第32話

「さっ……サクラちゃんの……あ……えぇと……豊田広臣で……です」


 目の前にサクラちゃんがいる。いきなりで心の準備もできずしどろもどろになりながら挨拶をする。


「ん? あ……あぁ。そうだぞ。私が九十九サクラの……ブフッ」


 髪を振り払って口上を述べようとしたくるくる髪の人は言い切る前に吹き出す。


「菊乃、美羽。悪い冗談はやめてください。豊田さんが可愛そうじゃないですか」


「ヒッヒ! 純情だな、広臣」


 笑っているくるくる髪の人と菊乃、それをたしなめる撫子。三人の態度を見ていれば騙されていたと気づくのに時間はかからない。


 言われてみればくるくる髪の人は美人だがまったく高校生に見えないし、サクラちゃんとは声質もまるで違う。


「なっ……そんな嘘はやめてくださいよ……」


「ちょっとした冗談だよ。改めて紹介だな。こいつは増田美羽(ました みう)。新しいメンバーだよ」


 菊乃は俺の非難する目線を受け流して話を続ける。


「vHolicの新メンバー……ですか?」


「そうですよ。発表はアイリスの曲を出した後にするつもりです。多分、テスト明けくらいですかね。しばらくはオフレコでお願いしますね」


「はぁ……それで何でこのタイミングなんですか? 俺達勉強が……」


 三人からの「イチャイチャしていただけで勉強なんて欠片もしていなかっただろう」という視線が突き刺さる。大人だからか誰も口にはしないが。代表して撫子が口を開く。


「単刀直入に言いますと、サクラの分の作曲はスキップでお願いしたいんです。代わりに美羽の分の曲を作って頂けないでしょうか?」


「それは……どういうことですか?」


 サクラちゃんの曲を作れないなら何のためにここに来ているのか、理由の半分がなくなる事になる。


「サクラは喉を少し痛めてしまっていて、歌はしばらく控えるように医者から言われたらしいんです。今日判明したので早めにお伝えしたほうが良いかと思って」


「そ……そうなんですか……」


 昨日もサクラちゃんと通話していたのに知らなかった。昨日は一緒にバトロワゲームをして叫びまくっていたのであれも本当は良くなかったのだろう。サクラちゃんに変に気を使わせていたのかもしれない。


「しばらく休めば良くなるらしいので、そんなに心配しないでくださいね」


「ま……まぁでも、気も紛れると思うし通話は継続でいいんじゃないかな? 時間は決めたほうがいいかもしれないけど。配信頻度も落ちるしね」


 俺があからさまに落ち込んでいたのか、浅野さんがそんな提案をしてくる。


「そうですね……そこはサクラに任せましょうか。豊田さん、色々とすみません。手伝っていただいているのに」


「だ、大丈夫ですよ! サクラちゃんのためですから」


 俺の返事を聞いて撫子はニッコリと微笑む。


「ありがとうございます。それじゃ改めて美羽の紹介をしますね。彼女は六花(ろくはな)アザミという名前でデビューする予定です。コンセプトだったり立ち絵だったりの諸々は後日連携しますね」


「私もまだ見たことないんだよね。撫子って秘密主義だからなぁ。美羽さんって前は何やってたの?」


 浅野さんが横から入ってくる。あまり驚いてはいなかったので事前に新メンバーの事は聞いていたみたいだが詳細はまだ、というくらいの感じなのだろう。


「六角(ろっかく)レンだよ」


「え……いやいや! また嘘でしょ!?」


 浅野さんの反応も無理はない。六角レンは最近まで活動していて界隈での人気はナンバーワンと言って良かった。


 事務所を跨いだvTuber人気投票ランキングではサクラちゃんを抑えて一位に君臨していたのでよく覚えている。


 人気「だった」と過去形なのは、彼女は自身の言動により事務所を解雇、引退に追い込まれたからだ。


 元々口が悪いヒール系のキャラクターで、過激で歯に衣着せぬ物言いと、たまに雑談で見せる乙女な一面とのギャップが人気の根源だったので前者が裏目に出た形だ。まとめサイトでしか見ていないが「BMI30以上のデブに人権はない」だのと発言していたそうだ。


 所属先が大手の事務所だったこともあり、当初は大目に見て守られていたが、コンプライアンス遵守の波に押し流されるように重い腰を上げて処分が下ったのが少し前のこと。


「本物だぞ。この声でわかんないのか? お前ぇ、耳ついてんのかよ。若いのは見た目だけで中身はババアなんじゃねえのか?」


 たまに切り抜き動画で見ていたので声は六角レンそのものだとわかる。口の悪さも健在。


「ほ……本物じゃん……」


 浅野さんは絶句する。多分、アイリスのファンも浅野さんを見たら同じ反応をするのだろう。


 美羽は次に俺の方を見てくる。


「君がトヨトミPなんだって? 女だと思っていたのだけど、若い男だったのか……歌は得意だから好きに作ってくれていいよ。前の事務所では一応メジャーデビューしてたからね」


「わ、分かりました。あの……こんなの俺が口を出すことではないですけど……大丈夫なんですか? その……炎上とか、またしたりとか……」


「部外者だと分かってるのにわざわざそれを尋ねるくらいにはお節介な性格をしているんだね、君は。あれは事務所の指示でやっていたキャラクターだよ。ま、私も調子に乗っていた部分はあるけれどね。次は清楚キャラで行くつもりだから安心してくれ」


 美羽は気分を害したのかそれだけ言うと部屋から出ていってしまった。


 菊乃が俺の隣に来て肩に手を置く。


「あんま気にすんなよ。気難しい奴なんだわ」


「知り合いなんですか?」


「狭い界隈だからな。声をかけたのは撫子だけどさ。大丈夫だよ。私が保証するよ」


「はぁ……俺はただサクラちゃんが心配なだけですから」


 サクラちゃんが炎上に巻き込まれる事だけは勘弁してほしい一心だ。さすがにサクラちゃんも事前に聞いているだろうけど。次に撫子が前に出てくる。


「広臣さんのご指摘もおかしくはないと思いますよ。でも彼女の集客力は凄まじいです。背に腹は代えられない状況でして……それに、猛獣を従えられるのは猛獣だけですからね。豊田さんは安心して曲を作ってください。絶対に無駄にはなりませんから」


「わ……分かりました」


 猛獣なのは撫子なのか菊乃なのか、はたまた両方なのかは怖くて聞けない。撫子は普段から外回りが多いので話す機会は少ないが、にこやかな裏に色々と渦巻いていそうに思えてしまう。


「それでは、勉強頑張ってくださいね。私で良ければいつでも教えますよ。学生時代は学習塾でバイトしてたんです」


 撫子が部屋から出ていこうとしたのだが、菊乃は思い出したようにそこに留まる。


「そういえば、美羽ってトヨトミPのファンらしいぞ。お前らと入れ違いにやってきたんだけど、今ここにいるって言ったら私達の静止も聞かずに突撃したんだよ。『愛しのトヨトミ様ぁ!』ってな」


「なっ……そうだったんですか」


「本人を前にしたら緊張してクールぶりやがってよ。可愛いやつだよな」


「菊乃、あまり盛りすぎるのは良くないですよ。ほら、勉強の邪魔になりますから行きますよ」


 菊乃と話すのは楽しいのだが、撫子が空気を読んでくれたようで、菊乃を連れて部屋から出ていく。


 最後に残された浅野さんを見ると、まだ実感がわかないようで唇をプルプルと震わせていた。


「いきなりだったな。新メンバーがきて、それも六角レンだなんてな」


「あ……うん。そうだね」


 浅野さんは少し元気がない。


「どうしたんだ? すげぇ人が来たから緊張してんのか? 浅野さんなら大丈夫――」


 浅野さんは両手で俺の右手を掴むと、そのまま自分の頭に持っていった。さっきはあれだけ嫌がっていた頭を撫でる動作そのものだ。咄嗟のことで反応ができず立ち尽くす。


「い……いやじゃないのか?」


「嫌じゃないよ。さっき逃げたのは、ただ勿体無いなって思っただけだからね。うん、勿体なかったんだ」


 浅野さんは腕の影から答える。俺の腕で顔が隠れていてよく見えない。


 浅野さんの言葉に特に返さず、ヤスリがけをしてツルツルになった木のようなサラサラな細い髪の毛の感触だとか考える。自分のゴワゴワした太い髪の毛とはまるで別物だ。


「ちなみに、勿体ないけどここで使った理由はだねぇ……」


 浅野さんは俺の手を両手で取り、頭から外しそのまま握手のように握ってくる。


「広臣君がサクラばかり見てるから。vHolicには私もアイリスもいるんだからね」


 浅野さんが私を見ろとばかりに目を輝かせて俺を見てくる。吸い込まれるように目線を外せなくなる。


「それで……広臣君、さっきの続き……する?」


 この部屋で二人っきりだった時の続き。あれを続けたら本当に変なことになりかねないと思いながらも何も返事が出来ず固まってしまった。

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