第35話

 テスト当日、夏真っ盛りだというのにブルブルと震えながらマスクをつけて登校した。向かう先は保健室。確実に風邪をひいたのだが、テストを休むと再試験で面倒なので保健室受験のために登校した。


 地下の風通しの悪いスタジオでずっとエアコンの風に当たっていたので風邪をひくのも仕方ない。あの部屋でずっと配信をしていて喉を痛めない浅野さんが凄すぎるのかもしれない。


 保健室のドアを開けると、マスクをした女子が先生と談笑していた。


「あ、広臣君! おはよ」


 マスク越しでも分かる、何度も見た顔と何度も聞いた声。浅野さんだ。


「何でここにいるんだよ……」


「あはは……どうやら理由は同じみたいだね」


 鼻を啜りながらそう言うので浅野さんも風邪を引いたらしい。どっちが感染源だとか言い出すとキリがないのだが、スタジオでシェアしてしまったのは確実だろう。


「ま、なっちまったもんは仕方ないよな。やれるだけやるか。補習になったらそん時はそん時だな」


「おぉ。男気溢れる発言! てっきり私が移したんだって言われると思ってたよぉ」


「そんなネチネチした性格じゃないだろ」


「だよね。広臣君が陰サイドなのは対人関係だけだよね。良く分かってきたよ」


「そりゃ陽キャの王から見たらそうだろうよ」


 浅野さんと冗談を言い合っていると保健室の先生が割って入る。


「二人共、元気なら教室に戻って受けていいんだよ」


 喉に影響が出ていないだけで俺も浅野さんも体調は悪い。


 二人してわざとらしい咳を出しながらカーテンで仕切られたベッドに向かった。


 ◆


 保健室受験は俺達を含めて四人。意外と体調を崩しがちな人が多いらしい。


 制限時間を残してベッドに横になり、次のテストに備える、というサイクルを四教科分繰り返して今日は終了。


 本来なら明日の残り四教科に備えて勉強したいところだが、それなりに体力を消耗したので一眠りしてから帰ることにした。


 保健室受験の四人は一様に同じ選択をしたようなので、保健室のベッドは満床。浅野さんに至っては一言も話さずにベッドになだれ込んでいったのでかなり体調が悪そうだ。


 先生がなるべく物音を立てないように書類をめくる音だけが部屋に響く。スマホで時間を見ると既にニ時過ぎ。もう一眠りして夕方に帰ろうと思い、布団を頭まで被る。


 その時、背中の方でモゾモゾとする感触があった。


 驚いて振り向くと、布団の中に誰かが入ってきていた。


「なっ……」


 マスクをしているのに更にその上から口を塞がれる。


「むぐっ……」


 布団の中でその誰かはスマホを取り出す。バックライトが眩しい。画面ではメモ帳が立ち上がっている。


『喋ると殺す』


 何ともおっかない文面が書かれていた。


「豊田君? 大丈夫?」


 保険の先生が物音に気づいたのかカーテン越しに声をかけてきた。布団の侵入者に目で尋ねると頷く。話す許可は出たらしい。


「だっ……大丈夫です!」


「そう。もう少し休んでていいからね。そこに書き置きもしてるけど、今から会議があって少しいなくなるの。何かあったら机の上にある内線で呼んでね」


「わ、分かりました」


 先生は物音を立てないように気遣っているのか、ゆっくりと扉を閉めて出ていった。


 これで侵入者と戦える準備は整った。


「何なんだ? 浅野さん」


 また口を塞がれ、携帯の画面を見せてくる。書かれているのはさっきと同じ「喋ると殺す」。こんな変なことをするのは浅野さん以外にいないだろう。


「どういうキャラだよ……」


 布団の外に漏れないくらいの声で呟く。すると、浅野さんも同じくらいの声量で返してきた。


「いやぁ……一人で寝てるのも暇でさぁ」


「テストが終わった時はかなり体調悪そうだったろ」


「一眠りしたら回復したよ。広臣君はまだ体調悪いの?」


「あぁ、すごく悪いな。このままここで死ぬかもしれない」


「それは大変だ。私がどうにかしてあげるよ」


 浅野さんは「よしよし」と言いながら頭を撫ででくれる。熱で潤んだ目とボーッとする頭によく効く声質ではあるが、より顔が熱くなる。


「もっ……もう大丈夫だって」


 恥ずかしいので手を振り払うと浅野さんの目が笑う。


「お、良くなってよかったよ。魔法は使ったつもりはないんだけどなぁ」


「使えるのかよ……」


「あはは……ふぅ、それにしてもこの中すごく熱いね。ま、真夏に布団を被ってマスクまでしてるから当然か」


 汗で額に前髪が張り付くのをやけに気にして直しているが、それなら出ていけばいいのにと思う。


「いつまでいるんだ?」


「うーん……気が済むまでかな」


 何を言っても聞かないのはいつものことなので、浅野さんに背中を向けるように寝返りをうつ。


 ガンガンと痛む頭を横たえていると、後ろから浅野さんが抱き着いていた。


「ちょ……暑いだろ」


「暑いだけ? 他に何も感じないの?」


 浅野さんが耳元で囁く。マスクを取ったようで、吐息が耳にかかる。


 本当のことを言えば背中で柔らかい胸の感触はガッツリ感じているし、下半身もムズムズと反応してきている。だけど、浅野さんの攻撃に為すすべもなく降伏して反応ができない状態だ。


「いっ、いや……わかんないな……ふ、普段からこういうことしてるのか? 友達と」


「しないよ。広臣君とだけしかしないから」


 頭がぼーっとするのでその意味を解釈する余裕もなく、浅野さんの呼吸音を聞きながら目を瞑る。


「もし……もし後ろにいるのが私じゃなくてサクラだったらどうしてた?」


「何もしねぇよ。さっ……サクラちゃんが後ろにいるとかありえないだろ」


「いますよ。ここに」


 風邪のせいか、元々のクオリティの問題なのかあまり似ていないサクラちゃんの声真似を披露してくる。


「そんなに似てないな」


「あはは……練習しときます。でも、サクラはこんなことは出来ないよ?」


 そう言って浅野さんは脇腹をくすぐりだした。


「ちょっ、やめろって」


「大きい声出したらバレちゃうよ? まだ皆いるからね」


 執拗に脇腹をくすぐってくるので腕を噛んで声を我慢する。


 二、三分も我慢していると浅野さんもさすがに飽きたのか、手を止めてくれた。


「ふぅ……意外と頑固だね。素直に声出しちゃえばいいのに。『らめぇ!』ってさ」


「エロ漫画の見すぎだろ……菊乃の悪い影響だな」


「はて? 何のことかにゃ?」


 断じて興奮したわけではないが、かなり汗をかいたので布団から頭を出す。


 エアコンで冷えた空気が一気に体の表面を冷やしにかかってくるのでこれはこれで悪化しそうと思い、また布団を被り直す。


「まぁ……なんか更に悪化しそうだよ」


 いつものように浅野さんのペースだ。実際俺が本気の力で押し倒してきたらどうするつもりなのだろう。ペースを乱すにはそのくらいやってみないと勝てない気もしつつ、さすがにそんな事は出来ないと諫める理性が働く。


「それは困っちゃうな。早く元気になってね。よしよし」


 浅野さんはまた頭を撫でてくれる。


 それだけでガンガンと痛んでいた頭痛が少し落ち着いて眠りについてしまうのだった。


 余程熱にうなされていたのか寝落ちする直前、サクラちゃんの声で「おやすみなさい」と聞こえた気がした。

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