第31話
図書館を後にして、蒸し暑い夕方をくぐり抜けてスタジオに到着した。
リビングに行くと、撫子と菊乃がモニターに必死にかじりついているところだった。
「おし! 乗った乗った! 三十万再生!」
特に菊乃は馬券を握りしめていると競馬ファンとも見紛う盛り上がりを見せている。
「二人共、ただいま」
「おう。おかえり。テスト勉強は捗ってんのか?」
「あはは……まあまあかな。二人は何を見てるの?」
「何を言ってるんですか! 今日はセントレアのMV公開の日ですよ! 今しがた再生回数が三十万回を超えたんです!」
撫子が手招きをしてくるので浅野さんと二人でモニターの方へ回り込む。
確かに、公開からものの数時間で再生回数はうなぎのぼり。トヨトミP効果なのか、セントレアのファンが回数を回しているのかわからないが、この調子ならトレンド入りも間違いない勢いだろう。
「すごいすごい! やっぱ広臣君のおかげだよ!」
浅野さんがその場で飛び跳ねながら抱きついてくる。
「ちょ……そ、そんなにくっつくなって」
抵抗も虚しく反対側から菊乃も肩を回してきた。
「まぁそう照れるなよ。ここまで伸びてんのは見たことねぇからな。ほんと、大したやつだよ」
「あ……ありがとうございます……」
「ヒッヒ! 素直になれば可愛いじゃねぇかよ」
菊乃に頭をぐしゃぐしゃにされる。されるがままでいると、反対側の浅野さんも真似をして俺の頭をぐしゃぐしゃと鷲掴みにしてくる。
「このペースなら公開初日で百万回は固いですね。さて、お祝いに……あ、そういえばお二人はテスト期間でしたね。私達だけでお祝いをしておくのでどうぞ数式とにらめっこをしてくださいな」
「えぇ!? ズルいよぉ! 勉強はまた明日から本気出せばいいよ! ね? 広臣君!」
不服そうな浅野さんが俺を味方に引き込もうと大袈裟な演技をする。
「いや……ただでさえ補習コースなのにそれはマズいだろ……夏休みに配信できなくなるぞ」
「うーん……それも困るなぁ……」
浅野さんは腕組みをして悩んでいる。
「まぁ……とりあえず今日はノートだけ写しとけよ。後はテスト前日の浅野さんが一夜漬けで頑張るだろ」
「フフフ……広臣君は前日の私を過信しているようだね……」
この言いっぷりだと、十時くらいに諦めて布団に入る様子がありありと思い浮かぶ。
仲良くなってきて分かったが、浅野さんは断じて上品な清楚キャラではない。元気といえば聞こえはいいが単なる馬鹿だ。図書館で誘ってくる男子達にもこのことを声を大にして伝えたい。ノートを貸したらぐちゃぐちゃに折れ曲がって返ってくるぞ、と。
「毎日頑張って登校してくれ。ほら、配信部屋で勉強するぞ」
「うぅ……やるよぉ……」
手を引くと案外素直についてくる。
そのままリビングを出てアイリスの配信部屋に入る。
浅野さんはゲーミングチェアに腰掛けると、そのままくるくると回りだした。
「目回すぞ」
「もう目の回りそうな忙しさだよ。あー勉強いやだなぁ。妖怪になりたいなぁ」
「最近は妖怪も試験で免許制になったらしいぞ」
「ほんと!? 世知辛いねぇ……」
「だから早くノートだけ写そうぜ。な?」
相変わらず浅野さんは椅子でくるくると回転している。何か考え事をしているのか、顎に指を添えたり腕を組んだりと一周するたびに考えるポーズが変わる。
「うーん……何かご褒美が欲しいんだよなぁ……」
「ご褒美?」
「無理矢理やる気を奮い立たせるためだよ。うん、そうそう。やる気だね」
「じゃ、終わったら好きなもんおごってやるよ」
「それもいいんだけどさぁ……もっとこう、別の何かが欲しいんだ」
浅野さんは足を伸ばして緩やかに回転を止める。さながらルーレットみたいだ。
浅野ルーレットはじわじわと速度を落とし、俺と向かい合う形で止まった。何を思いついたのかわからないが、俺と目を合わせニィと気味の悪い笑みを浮かべている。
「キスしてよ。広臣君が」
「あぁ……はぁ!? なんで俺がするんだよ!」
「私が留年すると困るでしょ?」
「留年する人なんて聞いたことないぞ。精々補習だけだよ」
「どうかなぁ……私が時代を切り開いちゃうかもね」
「とっ……とにかく、そんなの出来ないだろ……」
「じゃ頭撫でてよ。点数につき一分!」
「全教科平均が三十点として、八教科だから四時間くらいか……ちょっときついな」
「そっ、それは低く見積もりすぎだよ! 全教科百点で半日ずっと頭を撫でてもらうことになるから覚悟しといてよ」
「まぁ……それでやる気が出るなら……どうせなら今から前払いで少し撫でとくか?」
上手いこと無茶振りから現実的なラインを提示されて丸め込まれた気がしないでもない。
それでもやる気を出すために頭を撫でるくらいなら、と浅野さんに近寄る。
だが、浅野さんは両手で頭を抑え、椅子から立ち上がって俺から離れる。
「い、いやいや! まだだって! 先に撫でられたらやる気なくなっちゃうもん!」
「つまりここで撫でとけば後で撫でる時間を短くできるんだろ? やるしかないよなぁ!?」
「ひぃ! タイムタイム! 」
頭に両手を載せたまま部屋をぐるぐると逃げ回る浅野さんを追いかける謎の構図が出来上がる。結局勉強をしていないのだが、楽しいのでちょっとだけ付き合うことにした。
配信用の机を何周かしたところで逆回転にして浅野さんに正面から向かう。
「あっ! ちょちょちょ!」
浅野さんは驚いてつんのめる。さっきまでは器用に跨いでいた機材間を這う無数のケーブルに浅野さんが足を取られる。
そのまま俺に向かってダイブする形になり、俺もそれを受け止め床に倒れ込んだ。
「ってぇ……う!?」
すぐ目の前に浅野さんの顔がある。俺は上を向いているのでぶつかった拍子に浅野さんに押し倒される形になったようだ。
「あ……あはは……腰抜けちゃって動けないや……」
浅野さんは恥ずかしそうに目を逸らす。
「このタイミングでかよ……」
「ど、どうしようか?」
抜け出そうにも機材やケーブルが邪魔で床を這うことが出来ない。浅野さんが動けないのであれば、このまま浅野さんを押し出すように俺が起き上がるしかなさそうだ。
「手と脇、どっちがいい?」
「え? ど、どっち……うわうわうわ!」
悩んでいる間に覚悟を決め、片手を浅野さんの肩、もう片方を腰に手を添えて無理矢理上体を起こす。
見た目通り軽いので浅野さんは簡単に持ち上げられた。
そのままストン、と俺のももに着地する。
「わわわ! コケちゃう!」
「むぐっ!」
勢い余ってこけないように浅野さんは両手で俺の後頭部をホールドする。態勢だけを見ると浅野さんが俺に跨って頭をホールドしていて、カップルがイチャイチャしている時のそれだ。
「さ、さっきよりはマシだけど……これはこれで恥ずかしいにゃぁ……」
照れ隠しに猫の真似をしているが、俺の方が恥ずかしい。
「まっ……まだ動けないのか?」
「あはは……も、もう少し……捻っちゃったみたいでさ」
反響の少ない防音室は勉強に集中するには格好の場所だろう。そんな部屋の一角で勉強もせず密着して何をしているのだろうと、ふと冷静になる。
対して浅野さんは息遣いも荒く、なんだか色っぽい雰囲気を醸し出し始めた。誰もいないのに、部屋のあちこちをキョロキョロと見渡し確認している。
「ひっ、広臣君……このままキスしちゃおっか」
「ばっ……テストも受ける前――」
テストも受ける前からご褒美を受け取る人がいるか、と言いたかったのだが、頭はホールドされているので俺に決定権はない。せめてもの抵抗で唇を内側に巻き込むくらいだ。
それでも浅野さんはゆっくりと近づいてくる。これは現実なのか。浅野さんとキスをする。何が楽しいのだろうと思いながらも、自分の心臓が高鳴るのを感じる。
接触まであと数センチ。そんなときに勢いよくドアが開いた。
「おお……ん? なんだい彼等は? ここは盛り場なのかい?」
最初に入ってきたのは見たことがない女性。天然か人口かわからないが根元から毛先まで髪の毛がくるくると巻かれている。
「勉強してるんです……あれ? 盛り場ですね」
「おほっ! お前ら意外とやることやってんだなぁ!」
それに続いて撫子と菊乃も入ってきて好きなようにコメントをする。
「ま、彼氏バレで炎上だけは避けてほしいね」
「それはお前が言うなってやつだな。二人共、立てよ。広臣はもう『立ってる』かもしれないけどな」
菊乃が最悪な案内をするとくるくる髪の毛の女性はゲラゲラと笑う。それだけで似たような性格をしているだろうというレッテルを貼ることができた。
浅野さんは機敏に立ち上がり、背後にいる三人に向き直る。
「こっ、これはだねぇ……」
俺も立ち上がって浅野さんの隣に行く。
「こけたんですよ。変なことはしてないです」
三人は疑いの目を俺と浅野さんに交互に向ける。
菊乃が空気を変えたいのかくるくる髪の女性の肩に手を置く。
「ま、その話は追々として……広臣、こいつがサクラの中の人だぞ。挨拶しとけよ」
「さっ……サクラちゃん!?」
全くの寝耳に水。こんな形で会うことになるとは思わなかった。
どうせなら押し倒された形の方が弁解の余地もあったと後悔しながら、くるくる髪の女性に頭を下げた。
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