第34話

 テストも近づいてきたので部屋に籠もって勉強。普段は適当に聞いているツケを払わされている気分だ。


 そんな日に限ってサクラちゃんから連絡が来る。喉を痛めたと聞いてから、気を使って連絡を断っていたのだ。


 サクラちゃんも高校は違うかもしれないが時期的にはどこも期末テストだろうし同じように勉強をしているのだろう。ここ数日は配信も短めになっていた。


『広臣さん、こんばんは。お元気ですか?』


『テスト勉強でヘロヘロです……』


『私もです! お勉強のキリが良いところで少しお話しませんか?』


『期末テスト、終わったんですか?』


『まだですけど広臣さんの声が聞きたくなってしまいまして……』


 メッセージの意味を理解すると、手が震えてきた。サクラちゃんが俺の声を聞きたがる理由なんてあるわけがないのだから。


『ぜ、是非! お願いします!』


 リップサービスだとは分かっていても、自分の欲には抗えずにノートを閉じる。


 すぐに通話がかかってきた。今日は音声だけらしい。


「あ……広臣さん、こんばんは。数日なのに久々って感じがしますね」


「そうですね。喉、大丈夫なんですか?」


「あ……えぇと……ごっ、ご存知だったんですねぇ……」


 サクラちゃんはやけにモゴモゴと話す。よほど秘密にしておきたかったのだろう。


「スタジオに行ったときに聞いたんです」


「そうでしたか……広臣さんに心配かけたくなかったので黙ってたんです。すみません……」


「い……いやいや! 謝られることじゃないですよ。通話も早めに切り上げて勉強に戻りましょう」


「色々とお気遣いいただいて申し訳ないです。今日なんですけど、折角なのでこのまま繋ぎっぱなしで勉強しませんか?」


「こっ、このままですか?」


「えぇ。部屋に一人だと集中出来ないタイプなんです……広臣さんがご迷惑でなければですが……」


 図書館よりもカフェの方が集中できるなんて人もいるくらいだし、サクラちゃんもそういうタイプなのだろう。


「だ、大丈夫ですよ!」


「ふふ。ありがとうございます。では早速始めましょうか」


 ◆


 勉強を始めて一時間。時折、鼻をすする音や生活音が聞こえるくらいなので邪魔にはならないし、むしろ集中できている気がする。


「へっ……へくちゅん! へあっ!」


 静寂を切り裂くのはサクラちゃんの独特なくしゃみ。助かりすぎて暗算途中の計算が脳内から吹き飛んでしまった。


「す、すみません……普段はミュートに出来るんですけど、手が塞がってて……」


「だっ、大丈夫ですよ! むしろ助かります!」


「フフッ。良かったです。配信では必ずミュートにしていたので、多分初公開ですね」


「言われてみればそうかもしれませんね」


 確かにサクラちゃんの配信でくしゃみを聞いた記憶はない。こんなに癖のあるくしゃみなら覚えているはずだし。


 ファン垂涎のサクラちゃんのくしゃみなので折角なので録音しておきたかった。


「録音しておきたかったな……」


「ひっ……広臣さん? ろ、録音!?」


 サクラちゃんの少し引いた声が聞こえる。


「あれ……もしかして今心の声が……いっ、いや! なんでもないです! 冗談ですから!」


 心に留めておくつもりだった録音の件が言葉になっていたらしい。さすがにサクラちゃんもドン引きしただろう。そもそもサクラちゃんは清楚キャラ、というか清楚そのものなのでこういう事に耐性がないのは確実だ。


「いっ、良いですよ。他ならない広臣さんの望みなら……ちょ、ちょっと待って下さいね!」


 マイクの向こうからガサガサと何かを準備している音がする。


「な、何してるんですか?」


「ティッシュでこよりを……うおっ……で、出そうですよ!」


 ティッシュで鼻を刺激しているサクラちゃんを想像すると可愛すぎて悶えてしまう。何というかサービス精神が旺盛すぎて申し訳なくなるが、無駄にしないために素早く録音アプリを立ち上げる。


「へっ……へっ……へっくちゅん! へあっ!」


 録音ボタンを押した瞬間、見事にサクラちゃんのくしゃみをキャッチした。


「ど……どうでしたか?」


「録れました! やった!」


「あ……あはは……よ、良かったですねぇ……」


 サクラちゃんの若干引き気味な声が聞こえるが、この世の中で俺のスマホの中にしか存在しないサクラちゃんの音声データが出来たのだからこれほどの喜びはない。


 録音後、俺もサクラちゃんもそのまま勉強を再開。そのままつつがなく勉強会は終了した。


 ◆


 翌日、放課後は浅野さんと勉強会。明日からのテストまでほぼ毎日浅野さんと勉強会だった。俺としても浅野さんが補習を回避してくれるに越したことはないので付き合っている。


 図書館だと色んな人に絡まれるので、学校が終わるなりそそくさとスタジオに行き、浅野さんが使っている配信部屋に鍵をかけて籠もっている。


 おかげで撫子、菊乃、美羽の三人からはあらぬ疑いをかけられてしまっている。浅野さんは気にしていないみたいだが。


「うーん……明日からテスト本番かぁ。大丈夫かなぁ……」


 机の向かいには上唇と鼻の間にペンを挟み、明日からのテストに漠然とした不安を抱えた浅野さんが座っている。


「ま、何とかなるだろ」


「ちなみに約束って覚えてる?」


「な……何だっけな」


 数学の公式よりもしっかりと覚えているが、浅野さんが忘れている僅かな可能性にかけてすっとぼけてみる。


「忘れないでよぉ。赤点回避したらキスだって」


「頭を撫でるだったろ。どさくさに紛れてハードル高い方を設定すんなよな」


「あはは……覚えててくれたんだね」


 一番無難な落とし所である「頭を撫でる」に落ち着きそうだ。


「でもなんか……これって俺にメリットないよな」


 ガタッと浅野さんが椅子から立ち上がる。


「わっ、私の頭を撫でられるんだよ!? 他の人は誰も出来ないんだからすっごくレアだと思うけどなぁ……」


「そりゃそれに価値を見いだせる人ならそうかもな」


「うわぁ……サクラ一筋すぎて最早引いちゃうよ」


「そっ……そんなこと言うなよ……」


 vTuberの中の人がガチ恋を否定してしまっては成り立たない部分もあるだろうに、本人はそのことに気づいていないらしい。


「ガワもゴスロリ衣装で可愛くて、中の人は美少女女子高生。五条アイリスってvTuberもいるからよろぴくだよ」


 冗談めかしてウィンクしてくる。確かに可愛い。とても可愛いのだが、やはり普段の言動とのギャップからどうしても恋愛的な方向に行きづらい感じがする。サクラちゃんの清楚加減を見習ってほしいくらいだ。それを言うと「比較するな」と怒られそうなので言わないが。


「あー……その中の人の中身は残念らしいぞ」


「ざっ……残念……!?」


「あぁ。具体的には――」


「いっ、いやいや! いいよいいよ! 大丈夫! 自分の事は自分が一番良くわかってるからね、うん。分かってるよ」


 浅野さんに制されて残念ポイントをあげつらうのを止める。浅野さんは椅子に座り直すとまたペンを上唇で挟む。


「うーん……やっぱ清楚さが足りないのかなぁ……」


「そうかもな。ほら、勉強するぞ。あと数日でこんな生活ともおさらばだよ。高校のテストってこんな大変なんだな……」


「だよねぇ……やるかぁ!」


 鼻の穴をフンスと広げ、浅野さんはまたノートとにらめっこを始める。


 髪の毛が垂れるのが気になるのか、時折耳に髪の毛をかける仕草と真剣にノートと向き合っている時の顔だけを見れば残念な要素はどこにも見当たらない。


「ん? どしたの?」


「あ……いや……何でもない」


「ふぅん……変な――へっくちゅん! へあっ!」


 浅野さんがいきなりくしゃみをする。本人にも前兆が無かったようで突然のくしゃみに驚いた顔をしている。


「くしゃみは可愛いんだな」


「くしゃみも、だよ。助かった?」


「助かるくしゃみだな。ちょっとサクラちゃんのくしゃみに似てたしな」


 浅野さんの顔がさっと青くなる。


「え……えぇと……そっ、そそ、そうかな?」


「何驚いてるんだよ……そんなに清楚キャラになりたいのか?」


「あっ……うんうん! そうなの! 清楚といえばサクラだからね。サクラの一挙手一投足を真似してみようと思い立ったんだ!」


 声真似のクオリティが高いのは特徴を掴む能力が高いからなのだろう。くしゃみのクオリティも一級品だ。こんなことならサクラちゃんにキモがられながら録音しなくても浅野さんにやってもらえば良かった。


 何にしても、浅野さんが思いつきで変なゲームを始めそうなので無視して問題集に視線を戻す。浅野さんもさすがに雑談をする余裕はないと悟ったのか、すぐに静かになった。


「へ……へっく、ちゅん! へ、どすこぉい!」


 数分するとまた浅野さんがくしゃみをする。


「なっ……何だよ今の……」


「こっちが素なんだよねぇ。どう? 助かる? 私のくしゃみ、助かるか?」


「いや……まぁ……どっちもどっちだな。体調悪いなら早く寝たほうがいいぞ。詰め込んだのにテスト中にフラフラになる方が勿体ないしな」


「あはは……た、多分大丈夫だよ」


 そう言って机から上半身を乗り出すと、俺の方へ前髪を抑えて額を出した顔を近づけてくる。


「何だ?」


「熱、計ってみてよ」


 吐息が顔にかかる程に近い距離で浅野さんが言った。


「たっ……体温計はないのか?」


 目をかっと開いて浅野さんは離れていく。


「広臣君! ここはさぁ、おでこをごっつんこするところじゃないかな! そのままキスしそうになってドキドキするもよし。思いっきりおでこをぶつけて痛がるのもよしだよ!」


「そうか……もう高熱でうなされているんだな。支離滅裂な発言が目立ってるぞ……」


「広臣君……君はフラグをバキバキに折るタイプなんだね……」


「ん? 誰とのフラグだ?」


「もっ、もういいよ! 勉強しよ!」


 浅野さんは何故か悔しそうな顔をするとノートとにらめっこを始める。時折素のくしゃみをするくらいで、帰るまで口を聞いてくれなくなってしまった。

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