その様子の幼さとスクール水着から、浅野さんが小学生くらいに見えてくる。


「彩芽ちゃん、一人遊びができてえらいでちゅね」


 誰に聞かせるでもなく一人でぼそっと毒づくように呟くと、隣からブフッと吹き出すような音が聞こえた。


 音のした方を見ると、石田さんがお腹を抑えて震えている。


「だ……大丈夫ですか?」


「はっ……はひ……フフフ……お、お腹……大丈夫ですっ、から」


 石田さんは耐えるように不気味に笑いながらもサムズアップで問題ないことを伝えてくる。


 困惑していると、石田さんは自分のほっぺたを挟むように叩いて気付けをする。


「フフッ……つ、ツボっただけです……」


「あ……そうですか」


「あ……フフッ……彩芽って……本当可愛いですよね。子供っぽいところとか」


 まだジワジワと笑いがこみ上げてくるようで、片手で口元を隠しながら笑っている。


「まぁ……そうですね」


 二人で話していると浅野さんがプールから顔だけを覗かせる。


「あ! 二人で内緒話だね。ちゃんと聞こえてるよ!」


「違いますよ。彩芽ちゃんは一人で遊べてえらいねぇ、って話です」


「えへへ、私えらいよねぇ……って騙されるわけないから!」


 浅野さんは頬を膨らませてノリツッコミをすると、大がかりな水鉄砲でプールから狙撃してくる。


 椅子に座っていただけなのでほんの少しも濡れていなかったのだが、浅野さんの射撃でずぶ濡れ。隣の石田さんも「もう……」と少しご立腹気味だ。


「どう? 君達も濡れたんだしこっち側に来てみないかい?」


「濡らされた、の間違いだな」


「あはは……細かいことは気にせずさ。折角の夏! 貸し切りプール! 飛び込まなきゃ損だよ!」


 夏は陽キャ思考とのズレを大きく感じる季節らしい。


「俺達はインドアなんだよ。プールに入らなきゃ損って感覚がないんだな」


「そうですそうです」


 石田さんも俺に同調してくれる。


「広臣君、咲良が味方になったからって強気だね。前はどこでも付き合ってくれたのにさ。人はあっちゅう間に変わっちまうんだなぁ……」


 変な訛で浅野さんがぼやく。


「俺は元々こうだぞ。前も無理して合わせてたとかじゃないけどな。とにかく満足したら涼しい部屋に早く戻ろうぜ」


「そういうことなら何だかんだでそこから観てくれてるだけ優しいのかもね。あ、もしかして私のスク水目当て?」


 浅野さんが茶化すように聞いてくる。


「ばっ……そ、そんなんじゃねえよ!」


「図星? 顔が赤いなぁ」


 石田さんをちらりと見ると、若干引き気味な目を俺に向けている。


 このままでは石田さんが浅野さん側に取り込まれかねない。


「とにかく、遊びたいだけ遊べよな」


「うーん……一人じゃやれることも限られてきたんだよねぇ……」


「じゃ満足したのか?」


「ううん! 全然!」


 浅野さんはサイコパスのような笑顔で答える。


 要するに俺か石田さんがプールに入らない限り、浅野さんの欲求が満たされることはないのだ。


「石田さん、呼ばれてますよ」


「へっ!? わ、私ですか? いやぁ……私はその……泳げないですし……それに水着も着てないので……」


「へーきへーき! 替えの下着なら後で貸すからさぁ。咲良もおいでよぉ」


「じっ、自分の替えがあります!」


「うーん……ふたりとも手強いなぁ……あ……あたたた……あ、足攣った! 広臣君、助けてぇ」


 浅野さんの棒読み演技が始まる。


 これに乗っかって近づけばあの手この手で入水させられるのは確実だ。


「なら早く上がれよ。プールサイドにしがみついてる今がチャンスだぞ」


「わっ……わたしの夏休み……やりたいことが出来ないまま……心残りができたまま……終わるんだ。ま、仕方ないか、うん。そうだよね」


 俺の忠告も聞かずに、浅野さんは今度は同情で誘い出す作戦にしたらしい。


 浅野さんの本来やりたかった夏休みは陽キャ友達と遊ぶことだろう。生駒さん、堀尾さん、中村さん。あの三人の代役を俺が務めないとそもそも一緒に旅行に来た意味も薄れてしまう。ある程度は浅野さんに合わせるのも必要だと思ってきた。


「分かったよ。その代わり石田さんは免除な」


「まるで罰ゲームみたいな扱いだね……」


「陰キャにとっちゃ罰ゲームみたいなもんだよ」


 浅野さんは可哀想なものを見る目で俺を見てくる。その視線に耐えながら入水。


 ひんやりとして気持ち良いと思ってしまったのだが、それを口に出すと浅野さんに「ほれ見たことか」と言われそうなので渋々入る体を装う。


 胸のあたりまで浸かったところで、浅野さんは手で水を掬い俺の顔にかけてきた。


「わっ! いきなりかよ……」


 浅野さんはワハハと笑ってプールの中心に逃げていく。追いかけるように水をかき分けて進むうち、浅野さんの術中にはまってプールで遊んでしまっていることに気づくも後の祭り。


 結局浅野さんのペースに巻き込まれ、プールではしゃぐ羽目になってしまった。


 ◆


 ボールや水鉄砲なんかの小道具で遊んでいると、手がシワシワになっていた。結構な時間が経っていたらしい。少し前に椅子を見ると石田さんはいなくなっていたので、さすがに室内に戻ったようだ。


 そろそろ帰るか浅野さんに聞こうとした瞬間、背後から声がする。


「うわっ、た、助けて……」


 サクラちゃんの声がしたので脊髄反射で振り向くと、なぜか石田さんがプールに入って俺たちの方を目指してきていた。


 ただ、泳げないというのは本当だったようで、小柄な石田さんに若干深めなプールの底に足をつけながら歩くのはかなり難しいみたいだ。


「ちょ……大丈夫ですか!」


 慌てて石田さんの方に泳いで近づく。


 抱きとめるように支えると、石田さんは顔を上に向けて息を吸い始めた。


「なっ……何してるんですか?」


「あ……その……楽しそうだったので、混ざりたくて……ありがとうございます」


「大丈夫ですよ。怪我とかないですか?」


「はい。あ……その……少しだけ離れてもらってもいいですか? 濡れるのが嫌で下着をつけてなくて……」


 石田さんを支えるために必死だったので気づいていなかったが、パーカー越しにグニュグニュとした柔らかい感触を実感し始める。下着をつけていない。つまり直に胸があたっている。


 圧倒的な質感。前に浅野さんが


「あ! ご、ごめんなさい! 離れます! 離れますから!」


「なになに? 広臣君、どうしたの?」


「あ……いや……何でもないよ」


「ふぅん……咲良、ごめんね。壁際で遊ぼっか。三人でさ。歩ける?」


「はい! 落ち着いたらそんなに深くないですね。いけます!」


 石田さんはさっきよりはしっかりとした足取りで戻っていく。


「浅野さん、ボールとか手分けして片付けるか」


「え? あ、うん。そうだね」


 浅野さんは何か考え事をしていたようで、話しかけられるとハッとした様子で俺を見てくる。


「どうしたんだ?」


「いやぁ……サクラの背中は遠いなぁと思いましてね」


「そんなに離れてないだろ。すぐそこにいるぞ」


 丁度プールサイドから上がろうとしているところだった石田さんを見る。半ズボンがピッタリと張り付いていて、石田さんの下着をつけていない発言を思い出し顔を逸らす。上だけじゃなく下もだったらしい。


「ま、意味深発言ってことで。結構頑張ってると思ってたけどなぁ」


「だからどうしたんだよ。配信のことは忘れるって約束だろ?」


「忘れてるよ。だから他の事ばっかり考えちゃうんだよね」


 浅野さんは言葉とは裏腹に心底嬉しそうにはにかんでいる。楽しい考え事ならいいのだろうけど少し気になる。


「他の事?」


「んー……恋っていうのは楽しいものだね。うん、楽しいよ。あ! 咲良! お尻見えてるよ! 広臣君はこれで視界を隠すこと! じゃ!」


 頭につけていたサングラスを俺にかけると浅野さんはクロールで石田さんの方へ寄っていく。サングラス越しなので石田さんの尻はよく見えない。


「あ……浅野さん、好きな人いたのかよ……」


 別にショックではない。ショックではないはずなのに、なぜだかとても寂しい気持ちになりながら浅野さんの背中を遠く感じてしまうのだった。

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