第39話

 花火大会の会場に到着した。右からも左からも人が行き交っている。


「うひゃあ……すっごい人だねぇ」


「そうだよなぁ……」


「そういえば広臣君、こういうの好きじゃないんだよね? ごめんよぉ……」


「あー……いや、まぁ、普通だな」


 本音を言えば嫌いだ。だが、この場でそんなことを言って雰囲気を壊すのも悪いので人混みへの好感度はニュートラルを装う。


「とにかく、さっさと買い出しを終わらせちゃおうか。私は綿菓子と焼きそばとフランクフルトと……溶けちゃうからかき氷は最後に合流してから買おうか。広臣君は焼き鳥と……後は何か好きなもの買ってきてね!」


「一気にそんなに食うのかよ……」


「ま、色々とね。十分後に集合が目標かな」


「はいよ。じゃあ――」


 買い物に行こうとした矢先、誰かに背後から肩を組まれる。ふわっといい匂いがするので女性だろうか。


「おう、広臣、彩芽。デートか? 花火が終わったらラブホは埋まるから早めに行けよ」


 一発目から下品なジョークをかましてくる知り合いに心当たりは一人しかいない。


「菊乃さん……何でここにいるんですか……」


 肩を組んできたのは菊乃。それに浅野さんを囲うように撫子と美羽もいた。全員浴衣を着ているのでやはりいつもスタジオで会うときと雰囲気はまるで違う。


 それに浅野さんと並ぶと、浴衣の似合い方からしてなんだかんだで大人の女性なのだと思い知らされる。


「スタジオでも微妙に花火の音が乗っちゃうので、折角ならばと見ることにしたんですよ。昨日、誰かさんが配信でポカをしてくれましたからね。危うく居住圏が割れるところでした」


「あはは……スミマセン」


 撫子が言っているのは昨日のサクラちゃんの配信のことだろう。それに対してなぜか浅野さんが謝っている。


「ん? 昨日のサクラちゃんの配信の事だよな? なんで浅野さんが謝るんだ?」


「あー……わ、私も配信してたんだ! ちょっとだけ、スペースでお話してたんだよね。それで花火の音が乗っちゃったの!」


 今日一番にあたふたとしながら浅野さんがそう言うのでなるほど、と納得する。タイムラインで見かけた記憶はないので本当に一瞬だけで、アーカイブも消したのだろう。


「ほらほら! 急がないと始まっちゃうよ! 広臣君、いこいこ!」


 三人から余計な追撃を受ける前に逃げようと、浅野さんに手を引かれ屋台の連なるエリアへ連れて行かれる。


 そのままギリギリ横に並んで歩けるくらいの人混みをズンズンと進んでいく。


 何やらおかしな様子だったのは一瞬だけで、焼きそばの屋台の前に来ると「じゃ、後でね」と手を振って浅野さんは列に並ぶ。違和感を覚えつつも俺も焼き鳥の屋台に向かった。


 ◆


「ふぅ……そろそろ始まっちゃうかな?」


「どうだろうな……」


 屋台での買い出しを済ませた俺達はかき氷の屋台の前で合流。他の食べ物の量を鑑みて一つだけ買うと、浅野さんが穴場へ案内すると言って会場を後にした。


 道のりとしては会場から遠ざかっているのだが、どこへ行くのだろう。


「これ……何処に行くんだ?」


「フフン。秘密だよ。あ、かき氷食べる?」


 今は俺が両手で荷物を持ち、浅野さんがかき氷を食べるターンだ。氷の塊に赤と青色のスプーン型のストローが突き刺さっている。赤色が俺、青色が浅野さんのスプーンだ。


 まず片手に持っていた荷物を渡そうとすると、浅野さんはその場で立ち止まり、顔を傾げる。


「いや……両手が塞がってるだろ。受け取ってくれよ」


 浅野さんはこれを狙っていたかのようにニィと笑う。


「両手が空いてないなら仕方ないね。じゃあ私が食べさせてあげるよ」


 嫌な予感は的中。まだ会場からそんなに離れていないので行き交う人もそれなりにいるので、こんなところでバカップルみたいな事はしづらい。


「いっ……いや……大丈夫だよ。そのかき氷とこの荷物、交換しようぜ。いい感じに焦げ目がついた焼き鳥、濃い目にソースが絡まった焼きそば。何でもあるぞ」


 浅野さんの前で食べ物が入った袋を揺らすとゴクリと生唾を飲んだ。冷める前にちまちまとつまみはしたが、空腹が満たされるほどではなかったらしい。


「そっ……それは結構な誘惑だね……」


「ほらほら。どうす――ムグッ」


 浅野さんからペースを取り戻せそうだと思い始めた矢先に口に青色のストローが突っ込まれる。冷たい氷付きだ。


 してやったりと浅野さんはニシシと笑いながら俺の口から引き抜いたスプーンで残りを食べ始める。


 数口食べた後に浅野さんはわざとらしく自分の頭にゲンコツをする。


「か、間接キスだね……」


 白々しい浅野さんの態度に照れるわけもなく、冷たい目で見る。


「なんか……今日は空回ってるな」


「あはは……やりたいことを詰め込みすぎたかもね。ま、あとはゆっくり花火を見るだけだよ」


 浅野さんがついてこいと先に歩き始めるので隣でついていく。


「どこ行くんだ? ヒントくらいくれよ」


「うーん……『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』かな」


「わかんないな……」


 浅野さんは答えを教える気もないようで、そのまま鼻歌を歌いながら歩みを進めていった。


 ◆


「ここ……スタート地点かよ……」


 浅野さんに連れてこられたのは彼女の自宅。薄暗くなった空を見上げるように浅野さんの部屋があるであろう上層部を見るために首を直角に曲げる。


 確かに浅野さんの部屋の位置から見たら実質横から見ているようなものだろう。花火がどれくらいの高度まで上がっているのかは知らないけど。


 やけに多く食べ物を買い込んでいたのはこのためだったらしい。確かにいちいちエレベータで降りてきて買い物になんて行ってられない。


「そう! 涼しい部屋でゆったりと花火を眺める。広臣君にピッタリかなって」


「まぁ……そうかもな」


 上層階にある浅野さんの部屋からなら他の建物に邪魔されることなく花火は見えるだろう。


「浅野さんはそれでいいのか? 折角浴衣も着たんだし……」


「ん? 私は構わないよ。不特定多数に見てもらう必要はないからね」


 それはつまり、俺だけが見ていれば良いということ。今日の浅野さんはいつにも増してグイグイと押してくる。


 苦笑いを返しつつ、上がった先に浅野さんの両親がいることを期待しながらエレベータで浅野さんの部屋へ向かう。


 だが、玄関に並べられた靴は一足もなく家の中は真っ暗。明らかに誰もいない。


「お……親御さんはいないのか?」


「会場に見に行ってるんだ。だから二人っきりだよ。飲み物持ってくるから先に部屋に入ってて」


 浅野さんに導かれるまま廊下を伝って部屋に入る。部屋に入るのは二度目だが、一度目よりも緊張してしまう。


 窓から外を見ると、確かに花火がよく見えた。さっきまで音はしなかったので一発目の花火がちょうど上がったところらしい。


「ありゃりゃ。始まっちゃったね」


 浅野さんも氷の入ったボウルやジュースの載ったオボンを持って戻ってきた。


「今からみたいだぞ」


「間に合ったね。じゃ、そこ座って!」


 窓の近くに置かれているベッドに腰掛けると、浅野さんも隣に座ってくる。足が触れ合うくらいに近いのが気になるが、浅野さんは目を輝かせながら花火を見ている。


 そのまま暫くの間、買ってきた焼きそばやたこ焼きをシェアしながら黙々と花火を見ながら食べ進める。


 粗方食べ終わったところで、お腹が苦しくなったのか帯を緩めた浅野さんがポツリと呟く。


「昨日はここから一人で見てたんだ」


「そりゃ寂しいな」


「本当にそうだよぉ……でも、今日は広臣君と見てる」


「あぁ、見てるな」


「こういうの憧れだったんだよね。男の子と花火を見るの」


「浅野さんが誘ったら誰だって来てくれるだろ」


「どうかな……彩芽ちゃんって可愛過ぎるから逆に遠慮しちゃわないかな?」


「適正な自己評価だな」


 浅野さんは自身の可愛さを十二分に発揮して「えへへ」とはにかむ。


「ま、いくら可愛かろうと彼氏もいたことがない喪女ですよ。今頃、皆で満喫してるんだろうなぁ……リゾバ……」


 友人達の行っているリゾートバイト。一緒に行けばよかっただろう、なんて軽々しくは言えない。そうすると配信がほとんど出来なくなるのだから。


「ま……仕方ないよな。そこまでしてvTuberって続けないといけないのか?」


「貴重な青春を犠牲にしてるってよく菊乃にも言われるよぉ。だから……せめて……やりたいことはやりたいんだよね」


「どぅわっ!」


 花火に気を取られていたので、あっという間に浅野さんに組み伏せられる。真っ暗な部屋で花火の光が定期的に浅野さんを背後から照らしている。


 食べ過ぎで緩められた帯は浴衣を固定することを諦め、だらんと前が開きかけていて、ちらりと下着も顔をのぞかせている。


 やりたいことはヤりたいことだったのか、なんて馬鹿なことを考えている間にも浅野さんの顔はみるみると近づいてきていた。

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